2003年8月25日(月)「しんぶん赤旗」
今月四日、中国黒竜江省チチハル市の工事現場で五個の金属缶が発見されました。作業員や住民が開けたところ中に入っていた液や気体で四十三人が中毒症状や水ぶくれを起こして入院、このうち一人が二十一日、死亡しました。日本軍が遺棄した化学兵器マスタード(イペリット)ガスでした。終戦から五十八年たった今日まで、遺棄化学兵器問題に真剣に取り組んでこなかった日本政府を追及する声が中国、日本の双方からあがっています。
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黒竜江省チチハル市で旧日本軍の遺棄化学兵器の被害を受けた人たちのようすを中国国営通信、新華社(電子版)が伝えています。
毒ガスで汚染された盛り土のそばで遊んでいた高明さん(9っ)の左足は水膨れで腫れ上がり、歩けなくなりました。両親は失業中。母親が百二十元(約千八百円)のお金を工面して入院させました。
河南省出身の出稼ぎ労働者、李貴珍さん(31)は、廃品として買い取った金属缶から飛び出した毒液をかぶって、全身の95%が焼けただれました。吸い込んだガスで呼吸困難となり二十一日に亡くなりました。父親は、慰謝料や扶養費、葬儀費用など七項目の補償を日本政府に求めています。
中国国内には、旧日本軍が敗戦で河川に投棄したり土中に埋めた化学兵器が中国の推計で二百万個(日本の推計では七十万個)残っているといいます。これまでに十以上の省で旧日本軍の遺棄化学兵器が発見されました。新華社によると、戦後約二千人が被害に遭い、大部分が人の助けを借りないと生活できない状況に追い込まれているといいます。
華中、華東、華南でも遺棄化学兵器は発見されていますが、一番集中しているのはチチハル市を含めた東北地方。新華社は『チチハル軍事史』をもとに、同市郊外に関東軍化学部の五一六部隊が置かれ、対ソ連戦に向けた化学兵器の研究、実験、製造が行われたとしています。日本の降伏後、大部分の装備と毒ガス弾が分散して埋められ、投棄されました。
経済発展で農村の開発が進めば、悲劇がさらに拡大するとの指摘があります。兵器の腐食によって中身が漏れ出し、環境を汚染する心配もあります。しかし、日本政府による撤去作業は遅々として進んでいません。
被害者たちは、経済的困難と後遺症の恐怖を抱え、日本政府に賠償を要求しています。来日して国会議員への申し入れや講演することも予定しています。チチハル市も現場の処理費用や被害者の身体的、精神的損害など四項目に対する補償を求めています。
中国では、今回の事件が日々詳しく報道され、怒りと批判、日本政府に誠実な対応と補償を求める声が広がっています。日本政府が応じない場合、日中の弁護団が協力して訴訟を起こす準備も進んでいます。
中国政府は事態を重くみて、日本政府に厳しく抗議しています。
八日には、中国外務省の傅瑩アジア局長が日本大使館の公使を呼んで厳正な対処を申し入れたほか、王毅外務次官が十二日と二十二日の二度にわたって日本の阿南惟茂大使を呼び厳重抗議。チチハル市の補償要求を伝えました。温家宝首相は十日、訪中した福田官房長官に「歴史の問題は中国国民の感情に触れる敏感な問題でもある」と対処を求めました。
日本政府は調査団や医療団、専門家チームを現地に派遣。十二日には遺棄化学兵器が旧日本軍のものであると認めました。福田長官は二十二日の記者会見で死者に「お悔やみ」を述べ、対応を約束しました。しかし、被害者からの賠償要求にこたえる姿勢は見せていません。
日本政府は一九九一年に国際的な圧力のもとでようやく遺棄化学兵器の存在を認め、一九九九年には日中両国政府が遺棄化学兵器の処理に関する覚書に署名しました。この中で日本政府は国際的な義務を誠実に果たすことを表明し、化学兵器の処理と廃棄に必要な資金、技術、専門家、設備などを提供し、原則として二〇〇七年までに処理を終わらせると約束しました。日本には、遺棄した化学兵器の廃棄に責任があります。(雨河未来記者)
化学名はジクロロエチルサルファイド。初期の製造方法では不純物を含みカラシ臭がしたことからマスタード(カラシ)剤と呼ばれます。第一次大戦末期の一九一七年にベルギーのイープル付近でドイツ軍により初めて化学兵器として使用されたことからイペリットの別名があります。
皮膚、目、呼吸器などに触れると、水ぶくれ(びらん)や炎症を起こし、呼吸困難を引き起こします。暴露当初は痛みがなく、数時間してから障害が現れるという特徴があります。骨髄、脾臓(ひぞう)、リンパ組織にも損傷を与え、発がん性があり、慢性呼吸器疾患や感染症にかかりやすくなるなどの長期にわたる後遺症もあります。また地面や衣服などに付着して長時間残留します。
第二次大戦中、旧日本軍は大量に製造した毒ガス兵器を中国に持ち込みましたが、主要なものはマスタード剤だといわれます。
イラクは一九七九年から八八年にかけてのイラク・イラン戦争で大量の化学兵器を使いましたが、その一割から二割がマスタード剤だといわれます。
九七年に発効した化学兵器禁止条約は化学兵器の製造、保有、使用を禁止、二〇〇七年までに保有する化学兵器を廃棄することを義務づけられているだけでなく、他の締約国に遺棄した化学兵器も同年までに廃棄することを義務付けています。同条約上からも日本は遺棄化学兵器を廃棄しなければなりません。