日本共産党

2003年9月4日(木)「しんぶん赤旗」

シリーズ

従属国家の異常

党綱領改定案の視点から

米世界戦略の前線基地・日本


 日本にある米軍基地はこれまでも、ベトナム侵略戦争(一九六〇年代―七五年)や湾岸戦争(九一年)、アフガン報復戦争(二〇〇一年)などで、米国の戦争のための出撃・補給・中継拠点になってきました。

 日米には、米軍が日本の基地を使って戦闘作戦行動をおこなう場合には、事前に協議するという取り決めがあります(注)。“まったく自由に日本の施設・区域を使用させるということではなく、米軍の行動に一定のコントロールを施すために設けた”というのが日本政府の説明です。それなのになぜ、自由に使用されてきたのか。

自由出撃の仕組み

 実は、事前協議はこれまでただの一度もおこなわれたことがありません。今回、在日米軍がイラク戦争に参加するにあたっても、事前協議はありませんでした。

 政府は「(事前協議が)いままで一度もおこなわれなかったというのは、(米軍の)戦闘作戦行動に該当する行為がおこなわれなかったということ」(海老原紳・外務省北米局長、七月二十二日、参院外交防衛委員会)だといいます。つまり、米軍は過去一度も日本の基地を使って戦闘作戦行動をおこなったことはないというのです。

 それでは、米軍がこれまで実際に日本の基地から出動し、戦争に参加している事実をどう説明するのか。

 小泉純一郎首相は「米軍がわが国からほかの地域に移動することは事前協議の対象とならない」(三月二十四日、衆院予算員会)と答弁。米軍の戦争への出動は、単なる「移動」だというのです。

 二〇〇〇年に日本共産党の不破哲三委員長(当時)は、一九六〇年に結ばれた、米軍による日本への核兵器持ち込み密約を明らかにしました。同密約には、次の条項も含まれていました。

 「合衆国軍隊の部隊とその装備の日本からの移動に関し、事前協議を必要とするとは解釈されない」

 「部隊の移動」という名目さえつければ、米軍は日本の基地から自由に出撃できる仕組みなのです。

外国軍常駐の特異

 日本はいまも「半永久的なアメリカの世界戦略の前線基地という役割」(日本共産党綱領改定案)を押しつけられたままです。

 しかし、日本にいつまでも外国の軍隊が居座りつづけていいのかという疑問の声は広がりつつあります。

 米軍基地の継続を主張する自衛隊元幹部も「現在の国際情勢下で、外国の領土に軍を常駐させる方法は特異な姿であると、多くの人々が認識し始めている」と指摘しています。(林崎千明・元海上幕僚長、「世界週報」八月十九―二十六日号)

 二十一世紀も、米国の世界戦略の前線基地として縛られつづけることを許すのかどうかが問われています。


 事前協議の取り決め 一九六〇年一月に現行の日米安保条約が署名された際、当時の岸信介首相とハーター米国務長官がかわした交換公文。米軍が戦闘作戦行動のために日本の基地を使用する場合などについて「日本国政府との事前の協議の主題とする」としています。


イラク戦争に参加した主な在日米軍

【空母キティホーク戦闘群】8500人
キティホーク(横須賀)と第5空母航空団(厚木)
 1月23日出港。2月12日にペルシャ湾への出動命令。同月下旬、同湾に到着。FA18戦闘攻撃機などの艦載機が5375回出撃。レーザー誘導爆弾など約390トンにのぼるミサイル、爆弾を投下。残虐兵器クラスター爆弾も使用。初空爆は開戦前日の3月19日で、イラク南部の「監視作戦」を口実に。5月6日帰港。
ミサイル巡洋艦カウペンス(横須賀)
 1月23日出港。先制攻撃の口火を切った3月20日早朝の最初のミサイル攻撃に参加。このとき11発の巡航ミサイル・トマホークを発射。戦争の期間を通じ、約40発のトマホークを発射。中東を担当する米第5艦隊の防空司令部も務める。5月6日帰港。
ミサイル駆逐艦ジョン・S・マッケイン(横須賀)
 1月24日出港。戦争期間中、30発以上のトマホークを発射。昨年8月に佐世保に寄港し、その後、ペルシャ湾に長期展開していた空母リンカーンの護衛、海上阻止作戦も。5月6日帰港。
ミサイルフリゲート艦ゲアリー(横須賀)、同バンデクリフト(横須賀)
 1月29日出港。中東軍として展開。キティホーク艦載機の防護、ペルシャ湾や紅海での輸送艦の護衛。7月26日帰港。
【航空遠征軍】
第14戦闘中隊(三沢)F16戦闘機約10機、500―600人
 昨年12月、イラク南部の監視・空爆作戦のため、第7航空遠征軍に編入され、サウジアラビアのプリンス・サルタン基地に展開。イラク戦争では、3月21日夜、非ステルス機によるバグダッド初空爆に参加。派遣期間中に約750回出撃。最新のGPS誘導爆弾など約180発のミサイル、爆弾を投下。20ミリ機関砲で地上の航空機や車両も攻撃。4月24日に第1陣が帰還。
第67戦闘中隊(嘉手納)F15戦闘機約10機、約500人
 昨年12月、イラク南部の監視・空爆作戦のため、第7航空遠征軍に編入され、サウジアラビアのプリンス・サルタン基地に展開。イラク戦争では、航空優勢の確保を任務に。嘉手納の第909空中給油中隊なども参加。4月13日に第1陣が帰還。
【第3海兵遠征軍】
沖縄から限られた人数の海兵隊員を派遣
 ※( )内は、所属基地。
 ※米軍発表資料や米軍準機関紙「星条旗」などから作成


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