2003年5月13日(火)「しんぶん赤旗」
「ハンセン病問題の全面解決に向け、これからがもっとも厳しいたたかいです。力を合わせましょう」。ハンセン病患者・元患者への国の隔離政策を断罪した熊本地裁判決から二周年を迎えた十一日夜、熊本市内の本妙寺で、記念集会がおこなわれました。かつて“患者狩り”の舞台となった地で、集まった元患者、支援者ら約三百人は、新たな決意をみせました。集会のタイトルとなった「明日に心をつなぎ合わせて」の言葉そのままに──。
集会がおこなわれた本妙寺の周辺には、かつて故郷を追われた患者らが集団で暮らしていました。一九四〇年七月九日早朝、警官隊と療養所職員が急襲、三日間で百五十七人をトラックに乗せて療養所に強制収容しました。「無らい県運動」など、徹底した隔離・撲滅をすすめた「らい予防法」のもとで起きた象徴的な事件として、歴史に刻まれています。
本妙寺での集会は、被害者への慰霊とともに、「二度と再び繰り返さない」の思いを呼び起こしました。
「ここで集会を開いていただいたことにお礼を申し上げたい」とあいさつした住職の池上尊義さんは、ハンセン病と本妙寺の関係を示す資料がひとつも残っていない事実を紹介。「当時の本妙寺は傍観者でなかったか。そうした反省に立ち、多くの人にこの問題を知ってもらい、草の根の運動を広げるために努力をしたい」と語りました。
全国ハンセン病療養所入所者協議会の伊藤文男会長は、「二年間で多くの問題が前進した半面、遅々として進まない問題もある」として、療養所看護師の三交代制などがいまだに実現してない医療体制の不備を指摘。「残された短い時間のなかで、かならず実現させていくことを誓いたい」と結びました。
石畳の参道を踏みしめながら、「強制収容が始まった地に立ち、複雑な思い」と語るのは、熊本県にある国立療養所・菊池恵楓園(けいふうえん)の杉野桂子さん(62)。「けれど、ハンセン病の歴史を伝えるものは何も残っていない。歴史を掘り起こし、真相究明こそ、との思いを強くしました」と続けます。
「太陽は輝いた」「頭上に、青空が広がったようだ」と語られた熊本地裁判決。「社会には、思ったほど鬼はいなかった」とは、菊池恵楓園から昨年社会復帰を果たした中修一さん(60)の言葉です。一方で、元患者らが願う“全面解決”には、なお障害が横たわります。
昨年十月には、元患者、専門家から成るハンセン病問題検証会議が発足しましたが、厚生労働省や各療養所が資料の提出を拒むなどの事態も広がっています。昨年度五千万円だった検証会議の予算は、今年度三千万円に減額されました。
集会の基調報告をおこなった西日本原告団代表の徳田靖之弁護士は、「ハンセン病問題はもう終わったような風潮があるが、全面解決とは、隔離の真相を明らかにし、被害の全面的な回復を勝ち取ることだ」と強調。真相究明をはじめ、療養所の医療体制の充実、相談窓口ひとつない退所者や非入所者への生活支援などについて訴え、「検証作業の行方に多くの人の監視を」と繰り返しました。