日本共産党

2003年8月31日(日)「しんぶん赤旗」

列島だより

あす「防災の日」

連続地震、豪雨、台風10号…

――現地からのリポート

被災から1カ月余 支援求める悲痛な声


 九月一日は「防災の日」。宮城県北部連続地震、九州豪雨災害、台風10号被害などが相次ぎ、日本列島に大きなつめ跡を残しました。被災者の生活と住宅再建は待ったなしの切実な課題です。各地で住民と協力して日本共産党の国・地方議員は、被災者から寄せられた要望をもとに自治体、国との交渉を重ね、復旧・支援活動を進めています。被災から一カ月余をへた宮城県と水俣市(熊本県)からのリポートを紹介します。


住宅再建へ応援早く

宮城県北部地震の被災地

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全壊した家の解体作業。費用は、自分もちです=宮城県矢本町

 七月二十六日、震度6以上が三回も襲った宮城県北部連続地震。全壊は約九百棟、約二千二百棟が半壊しました。家を失った多くの人たちは、住宅再建と懸命に向き合っています。住宅再建への支援は、地域復興の最大の課題となっています。

 同地震は、断層が動いた直下型地震でした。断層直上で大きな被害がでた矢本町大塩。婦人会の高齢女性は、訴えるように話します。「へこたれたってどうしようもない。百年借金したって、立ち直らなければならないんだから。でも、みんな途方に暮れている」

家建替える金ない

 被災地では、いまも、農作業小屋やビニールハウスで寝泊りする家族、避難所を出たものの行くあてもなく、傾いて危険な家に戻り暮らす人たちがたくさんいます。

 鳴瀬町根古は部落の多くが全半壊。建て替えを決心したという及川八千代さん(50)は、「なんの用意も、手持ちのお金もないなかで家を建て替える大変さを、国は理解してほしい」と言います。

 どんなに被害が大きくても、住宅再建への国の支援策はありません。損壊した家の解体にさえ、助成は一切ありません。河南町広渕の佐藤健次郎さん(73)は「解体するお金もない」と話しました。損壊した家。屋根が崩れ落ちないように鉄骨を何本か立て支えています。「あぶないけど、ほかに行くところはない」

 宮城県は、今回の震災で、全半壊した住宅を建て替える場合、一律百万円の支援金を決めました(補修は最高五十万円)。国会では、超党派の議員でつくる「自然災害から国民を守る国会議員の会」が、被災者生活再建支援法に住宅復旧への支援策を盛り込む改正試案を打ち出しました。

 全国知事会も、住宅再建支援制度の立法措置などを決議し、来年度予算への具体化を要望しています。

防災担当相に要請

 日本共産党の松本善明衆院議員、紙智子参院議員、横田有史、青野登喜子両県議、高橋ちづ子、五島平両衆院比例候補らは地震直後から直ちに現地入り、地元町議、住民とともに復旧・支援に全力をあげています。国と自治体に住宅再建への支援を働きかけ、七月二十九日には鴻池祥肇防災担当大臣に要請しました。

 今回の震災では、現行の耐震基準が定められた一九八一年以前に建てられた建物に、被害の大半が集中しました。宮城県内には、八一年以前の木造住宅が、約二十五万七千棟残されています。

 これら住宅の耐震診断について、県は九月補正予算で、五百戸(今年度当初予算)から八百戸以上に拡大する予定です。さらに、診断の結果「倒壊する危険」とされた住宅には、耐震工事への補助を予定しています。

 学校施設でも、耐震補強工事を行った校舎と行っていない校舎とで差がくっきりとでました。矢本町内の二つの中学校では、補強していなかった校舎に亀裂が入りましたが、補強工事をしていた中学校は頑丈でした。

 (宮城県・辻畑尚史記者)


激甚災害の指定ぜひ

豪雨被害の水俣市(熊本)

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災害1カ月後も田んぼには車や農機具の残骸が残されたままになっていた=19日、水俣市宝川内

 七月二十日早朝、熊本県水俣市を襲った集中豪雨は、十九人が犠牲となる大きな被害を出しました。土石流で十五人が犠牲となった、同市宝川内(ほうがわち)集(あつまり)地区は畑が流され、田んぼにも数トンはある大きな石が大量に流れ込み、農業の再建には長い道のりが予想されます。

すべて流された

 このなかで、十四世帯の住民らは「何とか村を再建したい」との願いで、地元に造られた仮設住宅での新しい生活を始めています。

 水俣・出水地区農民連副会長の吉海英機さん(62)も村を再建したいと奮闘している一人。被災一カ月目の追悼の式では、地区の被災者の会代表として、「残された私たちは、これからのきびしい生活に耐え、一日も早く自分たちの生活を取り戻し、帰らぬ人となった人たちの供養と村の復興に向け村民一丸となって懸命に努力し助け合っていくしかありません」との誓いを新たにしました。

 吉海さんの家は、土石流が家の一部を破壊。ミカン畑も、一番収入が見込まれていたデコポンの畑は三分の二が流されてしまいました。

 「十三年かけて育ててきた木が流されてしまった。今年は、いつもよりいい出来だったので楽しみにしていたのに残念だ。新しく植えなおしても七、八年はかかるが、復旧させたい。そのためにも国の支援を」と訴えます。

 再建に必要な農機具は、二トントラック、トラクターなども、納屋と一緒にすべてが流されてしまいました。安全な農産物をと、農民連の仲間とともに、有機栽培をしている吉海さんにとって、魚粉、ナタネカスなどの肥料の原料が流されたのも痛手です。

 仮設住宅に住む専業農家は五世帯。吉海さんは「農地の復旧は地区になくてはならないものだが、みんな負担がどうなるかが心配。収入のめどがつかないと家も建て直せない。負担の低くなる激甚災害の指定をぜひしてほしい」と訴えます。

 日本共産党県委員会は二十日、川上さちこ衆院熊本五区候補、松岡徹県議が現場に急行。水俣市議団(中山徹、清水晶夫、野中重男氏)も、地元住民と協力して被災者の声を聞きとり援助に乗り出しました。二十一日には小沢和秋衆院議員、仁比聰平衆院比例候補も現地入りし、災害を調査。小沢議員は、衆院災害対策特別委員会で激甚災害の指定など要望しました。

市が残骸撤去約束

 現地は、災害一カ月後も破壊された家がそのままで、田んぼには自動車をはじめ、家具などが放置されたまま。中山市議には、「壊れた家は自力で解体するが、廃材の受け入れ先もない」との訴えが寄せられました。

 党市議団は、さっそく市に要請。市に廃材の受け入れや残骸(がい)の撤去を約束させました。

 (熊本県・西田純夫記者)


国を動かす被災者の声

 宮城北部地震などで被災者の生活・住宅再建への国の公的支援を求める切実な声が浮き彫りになりました。

 政府はこれまで、「個人の私有財産(住宅)に公費は投入できない」との姿勢をとってきました。一九九五年の阪神・淡路大震災を契機に、被災者、国民の運動が広がりました。日本共産党は国会・地方議員を先頭に住宅と生活再建に公的支援を要求し、世論と運動を広げる努力を続けました。

 国民の粘り強い運動を背景に、九八年に成立した「被災者生活再建支援法」は全壊世帯などに最高百万円を支給するとしていますが、年齢・所得制限などがあり、被害住宅の23%にしか支給されていません。しかも支援金の使途に制限を課し、住宅再建支援は盛り込まれていませんでした。

 国の姿勢を変えるきっかけになったのが鳥取県の独自施策。鳥取県西部地震(二〇〇〇年)で、住宅再建に所得制限なしで最高三百万円を一律に支援することに踏み切ったのです。今年七月に全国知事会は住宅再建支援の制度化を求める緊急決議をあげ、宮城県も独自施策を打ち出しました。

 九州豪雨災害後の参院災害対策特別委員会で、鴻池祥肇防災担当大臣は住宅再建支援について、「政府としても平成十六年度(〇四年度)予算に反映できるように努めたい」とのべました。日本共産党の大沢辰美参院議員の質問に答えたもの。いま、被災者の声と国民の運動が国・政府を動かしつつあります。

 (地方部・小高平男記者)


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