2003年10月7日(火)「しんぶん赤旗」
解散・総選挙を前に、小泉第二次改造内閣が発足し、一方で民主・自由両党が合併して新・民主党が発足するなかで、新聞やテレビなどマスメディアで、「自民・民主対決」や「小泉・菅対決」をもてはやす報道や論評が相次いでいます。そのなかで、日本共産党などを意図的に視野の外に置くものも目につきます。報道の公正さからはもちろん、真実を伝える点でも重大な問題をはらんでいるといわなければなりません。
ものごとを白か黒かの単純な二分法に還元して、図式的な「対決」を描くのは、日本のマスメディアの悪癖です。十年前の「自民か、非自民か」の図式や、「改革派か、守旧派か」の図式がそうでした。
しかし、そうした図式からは、実際に何と何が対決しているのか、中身は見えてきません。「小泉・菅」の「対決」でいえば、小泉・自民と菅・民主のどこが違うのか、そもそも自民党政治のどこをどう変えるべきなのかを伝えることこそ、マスメディアの役割ではないでしょうか。
この点で、小泉首相の所信表明演説に各党が質問した国会の代表質問を、新聞の一面や三面で「『小泉対菅』論戦スタート」(「朝日」九月三十日付)だの「小泉・菅 総選挙前哨戦熱く」(「読売」同日付)だのと書き、「まずは菅氏の押し気味で」と評価した社説(「朝日」同日付)が、どれだけ、その中身に踏み込んで伝えたか。
民主党の発足に至る報道でも、民主党が「マニフェスト」(政権公約)で消費税の増税を持ち出したことや改憲に踏みこんだことにも、「増税論議にあえて挑」んだ(「朝日」六日付)などとたたえる論評はあっても、それが国民が求める改革に必要かどうかにまで踏みこんだ報道はありません。
民主党の発足にあたって、「賽は投げられた」(「朝日」)だの「政権の選択肢が可能になった」(「毎日」いずれも六日付)だのともてはやす社説の見出しを見れば、読者は、民主党以外、自民党政治に代わる政権の選択肢がないと思うでしょう。マスメディアは、単純な二分法の図式にあてはめた自分たちの報道が、どれほど国民を惑わすか、自覚を持つべきです。
しかも見落とせないのは、自・民の「対決」をもてはやすマスメディア自身が、政治面の解説や個人署名の論評ではその対決が底の浅いものであることを認めていることです。たとえば「読売」九月二十四日付は、民主党が「官僚支配の打破」など「器」の改革に熱意を示すことについて、「政策という『中身』で自民党との明確な違いを打ち出せずにいる」からだと指摘します。また「毎日」四日付の岩見隆夫特別編集委員のコラムは、「民主党は自民党と同じようなことを言っている。似たヤツが寄ってきた、という感じだね」という自民党長老のことばを引きながら、小泉・菅の両党首が肝心の国家戦略を明らかにしてないことを指摘し、「どうも、すっきりしない」と批判しています。
ならばなぜ、各メディアは新聞の顔といえる一面記事や社説で中身のない「対決」をはやしたてるのか。これはもう虚構と承知のうえでの、意図した報道といわれてもしかたがないではありませんか。
「対決」の図式にあてはめるだけでその中身をほとんど伝えないこうした報道が、結局、国民の知りたいこと、伝えてほしいことにこたえないものであるのは明白です。国民の「知る権利」の上からもそれは重大な問題です。
とりわけ総選挙を目前とした時期にこうした報道が繰り返されることは、主権者・国民の権利を妨げることにもなりかねません。実際、総選挙に先だっておこなわれる参院埼玉選挙区の補欠選挙の報道では、「小泉vs菅 埼玉で前哨戦」(「朝日」)、「自民、民主が総力戦」(埼玉新聞)などと、立候補を予定している日本共産党の候補者などをまったく無視した報道がおこなわれました。こうした報道が著しく公正さに反し、県民の政治参加の権利行使を妨げることはあきらかです。
かつて一九九三年の総選挙で細川政権が誕生したとき、マスメディアが繰り広げたのが「自民か、非自民か」の「対決」の図式でした。とりわけ先頭に立ったのはテレビで、選挙後、「非自民政権が生まれるよう指示した」という椿テレビ朝日報道局長の発言が大きな問題として取り上げられました。この問題をふりかえって、現役の新聞記者(倉重篤郎氏)が次のように指摘していたことは重要です。
「当時の新聞は…『非自民』の中身の分析まではしなかった。自民のどこがどう悪くどう変えるべきなのか、『非自民』連合軍にその改革能力はあるのか(中略)『自民vs非自民対立』の描き方と非自民への心情的肩入れは、メディア全体の共通ムードだったが、とくにテレビにその傾向が強かった。その極端なケースがテレビ朝日…(中略)テレビが上滑りムードを加速させ、新聞は冷徹、深遠、公平な報道を忘れていた」(『二十一世紀のマスコミ 新聞』大月書店)
マスメディアは同じ誤りを繰り返すつもりか。マスメディアが肩入れした「非自民」の政権が自民党政治を変えるものではなかったことが今日の政治不信を生んでいます。マスメディアは結局、今度も国民の政治不信をあおるのか。二十一世紀の日本の進路が問われる総選挙にあたって、マスメディアのあり方もまた、きびしく問われています。(宮坂一男記者)