2003年7月13日(日)「しんぶん赤旗」
四百万人にのぼる国と地方の公務員のあり方を大きく変える公務員制度「改革」をめぐって、政府・与党が今国会への法案提出の動きを崩していません。半世紀ぶりともいわれる「改革」の主な論点は――。
今度の「改革」は、二〇〇一年の省庁再編を機に公務員制度を改変しようというのが発端です。
小泉内閣は、経済財政諮問会議などにみられるように、一部の閣僚と財界代表、官僚などが大企業本位の国家戦略・政策を決める仕組みをつくる一方で、執行部門は独立行政法人化や民間委託などで切り離すことによって「行政のスリム化」をすすめています。これに対応した公務員制度に改変しようというのです。
公務員制度改革と聞いて国民がいの一番に思い浮かべる「天下り」はどうなるのか。
現在は、第三者機関の人事院が事前承認していますが、これを閣僚による承認制に変更します。「お手盛り承認」と批判されたため、幹部職員について「当分の間、内閣の承認を得る」との付則を設けましたが、その範囲は政令に任せるなどきわめてあいまいです。
しかも、道路公団はじめ特殊法人などへの天下りはそもそも規制対象に入っていません。これでは「天下りの自由化」であり、政権党による人事介入が強まるだけです。
民間企業の社員を公務員として一定期間採用する場合、いったん退職しなければならない現行制度を改め、企業に在職したままの採用を可能にします。企業と行政の癒着をいっそう深めかねません。
政府案では、政府から独立して国家公務員の人事行政をおこなっている人事院の権限を縮小し、政府・各省の権限や裁量を強めるものになっています。
その大きな柱が「能力等級制」の導入です。
現在、公務員の給与は「職務」に応じて決められています。これを改め、一人ひとりの「能力」を「評価」して、それによって給与などを決める仕組みに変えます。
「能率的な運営の確保」といいつつ、公務員間の競争を強めるのがねらいです。しかも、評価するのは上司であり、客観的な評価基準もなく、恣意(しい)的な評価に利用されることは避けられません。
憲法にもとづき国民に奉仕すべき公務員の仕事が、一方的な上司の評価によってゆがめられることになりかねません。
一方で、I種、II種という採用試験の違いだけで差別し、一握りの「エリート官僚」を育成していく人事管理システムは温存されたままです。
公務員は、憲法で保障された労働三権(団結権、団体交渉権、スト権)を制約されています。戦後の占領時代にマッカーサーの指示によってつくられたものです。消防職員や監獄職員を除いて労働組合を作ることはできますが、使用者と団体交渉で労働協約を締結する権利がなく、ストライキ権もありません。
人事院は、こうした労働基本権制約の「代償措置」としての機能も持っています。この人事院の機能を縮小して、新たな人事制度を導入するのであれば、労働基本権を与えて労使対等での交渉で勤務条件を決定できるようにすることが求められます。
すでに、国際労働機関(ILO)結社の自由委員会は、昨年十一月と今年六月の二度にわたって日本政府に労働基本権を認めるよう勧告し「すべての関係者と率直かつ有意義な協議を速やかに行う」よう求めています。ところが小泉内閣は、労組とまともな協議もしないまま、労働基本権の制約を維持することを一方的に決め、その結論だけを押しつけようとしています。
政府案の作成にあたっている内閣の行革推進事務局が労組とのまともな協議もせず、国民的な議論もないまま、密室で作業をすすめていることも問題です。「能力等級制」の導入は重大な勤務条件の変更になり、団体交渉事項にするのが当然です。労組との協議も尽くさず合意もないもとでは法案提出の前提が崩れています。
(深山直人記者)
日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)の小田川義和書記長の話 「公務員を一握りのエリート層とその他大勢に分け、エリート競争から外れた官僚には天下りで再就職先をあてがい、その他の一般公務員は能力等級制で管理を強化するものです。公務員は国民の奉仕者でなくなり、財界・大企業の奉仕者に変えられていきます。
世論の批判で天下り承認制を手直しせざるを得なかったように、今のままでは国民との矛盾は避けられません。提出予定の法案は撤回し、やり直すべきです。行政を内部からチェックするためにも欠かせない労働基本権の確立をはじめ、天下り禁止やキャリア制度の廃止など、国民が求める改革をやるべきです。