日本共産党

2003年8月18日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPRESS

平和ミュージアム建設

ヤシの葉で屋根ふく


26歳かやぶき職人

この秋ロンゲラップへ

ビキニ被ばく女性と

世界大会で出会った

図

 二十六歳の女性かやぶき職人がこの秋、「ロンゲラップ平和ミュージアム」建設のためにマーシャル諸島を訪れます。草ぶきの屋根をボランティアでふくのが目的です。

 「自分の職業が、平和のために生かせたらと思って」と明るい声で語るのは、福島県霊山町に住む大橋百合子さん(26)。その大橋さんを実の娘のように抱きしめるのは、マーシャル諸島ロンゲラップ環礁で被ばくしたヒロコ・ランギンベリックさん(61)です。ロンゲラップ自治体議員をつとめています。

 「実にうれしい。あなたが来たら、私のうちに泊まって」とランギンベリックさん。「楽しみにしています」と大橋さんの笑顔がはじけます。

 二人が出会ったのは、原水爆禁止二〇〇三年世界大会の関連行事として開かれた「マーシャル代表との連帯・交流のつどい」(八日、長崎市)の会場です。

衝撃を受けて

写真

ロンゲラップ平和ミュージアム完成予想図

 大橋さんは、新潟県の長岡造形大学で歴史的建造物の修復・保存を学び、大学卒業後、男ばかり、全国で百人ほどしかいないといわれる“かやぶき職人”の世界に飛び込みました。

 昨年三月一日に静岡県焼津市で開かれた「ビキニデー」に知人に誘われて参加するまでは、「ビキニのビの字も知らなかったし、平和運動というのをやっていることも知らなかった」といいます。

 大橋さんにとってビキニデーは「ショックの連続」でした。「自分の知らないことがいっぱいある」と感じました。一九五四年三月一日に「第五福竜丸」など多くの日本漁船がアメリカのビキニ水爆実験で被災したことを初めて知りました。なによりも同世代の青年がたくさん平和運動に参加していることに衝撃を受けました。

「火がついた」

 次いで参加した昨年の原水爆禁止世界大会で、「火がついた」といいます。「福島でもなにかやりたいね」と仲間たちと語り合い、アメリカの同時多発テロから一周年に当たる九月十一日に急きょ、ピースライブを開催。アメリカの無法なイラク戦争をやめさせようと、ピースキャンドルで市民に訴えました。

 一方のランギンベリックさんは、ビキニ水爆実験で被ばくした当事者です。当時、十二歳。友だちと食事をつくっていた早朝に、せん光と爆風をあびました。午後、ヤシの実をとりにいき、空から降ってくる白い粉をかぶりました。「死の灰」でした。夜中に気分が悪くなり、吐きました。

 アメリカによって無警告で核実験に遭遇させられた八十数人の島民は、三日後、米軍艦に乗せられ、移住させられました。毎日、血液を検査され、皮膚をサンプルとして取られました。一九五七年にアメリカの「安全宣言」で帰島しましたが、以後、死産や奇形児出産に悩まされます。ランギンベリックさんも流産を繰り返し、甲状腺を病み、手術しました。

補償訴え続け

 一九八五年、再び、島民は他の環礁や島に避難していきます。現在、汚染除去作業がすすんでいますが、ロンゲラップ環礁のなかの島のごく一部にすぎません。ランギンベリックさんは、アメリカなどを精力的にまわり、被ばくの実相と十分な補償を訴え続けています。

 こうしたロンゲラップのたたかいを支援しようと日本でとりくまれているのが、「ロンゲラップ平和ミュージアム」設立協賛募金運動です。ビキニ核実験の被害と影響、島民らのたたかいを展示するミュージアムをマーシャル諸島共和国の首都マジェロに建設するため、日本で一千万円の募金を集めようととりくまれています。

自然にあう草

 「これだあと思ったんです」と大橋さん。募金を訴えるパンフに載っているミュージアムの完成予想図は、かやぶきのように見えました。さっそく支援先に手紙を書き、十月の着工に合わせ、マジェロに行くことが決まりました。ミュージアムは、コンクリートの建物のうえに、パンダナスやヤシの葉で屋根をふいていくようです。

 「物をつくるのって、自分の子どもができるのと同じ。私が屋根をふいたあの家は、いまごろ、しっかりと雨風をしのんでいるかなって、本当に気になるんです」と語ります。「そこの土地にある草を使うということは、そこの自然にそうものだから間違いない」。大橋さんは、草ぶきのミュージアムを頭に描きます。

貯金し行こう

 今回の世界大会参加で、静岡県の医学生らが核被害の調査のためにマーシャル諸島を訪れていることを知り、現地の情報をきくことができました。仲間の輪がどんどんひろがっています。福島県でも、周りの青年から「貯金をしてマーシャル諸島へいこう」という声があがっています。

 大橋さんは「『マーシャルにいくんだ』という話をきっかけに、みんなに平和の問題を知ってもらえたら」と話しています。

 「ロンゲラップ平和ミュージアム」は被ばくから五十周年の来年三月に開館をめざしています。(内野 健太郎記者)


お金より大事な愛、友情…

ちょっとおとなになったかな

イラク人医師と話した夏

講演会開いた高校生 豊田龍佑さん

 七月から八月にかけて、二人のイラク人医師が日本を訪れ、劣化ウラン弾の被害を受けているイラクの子どもたちを救ってほしいと訴えました。名古屋市では、高校生を中心とした実行委員会が「イラクのお医者さんと話そう」という企画をしました。実行委員長の高校二年生の豊田龍佑さん(16)はとりくみを通じて、「ちょっとおとなに近づいた気がする」と話しました。

 イラクのお医者さんは日本について、「広島・長崎に原爆を落とされた国」と話していました。いっしょに核兵器の被害をなくすためにがんばろう、と。それを聞いて、日本を信頼してくれているんだなあ、とうれしくなりましたね。「信頼」はお金じゃ買えないこと。誇らしくなりました。

 一方で自衛隊という軍隊がイラクへ行こうとしているでしょう。イラクの人への印象が悪くなってしまいます。いま、好意を寄せてくれているのに、今度どこかでイラクの人に会ったとき、拒否反応を示されたら絶対つらい。

 僕は小泉首相は嫌いじゃないんです。でも、イラクではまだ大量破壊兵器があったという証拠さえ見つかってないのに、「われわれのやっていることは歴史が評価する」なんていったでしょう。何いってんだ、と信じられませんでしたよ。

 実は僕、「人の気持ちなんて信用できない、形のあるもの、たとえばお金の方が信用できる」と考えていたんです。政治家が金で動くのも当たり前。政治をよくしようといったって、結局もとに戻るだけだろう、と。

 でも、イラクの医師と話す集会をつくるなかで、覚成寺フレンズという平和サークルや高校生平和ゼミナール、名古屋YWCAの人たちと知り合いになって、考え方が変わってきてるんです。お金より、愛や人情、友情の方が大事じゃないかって。「気持ちを大事に」という価値観があるって。

 こういう集会をやったって、世の中は変わらないかもしれない。でも、変わるかもしれない。すぐには無理でも百年後はどうなるか分からない。以前は、分からないのに行動するのはムダだと思っていた。今は、ダメかもしれないけど、できることはやってやろう、という気持ちです。


自転車で「平和の旅」1,800キロ

川崎〜長崎を往復

 愛車のロードレーサーで千八百キロに及ぶ道のりを旅してきました。真っ黒に日焼けした柳田智明(としあき)さん(22)はこの夏、原水爆禁止世界大会に参加するため、実家の神奈川県川崎市から長崎市の間を自転車で往復しています。

 「一日百キロを目安に走っています。道を間違えることもありました。瀬戸大橋を見ようと海沿いを行くつもりが、いつの間にかひたすら山道を登っていたり」。屈託なく笑います。

 広島、長崎では原爆資料館を訪れ、被爆者のリアルな体験に圧倒されました。

 「もともとは気弱で人見知りだった」といいます。他人と打ち解けるのが苦手でした。高校一年生のときに留年して、二度目の一年生の一学期に退学。町工場に就職しましたが、昨年八月、うつ病で辞めました。

 ことしの夏、以前から参加したかった原水爆禁止世界大会に行くことを決めました。「だいぶ(病気が)よくなってきたのと、人生でこれだけの時間があるときはないだろう、と思って」

 宿に泊まるとき、道を尋ねるとき、見知らぬ人にも自分から声をかけるようになりました。「海沿いを行くにはこの道だよ」などと親切に教えてくれました。車から「がんばれ」と励ます人もいました。

 「人ってあったかい」と柳田さん。帰りも自転車です。八月中に帰りつけるかどうか分かりませんが、行きに立ち寄ったところをまた訪れよう、と考えています。

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