2003年8月15日(金)「しんぶん赤旗」
日本軍国主義の戦争責任と日本の進路の問題について、日本の植民地支配時代の台湾に生まれ、日本で育ち、いま中国天津社会科学院教授の郭承敏さんに聞きました。(北京で小寺松雄)
私は一九二七年、日本支配下の台湾で生まれ、育ちました。師範学校一年生だった一九四〇年、あの「創氏改名」が台湾でも押し付けられました。私は「賀来敏夫」にされてしまったのです。
欠席届などに本名を書いて、上級生になぐられたこともありました。日本人学生とけんかをしても「黙れ、チャンコロ」でおしまいです。侵略と植民地がいかに人間性を破壊するかをこの目で見ました。
翌年、台湾を飛び出し、いとこを頼って名古屋へ。そこで旧制中学校を卒業しました。その過程でわずかですが民族的目覚めはありました。
終戦の日は茨城の滑空専門学校で迎えました。周りの学生はぼう然としていましたが、私は「ああ終わったんだな」と感じました。この日で私の「賀来」生活も終わりました。
一九四七年に旧制一高に入り、マルクス主義を学び、四九年に中華人民共和国の成立を迎えます。翌年の卒業後、新中国の建設に貢献しようと中国へ渡りました。以後、主に翻訳部門で仕事をしてきました。
一九九一年からの十年間、日本の沖縄の大学で教壇に立ちました。太平洋戦争ですさまじい地上戦があった地です。今日でもアメリカの軍事基地の「占領」状態や数々の米軍犯罪を目の当たりにしました。
沖縄もまた明治以降に「同化政策」の名のもとに独自の言葉や文化を奪われた歴史があります。かつての植民地台湾、日本の侵略にさらされた中国とダブります。
こういう経歴の私ですので、いま中国から見ていて、日本の侵略戦争とそれをめぐる歴史観について特に二つのことを感じていま。
第一は、日本は本当に戦争責任を自覚しているのかという点です。
「植民地支配と侵略」への「反省とおわび」を表明した一九九五年の村山首相(当時)談話を、その後の政府指導者は口にはしますが、“これは村山さんの言ったことで、私の発言ではない”というご都合主義の思惑が見え隠れします。村山談話を口にする一方で、A級戦犯をまつる靖国神社参拝をする小泉首相はその代表でしょう。
また日本の一部の人々は、一九七二年の日中国交回復の際、中国の周恩来首相が戦時賠償要求の放棄を表明したことで、日本の戦争責任が免除されたかのようにいいます。これも事実をみない議論です。
南京大虐殺と並んで日本軍の残虐行為の最たるものといえる皆殺し作戦や化学兵器の人体実験、華南地方での細菌戦の実相も、もっと明らかにされるべきだと思います。
第二は、昨年あたりから中国の論壇に現れた、「侵略戦争についての日本の謝罪問題は解決している」「日本の国連安保理常任理事国入りを支持する」などの意見をどうみるかです。
これらは中国の世論や国民の感情を代表したものとはとてもいえません。前者は先に述べたような政治家の発言や、日本の保守・右翼勢力の実態をリアルに見ていません。後者は、日本がアメリカの事実上の従属国となっている実態を認識していないといえます。
日本の戦争責任はいまだに清算されていないのです。