2003年5月28日(水)「しんぶん赤旗」
日本考古学協会の旧石器問題調査特別委員会(委員長・小林達雄国学院大教授)が総会で、東北旧石器文化研究所の藤村新一・前副理事長による旧石器ねつ造問題にたいする事実上の最終報告をおこないました。
報告は藤村氏が関与した九都道県の百六十二遺跡で、ねつ造があったこと、同氏関与の「前・中期旧石器」の遺物・遺跡は、「学術資料としては無効であるという結論に達した」との見解を明らかにしました。
旧石器ねつ造事件の影響は、考古学の学問的権威を揺るがしたばかりでなく、「新発見」に町おこしの夢をかけた地方自治体に大きな衝撃を与え、教科書の書き換えに及ぶなど広範囲に及んでいます。藤村氏の一連の行為は、なによりも事実を尊重すべき考古学をもてあそんだものとして許されるものではありません。
最終報告は奥羽山脈を越えて三十キロ離れた地点から出土した石器の断面が一致した「接合石器」についても藤村氏の「工作」であったこと、「世界最古」の建物跡も地震などによる土層の変化を利用して作ったものだったと判断しました。
報告は、藤村氏のねつ造の動機が学問的な探究心ではなく、名声の獲得が目的であった可能性が強いとのべるとともに、藤村氏一人の力だけで「前・中期旧石器」がねつ造できたわけでなく、「発見」を学問的に正当化し、研究論文を発表しアピールした人々がいたからこそ、多くの人が認めたと指摘しています。
ねつ造をおこなった本人の責任だけでなく、藤村氏とともに直接発掘してきた「第一次関係者」、率先して新発見の意義を評価し、折にふれその成果を利用し広めた「第二次関係者」らの責任がきびしく指摘されるのは当然です。
この点では、相次ぐ“大発見”を厳密な検証もなしに「最古」「最大」とセンセーショナルに報じてきた考古学報道のあり方も、「第二次関係者」として「相応の責任」を負う自覚が求められるのはいうまでもないことでしょう。
今回のねつ造事件は、群馬県岩宿遺跡の発掘から始まった日本の旧石器時代研究が、半世紀を経て五十一年目を踏み出した時期の出来事で、与えた衝撃は大きいものでした。
しかし、その後の二年余にわたる学会あげての取り組みは、これまでの研究のあり方の矛盾や個々の研究者の責任の所在も含めて、真摯(しんし)で率直な究明がおこなわれました。この取り組み自体が、日本考古学の信頼回復と再生への展望を示すものです。
考古学の原点は、事実にもとづき、人間生活を復元しその姿を再構成することにあります。今回の検証作業のなかで、長年、広範囲にわたるねつ造を見抜けなかった原因、それに疑義をはさまず「新発見」を競った研究のありよう、学界の閉鎖性、考古学の基礎教育の不足などさまざまな問題がえぐり出されました。
これらはすべて、今後の研究に受け継がれていくものです。
現在、旧石器の研究者たちは、後期旧石器以前を探る新たな活動を各地で始め、秋には日本旧石器学会を発足させるといいます。
事実上、旧石器の研究は二十年前に後戻りします。しかし、前期・中期旧石器時代が日本列島にも存在したという歴史を検証する取り組みは始まっています。そのためのたしかな地盤を、今回の最終報告は示しています。