日本共産党

2003年6月5日(木)「しんぶん赤旗」

CS放送 朝日ニュースター

志位委員長語る

内外情勢のいくつかの焦点について


 日本共産党の志位和夫委員長は四日放映のCS放送・朝日ニュースターの「各党はいま」に出演し、イラク問題、北朝鮮問題などの外交問題、「地方分権」などの内政問題について質問に答えました。聞き手は、朝日新聞政治部記者の峰久和哲氏。

イラク戦争と世界の平和秩序をめぐって

 峰久 まずイラク問題ですが、日本の小泉さんの場合は、ブッシュさんにたいして全面的な協力という対応をしているわけです。フランスのシラクさんなどは硬軟取り混ぜて、なかなかしたたかな外交をしているようなんですが、このアメリカとフランスの首脳外交についてどうみておられますか。

「二十一世紀の世界はどうあるべきか」−−「一国主義」でない「多極的世界」を

 志位 私は、イラク戦争後、「二十一世紀の世界はいかにあるべきか」という問題について、フランス、ロシア、中国など、イラク戦争に反対した諸国が、なかなか注目すべき発言をしていると思っています。

 一つ注目したのは、フランスのシラク大統領が、サミット直前に、イギリスのフィナンシャル・タイムズで発言しているのですが、「正当性を欠く戦争というものは、戦争に勝ったとしても、正当性を得られるものではない」と、イラク戦争に対する原則的な立場をのべ、そして、「アメリカは単独主義的な世界ビジョンをもっているが、私は明らかに、これに反する多面的な世界ビジョンをもっている。ヨーロッパもあり、中国もあり、インドもある、こういう多極的世界のビジョンをもっている」とのべています。

 だいたい同じ時期に、中国の胡錦濤主席とロシアのプーチン大統領が首脳会談をおこなって、共同声明を発表していますが、ここでも「一国主義」について「新たな不安定要素」だとして、「公認済みの国際法上の原則を基礎として、多極的で公正かつ民主的な国際秩序を確立すべきだ」と言っています。それぞれプーチンさんも、胡錦濤さんも、「多極的国際協調のもとでの国際法の基礎の上に立った民主的な国際関係」を強調しています。これらの一連の発言はひじょうに重要だと思います。

 けっして無法な戦争について追認していない。これはやはり認められない不当な戦争である。正当性を欠いた戦争であった。そして、「一国主義」ではない、「多極的な世界」を構築すべきなのだというスタンスが明りょうに打ち出されているのは、ひじょうに大事な方向だと思いました。

無法な戦争は認めないが、可能な協力はおこなう−−これが普通の外交のあり方

 志位 同時にもう一つ、私が、一連の動きで注目しているのは、アメリカにたいしてイラク戦争、「一国主義」など、まずい点はまずいというわけですが、しかし可能な範囲では協力をしていこうという立場もあるんですね。たとえば(仏、ロ、中は)イラクにたいする経済制裁を解除した(安保理)決議一四八三に賛成したわけですが、決議が採択されたさい、フランス、ドイツ、ロシアの三国の外相が共同会見をやり、そこでロシアの外相が「これは戦争を合法化するものでは決してない」とのべています。

 このように、アメリカの戦争を決して追認しないけれども、協力できる範囲では国際協調の足がかりをつくって、(国連中心に)戻そうじゃないか、「これはこれ、それはそれ」でやっていくということです。これは普通の国の外交のあり方だと思うんですね。

 ところが日本には、これがないんですね。日本はアメリカに全部賛成しなければならないと思い込んでいる。まずい点はまずいと、協調できる点は協調というような外交が、日本の場合にはないというのが、ひじょうに不幸だと思います。

大量破壊兵器の真相究明を−−窮地に立つブレア首相と、小泉首相の立場

 峰久 小泉さんがイラクへのアメリカの戦争に賛成した最大の理由にあげていたのが大量破壊兵器なのですが、いまだに出てこない。そのことについては。

 志位 私は党首討論でこの問題を提起したことがありまして、戦争賛成の最大の理由だった大量破壊兵器が出てこない。だから国連の査察団を復帰させて検証する必要があるのではないかということを提起したことがあります。小泉首相はそのときに、いま治安が問題だけれども、治安の問題がなくなったら検討できるのではないかと、ともかく答弁しました。いまはもう、治安を理由に国連査察団が戻れないという理由はたたないはずです。国連の新しい決議一四八三でも、「査察団の復帰を検討する」という項目がありますから、私は査察団を戻して、大量破壊兵器問題についての真相を全世界に明らかにすることが、どうしても必要だと思います。

 いまイギリスでは、ブレア首相が窮地に陥っていると伝えられています。イギリスではブレア首相が大量破壊兵器の問題について、「こういう証拠がある」、「ああいう証拠がある」とかなり詳しくいったわけですね。これが成り立たないことが明らかになって、労働党はもとより保守党の中からも、(批判が)噴き上がってたいへんな問題になっているわけです。小泉首相も同じ問題を抱えているわけです。真相を明らかにする立場に立たなかったら、これは説明がつきません。

「イラク新法」−−イラク国民の意思を尊重した復興に逆行し、憲法に反する

 峰久 そんな状況のなかで早くもイラク復興支援に対して、日本がどう対応するかという話で、「イラク新法」という話も出ています。新法をつくることについて志位さんはどういうふうに考えていますか。

 志位 今度の「イラク新法」というのはまだ形が出てきていませんけれども、自衛隊の派兵の法案になるということは間違いないことのようです。

 私は、イラクの国民の意思をふまえた復興をやっていくうえでは、米英軍主体の復興ではなくて、国連が中心的役割を発揮する復興にしていく必要がどうしてもあると思います。ですから、こちら(国連主体)の方での支援、これはすでに国連による人道支援がいろいろやられているわけですから、これに非軍事のやり方で日本が参加することは大いにありうることだと思うんですね。

 ただ、「イラク新法」というのは、こちら(国連主体)の方ではなくて、米英軍の軍事占領を兵たん支援する、それにいろいろな形で参加する、そのための自衛隊の派兵ですから、これはイラクの国民の意思を尊重したほんとうの復興に逆行する。すなわち、米英軍が占領のうえに新しい植民地的な支配をやっていく手助けを日本がやる。そのことによって矛盾がおきたら、自衛隊がイラクの国民に銃口を向けることになりかねない。ですから、イラクのまともな復興ということを考えても、自衛隊の派兵というのはこれに逆行するというのが一つです。

 それからもう一つは、憲法との関係ですが、軍事占領をやっている組織に自衛隊を派兵するということ自体が、武力行使につながるという問題をはらんでいますから、ここでも大きな問題であることはいうまでもありません。私たちは反対です。

イスラム世界に米国流のおしつけ――現代の「十字軍」は最悪の結果まねく

 峰久 イラク支援ということに対して、根本的な考え方についてうかがいたい。アメリカの姿勢は、いわばイラクという国にアメリカ的な民主主義、アメリカ的な市場経済、そういったものを移植しようという、そういう姿勢がもうありありと見えるわけですよね。もともと全然違った価値観をもった国に、無理やりアメリカ的な価値観をもっていく。こういう状況についてはどのようにお考えですか。

 志位 私は、これはほんとうにごう慢なやり方であるとともに、新しい矛盾と衝突を生む間違ったやり方だと思っています。まずイラクをそういうモデルの国にして、それをてこにして中東諸国を同じように、ドミノ倒しのように「民主化」をはかるという構想があるわけで、つぎにイランがそのターゲットにあがっているわけです。しかし私は、イスラム諸国との関係を考えるさいに、イスラムにはイスラムの独自の社会発展の探求があるし、模索もある。この独自の発展を尊重する。お互いに尊重しあう。異なる文明間の相互尊重、対話と共存、これが大事だと思うんですよ。

 それをイスラム社会というのは、いわば「文明の外」にある、だから「お前たちに民主主義を教えてやろうじゃないか」、「アメリカ型の政治システム、経済システム、社会システム、これに右にならえをすればいい国ができるんだ」と、こうやって押し付けていくやり方というのは、いちばん悪い現代の「十字軍」の再現であって、これはイスラム世界との関係で大変な矛盾と衝突を引き起こすことになるし、絶対に成功しないと、私は思います。

 イスラム諸国と私たちとはずいぶん交流をすすめ、私もパキスタンを訪問して感じたのですが、イスラム教というのは一つの宗教ですが、同時に政治システムでもあり、経済システムでもあり、社会システムでもあるのです。そのもとでイスラムなりの民主主義の発展の過程があると思うのです。パキスタンにもそういう過程があることを、私は行ってじかに触れてきましたが、そういう過程がありますね。イランにも、私は、イランなりの民主主義の発展の模索があると思います。それを全部無視して、ともかくアメリカ式が最善という、この独善主義が一番悪い押し付けであるし、これは決定的に深刻な結果を引き起こすと思います。

北朝鮮問題――「理をもった外交」で解決を

 峰久 つぎに北朝鮮問題なんですが、一連の首脳外交でも北朝鮮、いろんなところで出てきましたね。米中の首脳会談で出てきたし、日米でも出ている。サミットでも取り上げられた。そんななかで、日本の姿勢として、一つのキーワード「対話と圧力」というものがあるのですが、このキーワードについてはどういうふうに感じていますか。

 志位 「圧力」というものが何を指しているかというのはさだかではないのですが、私は「理を持った対話」、これが大事だと思っています。

 これは、この前の私たちの第六回中央委員会総会の報告でのべた外交的提起なのですが、たとえばいま北朝鮮が進もうとしている核兵器開発の道をいかに食い止めるかという問題があります。もちろん私たちはこれに反対であるわけですが、これを放棄させる場合、「あなた方は国際的な取り決めに違反している。これはけしからんことだからちゃんと守りなさい」というのは、これは当然なのです。同時に、北朝鮮がどういう「論理」で核兵器開発をやろうとしているか、この「論理」までさかのぼってみますと、彼らの最近の一連の言明をみますと、「物理的抑止力」あるいは「強大な軍事力」、これを持つことのみが自分たちの安全保障のカギなんだと、これがくり返しでてくるわけです。「抑止力」論と「軍事優先思想」ですね。ハリネズミみたいになっていくことが大事なんだという考え方で、核兵器の問題が位置づけられるのです。

「抑止力」論による核開発を放棄し、無法の清算で、国際社会の仲間入りを

 志位 そういう北朝鮮に対して国際社会は何と言うか。それは、報告で提起したのですが、北朝鮮にとって安全保障上の最大の問題というのは、「軍事力」や「抑止力」が足らないところにあるのではない。北朝鮮が国際社会で孤立していることにある。なぜ孤立しているかといったら、(国際的)無法行為が清算されていないことがある。ラングーン事件から航空機爆破、さらに拉致問題、さまざまな無法行為をやってきて清算をしていない。清算に一歩を踏み出そうとしたのが昨年九月(日朝首脳会談)だったのですが、それが進んでいない。そこに問題があるんだから、それを本格的に清算することによって国際社会の仲間入りをすることが、北朝鮮の安全にとってもベストの道なんだということを、いま言う必要があります。

 すなわち、「『物理的抑止力』論による核開発を放棄して、国際的無法の清算で、国際社会の仲間入りを」ということを、いま国際社会は大いに声をそろえて、いま北朝鮮に対して、まさに「理を持った外交」、これをやる必要があると思うのです。ほんとうの意味での「理をつくした対話」が必要です。相手は無法をやった国だから、そんな「理」は、なかなか通用しないんじゃないかという意見があるかもしれません。だけどそういう国であればあるほど、国際社会が道理をもって働きかける必要があるわけです。そういう働きかけがいま、大切だと思います。

地方財政問題――「三位一体の改革」をどうみるか

 話題が内政問題に移り、りそな銀行への公的資金投入問題についての質問の後、「地方分権」がテーマになりました。

 峰久 小泉改革の一つの柱として注目されているのが「地方分権改革」、とりわけ「三位一体の改革」という言葉が出ています。これは、国から地方への税源の移譲、補助金の整理・縮減、そして交付税の改革。これが「三位一体の改革」ということです。「三位一体の改革」についての基本的な考え方というのはどういうことでしょう。

国庫補助負担金、地方交付税の縮減−−住民サービスの大きな後退まねく

 志位 いま、(政府の諸部門で)さまざまな矛盾があるように見えます。ただ、矛盾があるなかでも、政府側の方針はかなり共通した流れがあるんですよ。「三位」といわれたなかで、二つの点−−すなわち、国庫補助負担金、地方交付税という、いわば地方への財源保障制度の二つの柱になってきたものを切り縮めていく、切り捨てていく。この方向性は、政府のさまざまな諸機関が一致しているわけです。私は、ここが一番の問題だと思っています。

 たとえば、国庫補助負担金を「改革と展望」の期間−−二〇〇六年度までに数兆円減らそうというわけでしょう。ところが、国庫補助負担金といいますと、イメージとして公共事業中心かなと思うかもしれないけれども、ここで対象となっている国庫補助負担金というのは、六割が社会保障関係、二割が文教関係です。つまり、あわせて八割が福祉・教育なのです。たとえば、お年寄りの医療費とか、介護の問題とか、あるいは義務教育とか、私学助成とか、こういうものです。こういうものに数兆円の規模でばさっと大なたをふるうということが、住民サービスの大きな後退につながるのは火を見るよりも明らかです。私たちは、こういう方向に反対です。

 もう一つ、地方交付税についていいますと、いまやられていることの本質は何か。地方交付税には、二つの機能があります。一つは、いわゆる財政調整機能というもので、自治体間に税収のアンバランスがある場合に調整するという機能があります。もう一つは、財源保障機能とよばれる機能で、いわゆる標準的な行政サービスを、どの自治体も全国きちんと保障するという機能があります。

 いまやられようとしているのは、この後者の機能−−財源保障機能を事実上なくしてしまおうと(いうことです)。「改革と展望」の期間にこれをなくしてしまって、財政の調整機能だけにしてしまうということになりますと、地方交付税のなかでの、一番の命ともいうべき、福祉と教育を支える機能をここでも奪ってしまうことになるわけです。ですから、これは、住民の側からすれば、二重に、福祉と教育と暮らしを支える財源が奪われるというのが、「三位一体」のなかでの二つの部分なのです。

 どうも政府のプログラムを見ますと、まずこれをやって、結局、住民サービスの切り捨てと受益者負担をひどくする。まず、それをやる。その上で、(地方への)「税源移譲」ということを問題にするのだけれども、出ているプログラムを見ますと、だいたい庶民増税ですね。たとえば、住民税をフラット化して所得の低い方の負担を重くする。あるいは消費税。こういうところで税源をまかなっていこうということで、これも増税という方向が待っている。すなわち、「入り口は福祉切り捨てと負担増、出口は増税」というのが、いまやられようとしていることです。

 私は、国庫補助負担金、地方交付税の削減に反対するという点では、全国の知事会とか、市長会、町村会とか、みんな一致して反対しているわけで、この共同をひろげて、地方切り捨てを許さないというところから、大いにその声をあげていくということが大事だと思っています。

 峰久 自民党の族議員も補助金削減には大反対しているんですけれども、それは立場が違うんですか。

無駄な公共事業にかんする補助金こそ改革のメスを

 志位 補助金の中でも、無駄な公共事業のヒモつき的な補助金という問題はあります。これは、当然、問題にしていかなければならない部分はあるわけです。とくに、地方の事業として、浪費的な公共事業を押し付けて借金を増やしてきた。このやり方にはメスを入れなければなりません。ただ、さっき言ったように、国庫補助負担金の八割は社会保障と教育で、これはもともと法令で決まっているものなのです。それを切ってしまうというやり方は、利権政治にメスを入れるのではなくて、住民の暮らしに大なたをふるうということになるわけです。本来やるべきなのは、無駄な公共事業にかんする補助金にメスを入れることです。

社会保障の標準的なサービスを国民にひとしく保障するのは、国の責任

 峰久 地方分権改革推進会議が掲げているキャッチフレーズで「ナショナル・ミニマムからローカル・オプティマム」、要するに、国民等しく一定レベルの生活をするということから、地方が個性を出して競争しましょうと。「競争」というのは、財政難、高齢化社会のなかで、それぞれ自治体は生き残りをかけた競争をしなければならないということなんですけれども。

 志位 この考え方は間違っていると思います。たとえば憲法の二五条「生存権の保障」とありますね。「社会保障は国の責任」だと書いてあるんですよ。やはり社会保障で標準的なサービスを国民にひとしく保障するというのは、国の責任なのです。これは「ナショナル・ミニマム」が必要なのです。それを投げ捨ててしまって、もう「ローカル」でやっていきなさい、「競争」だといったとしても、それでは税収が少ない自治体だとか、過疎の自治体だとか、それはどうしようもないですよ。それを実質上、切り捨てることになるわけです。そういうやり方では、国民の生存権を守る憲法の条項は、ここでも空洞化されるということになる。私たちは間違った考え方だと思います。標準的な行政サービスをきちんと国民に保障するという民主的なシステムを崩してはいけないと思います。


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