日本共産党

2003年8月29日(金)「しんぶん赤旗」

池田小児童殺傷事件

宅間被告への判決(要旨)


 池田小児童殺傷事件で大阪地裁が二十八日、宅間守被告に言い渡した判決の要旨は次の通り。

 【責任能力の判断】

 一、弁護人の主張と裁判所の判断

 弁護人は、被告が当時、心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと主張する。付属池田小学校事件はわが国の犯罪史上例を見ない凶悪重大事件である。このように小学校で幼い子どもたちを次々と殺傷するなどということ自体、常人には思いつくことすら困難な所業である。被告は社会一般に対する恨みはともかく、殺傷した子どもらに対しても特に恨みがあったわけでもない。本件が常軌を逸して極めて異常な犯行であることは誰の目にも明らかであると言わなければならない。したがって、そのような点に着目し、被告の精神科受診歴も考え合わせるとき、被告人が何らかの精神疾患の影響等によって十分な責任能力を有していなかったのではないかとの疑問を生じるのは、それ自体は一応もっともなことである。

 しかし、審理の結果、当裁判所は、本件は被告の自己中心的で他人の痛みを顧みない著しく偏った人格傾向の発露であり、そこには精神疾患の影響はなく、犯行当時、被告は刑事責任を問うのに十分な責任能力を備えていたとの判断に至った。

 一、本件犯行に至る経緯

 被告人は、平成九年末ころ、妊娠中の妻(三番目の妻)から突然離婚話をきりだされ、同女が自宅を出るとともに被告人に無断で堕胎したことにショックを受け、そのことを深く恨むようになったが、他方では同女との復縁を強く望み、執拗に同女の身辺につきまとうようになった。平成十年六月には、清算金二百万円を受け取って離婚調停が成立したが、それでも同女に対する愛憎の入り交じった執着心は変わらず、被告人は、その後も、同女に対する傷害事件を起こした。平成十一年十二月、同女との復縁を果たすか、さもなくば同女から慰謝料名目で多額の金を取ろうと目論み、離婚無効確認の訴えを起こした。被告人は、この訴え提起に先立つ同年三月ころ、勤務先の小学校で傷害(薬物混入)事件を起こし、起訴こそ免れたものの、分限免職処分を受けて公務員の職を失い、その後いくつかの職に就いたが傷害、暴行事件を起こすなどしてどれも長続きせず、平成十三年二月ころからは無職となり、消費者金融に借金をしていたこともあって、生活を立て直すために三番目の妻から慰謝料を得ることに強い期待をいだくようになった。しかし、訴訟は思うように進まず、被告人は、気にくわない近隣住民の自動車をパンクさせる嫌がらせをして、憂さ晴らしをするなどしていた。被告人は、経済的にも精神的にも行き詰まりを感じ、同女の殺害を考えたが、うまくいかないだろうと思い直し、また、自殺も試みもしたがこれも果たさなかった。被告人は、うっ屈した思いを強め、かねて嫌っていて音信も途絶えていた父親に電話をし、窮状を訴えたが相手にされず、いよいよどうにもならないという気持ちを強めて自暴自棄となり、以前から空想していた大量殺人を実行して自分と同じ苦しみを多くの人間に味わわせてやろうなどと考え始めた。そして、本件犯行前日の同年六月七日、幼い子どもであれば抵抗されずに大勢を殺害できると考え、かつて入学を希望して叶わなかった附属池田小学校の子どもたちを無差別に大勢殺害しようと決意するに至った。

 一、精神鑑定の信用性

 捜査段階と公判段階の両鑑定は、被告が人格の偏りは極めて大きいものの、精神疾患に罹患(りかん)しておらず、犯行当時の精神病性の精神症状を呈していなかったとする。その結論の信用性は高いと認めるべきものである。

 両鑑定によれば、被告の中脳に病変が認められるものの、この病変は精神症状とは関係ないとの結論は一致している。また、鑑定によれば、前頭葉機能になんらかの障害の存する可能性がうかがわれる。しかし、これもその所見は軽微で疾患特異的なものではなく、脳に粗大な器質性、機能的損傷は発見されないというのであって、結局、被告には心理的発達障害の素因となるべき脳の器質的機能異常が存する可能性のあり得ることは格別、精神症状の原因となるものと断ずべき脳の器質的障害は存しないと認めるべきである。

 一、人格・性格の傾向

 被告は妄想性、非社会性および情緒不安定性(衝動型)の複合的人格障害者ないしは他者に対して冷淡、残忍、冷酷な情性欠如を中核とする人格障害者であって、しかも、自己中心性、攻撃性、衝動性が顕著で、その人格障害の程度は非常に大きいと認められる。その人格障害は、仮に被告人の脳に心理的発達障害の素因となるべき器質的機能異常が存したとしても、それ自体を精神疾患とはいい難く、また、被告が統合失調症(精神分裂病)等の精神疾患に罹患していないことも認められるのであるから、このような人格の偏りが何らかの疾患を原因とするものではないことも明らかである。そうすると、被告人に認められる人格傾向の著しい偏りそれ自体は、責任能力に直ちに影響を及ぼすものではないと言わなければならない。

 一、犯行動機

 被告は当時、そのプライドを支える唯一のよりどころともいうべき公務員の職を失い、強く望んでいた三番目の妻との復縁はもとより、この女性から金銭を得ることすらかなわぬことが次第に明らかとなった。仕事も長続きせず、経済的にも社会的にも行き詰まりを感じ、何もかも自分の思惑通りにならないなどと憤まんを募らせた。そもそも公務員の職を失ったのも三番目の妻のせいであるなどと筋違いの怒りをたぎらせてこの女性の殺害を企図したが、確実に殺害できる自信がなかった。

 このため、その怒りの矛先をこれまで自分に不愉快な思いをさせ続けてきたとして社会一般に向け、以前から空想していた無差別大量殺人を実行して自分と同じ苦しみを多くの人に味わわせたいなどと考えるようになり、あれこれ殺害計画を考えた揚げ句、小学生であればたやすく大勢を殺害できるなどと思い至り、被告の目から見た社会の象徴ともいえるエリートの子弟が集い、自らもかつて入学を希望したがかなわなかった池田小の子どもたちに狙いを定めた。

 そのような常人にはおよそ理不尽でとっぴとしか考えようのない動機ないしその形成過程も、被告の人格の延長上にあるものと位置づけることができ、極端な人格の偏りのある情性欠如者たる被告がそのような動機から犯行を決意し、これを実行したとしても、それが被告の本来の人格からすらも逸脱した全く了解不可能なものであるなどと到底認められない。結局、本件凶行は被告の本来の人格の所産というべく、統合失調症等の精神疾患がもたらしたものではないと認めるべきものである。

 【量刑の理由】

 一、事件の結果の重大性、犯行の残虐性、遺族の被害感情、社会的影響、犯行動機、犯行後の情状等々本件に現れたありとあらゆる事情が、いずれも、被告の刑事責任がこの上なく重大であることを示している。罪刑の均衡、一般予防、特別予防等々いかなる見地からも、被告に対しては、法が定める最も重い刑をもって処断する以外の選択肢はないというべきである。

 一、所感

 池田小学校事件は誠に悲惨な事件である。もとより、本件は被告人が自らの意思によって惹起(じゃっき)したものであり、本件の刑事上の責はすべて被告が負うべきものである。ただ、被告の刑事責任の有無と程度を判断するのが当裁判所に課せられた責務とはいえ、本件の審理に当たって、当裁判所は、子どもたちの被害を防ぐ手だてはなかったものか、子どもたちの被害が不可避であったはずはない、との思いを禁じ得なかった。せめて、二度とこのような悲しい出来事が起きないよう、再発防止のための真剣な取り組みが社会全体でなされることを願ってやまない。


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