2003年6月16日(月)「しんぶん赤旗」
情報公開法が二〇〇一年四月に施行されて二年あまりになります。防衛庁の場合はどうか。陸上自衛隊のヘリコプター接触・墜落事件の事例から、検証します。(羽室音矢記者)
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この事故は二〇〇一年二月、千葉県市原市の郊外にあるインターチェンジ上空で起きたものです。陸上自衛隊の対戦車ヘリと偵察ヘリが接触、偵察ヘリが高速道真横の山林に墜落し、二人のパイロットが命を落としました。七百メートルにわたって残がいが散乱。北へ約四百メートルにはガソリンスタンドがありました。一歩間違えば、いっそう重大な事態になるところでした。
墜落現場では、自衛隊ヘリの訓練がたびたび目撃されており、事故を起こした木更津駐屯地は、今回を含めて九年間に三回も墜落事故を起こしています。木更津市議会は事故直後、「事故の原因究明はもとより、再発防止のため徹底した航空機の管理及び安全な訓練の実施に万全を期す」ことを求めた決議をしています。
陸上自衛隊はしばらく訓練を見合わせていましたが、同年七月、事故について「調査結果の概要」と題したA4判一nの文書を公表しただけで、訓練を再開しました。
日本共産党の小泉親司参院議員が国政調査権に基づいて、詳細な報告を求めました。防衛庁は「事故調査報告書」をA4判六枚に要約した「抜粋」を提出してきました。私は情報公開法に基づいて、事故調査報告書全体の公開を請求。同庁は同年十二月、部分開示に応じました。全部で六十九nありました。
これにより、事故を起こした部隊は、首都圏全域の人口密集地で訓練を行い、千葉県内では高速道路を目印に訓練ルートにしていること、実戦さながらにヘリの明かりを半分かくして飛ぶ、危険な夜間訓練を住宅地上空でしていたことが判明しました。(本紙二〇〇二年三月十二日付など既報)
事故内容が少し明らかになりました。原則非公開から原則公開へ、情報公開法の効果が示されています。
しかし、重大な情報が墨塗りにされていました。事故を起こしたパイロットの飛行経験はいずれも、非公開でした。乗員の氏名、飛行時間、証言なども墨塗りでした。民間機の事故であれば公開される情報です。
昨年五月、隠された部分の公開を求め、情報公開審査会に不服申し立てをしました。安全より軍事を優先する自衛隊の体質を問題にしたかったのです。死亡したパイロットの氏名は、事故発生当時、防衛庁が公開して新聞で報じられたものでした。一度公に明らかにした情報を、自衛隊は「個人情報」や「国家安全情報」(軍事機密)にあたるとして、再び非公開にしたのです。
私は、公開こそが制度の原則であり、行政が意図的にここからは「特別」などと線引きをする行為は認められていない、と主張。事故原因は、公開して、教訓化するべきなのであって、二度と事故を起こさないためにも、積極的に情報を公開せよと迫りました。
公開の是非を判断するのは、情報公開審査会です。総理大臣が任命した九人の委員で構成され、裁判所と似た機関です。約一年一カ月後、結果が返ってきました。一度公開した情報は、「事故直後は多数の関係者から喫緊の要請がある」から特別だった、などとする防衛庁側の言い分を全面採用しました。過去の最高裁判例もあって、一度公開した情報は非公開にするべきではないという行政上の原則があります。今回は、非公開が認められないはずでした。審査会が「特別な場合」という逃げ口上を許しては、情報公開の原則が形がい化する危険を感じます。
こうしたなか、防衛庁が情報公開請求者のリストを作り、思想信条にかかわることまでひそかに調べ上げていたことが発覚、大問題になりました。そのリストの中に、私の名前もあります。請求者をひそかに調べ上げ、犯罪者のように監視する体質に怒りがわきました。
これは、進んで情報を公開しない自衛隊の秘密体質と根は同じです。昨年三月、大分県で自衛隊ヘリの夜間墜落事故が再び起きて四人が亡くなりました。今も自衛隊の事故が減らないことと、その秘密体質は結びついていると思えてなりません。
情報公開法 国民主権の理念にのっとり、行政機関が保有する情報を原則として公開し、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政推進が目的の法律。国の内外を問わずすべての者に情報開示を求める権利を与えています。正式名は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」。