2003年2月21日(金)「しんぶん赤旗」
「私が夜間中学に行っていなかったら、自殺してしまってこの場所にいることができなかったかもしれません。夜間中学の存在は私の命に値します」。不登校と八年間のひきこもりののち、都内の公立夜間中学を卒業した土屋裕子さん(23)が涙をこらえながら語りました。「増え続けている不登校の子にとって夜間中学という受け皿は必要です」
東京・霞が関の弁護士会館で二十日午後、日弁連に人権救済を申し立てた人たちが記者会見と報告集会を開きました。
世田谷区新星中学の生徒、滝本傑さん(60)は中国からの帰国者です。「政府はたくさん夜間中学をつくってください」とたどたどしい日本語で訴えました。
北海道・札幌の自主夜間中学「遠友塾」で英語を教えている井上大樹さん(27)は「六十代、七十代の生徒が七割です。必要な時期に教育が受けられず、文字が書けないために履歴書が必要な職場で働けなかった人がたくさんいます。定年退職後に、残りの人生で人間の尊厳を回復したいと入学してきます」と発言。釧路に住む高齢者の夫妻が往復十二時間かけて通っていた実態を紹介しました。埼玉県で十八年間、公立夜間中学の開設を求めて運動している野川義秋さん(54)は「いまだに開設のめどが立たない。教育行政に怒りをおぼえる」と語りました。
夜間中学は戦後、教育現場の努力で一九四七年に発足しました。公立夜間中学は五四年の八十七校、生徒数五千人余をピークに減り続け、七〇年に二十校になり、現在は八都府県に三十五校。北海道、東北、四国、九州・沖縄には公立夜間中学がありません。生徒総数は約三千人にとどまっています。
戦後の混乱などで昼間の中学校に行けなかった人や、在日韓国・朝鮮人、不登校の生徒なども受け入れています。最近は、中国などからの帰国者とその家族、就労や結婚のために南米や東南アジアから来日した外国人の入学が増えています。
八五年には国会で日本共産党の吉川春子参院議員が夜間中学の増設を求めて質問。当時の中曽根内閣は夜間中学の役割を評価したうえで「(義務教育未修了者に対し)、何らかの学習の機会を提供することは必要なことと考えている」と必要性を認めました。
ある高齢の公立夜間中学の生徒は「もう少し早い年齢の時に夜間中学に入学したかった。家の近くになかったので七十二歳になってからようやく通えるようになった」と語っています。
政府は夜間中学の増設を求める声に真摯(しんし)に応える責任があります。(浜島のぞみ記者)