2003年6月1日(日)「しんぶん赤旗」
ニュースと話題の?Q&A
どこへゆく 旧石器時代研究
数十万年前、日本にヒトはいなかったのかな
相次いだ“発見”
一気に「70万年前」まで…
日本列島最古の人類が生活していたのは七十万年前までさかのぼったとされていたけど、その前期・中期の旧石器遺跡は、ねつ造された「まぼろし」だったんだね。結局、日本は外国のような数十万年前にさかのぼる旧石器時代はなかったということかなぁ。
そうだね。現時点では「あった」とはいえなくなったということだ。
かつては、日本には旧石器時代はないといわれてきたが、一九四九年に群馬県岩宿遺跡が約三万年前(岩宿I文化)の旧石器時代のものと確認されて以来、旧石器研究は着実に進み、後期旧石器時代(四万―一万年前)の遺跡は五千カ所以上も発掘されてきた。そして「後期よりさかのぼる前期、中期の時代もあるはずだ」という論争がおこなわれた。
そこに登場したのが、東北旧石器文化研究所の藤村新一氏なんだ。七六年から発掘が始まった宮城・座散乱木(ざざらぎ)遺跡で三万年前より古い地層から石器が出土して、論争に「決着」がついたことになった。
以後、宮城県の馬場壇(七万―二十万年前)、高森遺跡(五十万年前)と一年間に数万年単位で年代が古くなり、そして宮城・上高森遺跡の七十万年前にまで「最古」はさかのぼったとされた。周りにいた専門家集団も「発見」を学問的に評価・正当化し、マスコミもそれを報道し続けた。
ねつ造発覚
全部インチキだったの?
ところが二〇〇〇年十一月に、衝撃的に「ねつ造」が発覚したんだね。あれから二年半、その全容が明らかになったね。検証の結果、「藤村関与の遺跡はすべてインチキ」と発表されたけど。
日本考古学協会は特別委員会を設け、石器や遺跡などを検証し、藤村・前副理事長がかかわった宮城など九都道県の計百六十二遺跡を、「すべてにねつ造があった」と確認した。報告書によると、藤村氏は石器を探し歩くようになった七二年ころからねつ造を始め、「七〇年代半ばから長期的、系統的、広範囲」に自ら作った石器を「古い地層」に埋め、「建物跡」などの遺構をつくったことも明らかにした。
この結果、日本にあったとされた中期(三万年以前)、前期(十五万年以前)の旧石器遺跡は学術的価値がすべて否定された。だから、研究は二十年前の段階に戻って、再出発せざるをえなくなったわけだ。
0(ぜろ)から出発
地道な努力で信頼回復を
ゼロからの出発ということになるね。旧石器時代研究の展望はあるのかな。
人類がこの地球上に登場したのは五百万年前で、文字を持つのはせいぜい五千年前といわれる。だからほとんどが文字による記録のない時間なんだ。考古学とりわけ旧石器文化の研究は、偶然にのこった、わずかなモノ資料から当時の文化や社会を復元するわけだから、長い忍耐がいる。
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| 宮城・座散乱木遺跡の検証発掘、T・U区地質学合同調査(2002年6月)=日本考古学協会『前・中期旧石器問題の検証』から |
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旧石器では幅広い学問的な訓練、石器を見分けるなど基礎研究の遅れもある。日本では酸性土壌のため人骨などは腐ってしまうから、石器中心の研究にならざるをえないんだ。欧米では人骨、動物の骨や木の道具などが石器とともに発掘されているのに比べて、日本は困難な研究条件にあることもたしかだね。
今回のねつ造問題の検証作業には、考古学だけでなく、人類学、堆積学、地層学など自然科学分野の研究者も協力しあった。考古学協会が会員、自治体、大学の献身的な協力をえて全力をあげて作業したことの意義は大きいね。
同協会は来年三月、カナダ・モントリオールで開かれるアメリカ考古学会に参加してねつ造問題を国際報告し信頼回復をはかるという。今後、資料を批判的に認識できる観察力を持つ研究者を育成するため、学問環境・教育体系の改善などの取り組みをするというから、しっかりやってもらいたい。
後期旧石器時代までの石器、遺跡はしっかり確認されそこを基点にできるし、すでに後期よりさかのぼる可能性のある遺跡発掘が長野、岩手など各地で始まっている。時間はかかっても、いずれはより古い時期の旧石器遺跡が見つかりわれわれの祖先の様子がわかるようになるだろう。今年秋には日本旧石器学会が発足するという。災い転じて福となしてほしい。

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