2003年2月8日(土)「しんぶん赤旗」
「ひとたび戦争になれば、罪のない市民や子どもたちが犠牲になる。じっとしてはいられません」。各地でイラク攻撃・戦争ノーの取り組みをしている新日本婦人の会の女性たちは口々に言います。「子どもたちには戦争でなく平和を手渡したい」と、十四日に開かれる大集会(東京・明治公園、午後六時半〜)への参加をはじめ、「私のピースアクション」を草の根で広げます。
「アメリカがイラク攻撃をおこなえば、中東全体を巻き込む戦争へと拡大しかねません。ねばり強く平和的な解決を求めていきましょう」
横浜市港北区の東横線綱島駅前に女性たちの声が響きます。新婦人港北支部の宣伝行動。この日は今年に入って二回目の街頭宣伝です。
「戦争は絶対やっちゃいけない。デモがあればいきたい」と四十八歳の女性が署名。「日本政府はアメリカのいいなり。反対してほしい」と女子学生(19)。「アメリカは急ぎすぎ。戦争はだめ。世界平和を考えて行動してほしい」と戦争体験者の女性(75)。すすんで署名する姿がめだち、「がんばって」と声をかけていく人もいます。
通りがかった新婦人の会員(43)は、「私はあまりこうした活動をしたことはないけれど」といいながら十分間、一緒に署名を訴えました。
「最近ですね。こんなに反響があるのは」と、平和部長の赤崎みつさん(64)。イラクをめぐり情勢が緊迫するなか、武力攻撃反対の意思表示をしたい市民が増えているといいます。
風邪をおして行動に参加した高園昌代さん(55)は「スペースシャトルの事故で七人が亡くなったのは痛ましいことです。イラク戦争になれば犠牲者はその比ではない。アメリカ政府は同じ命だと思っているのか」と怒ります。
箕浦公子事務局長(53)はいいます。「子どものころ、おとなはなぜ戦争を止めなかったのという思いがありました。いま私がおとなになって戦争を止められないのはすごく悔しい。全会員が何らかの形で『イラク攻撃・戦争ノー』の意思を示せるように取り組み、さらに大きな世論をつくっていきたい」
八王子支部(東京)の地域班、柚子(ゆず)班は、9・11テロ後のアフガン攻撃(二〇〇一年十月)以来、ほぼ毎月、「戦争ノー」「有事法制反対」の街頭宣伝をしています。中心になっているのは戦争を体験した女性たちです。
鈴木キミさん(70)は、戦争で三人の兄を失い、父母の深い悲しみを見てきました。自身も、空襲や機銃掃射にあった恐怖が体に染みついています。「戦争はテレビゲームではないんです。ミサイル攻撃の下でどんなに多くの人が死んでいるか…」と声を震わせます。「戦後、憲法を手にしたときはうれしかった。戦争放棄の憲法九条は、両親や兄たちの遺言状だと思っています。平和の大切さを今こそ伝えていきたい」。鈴木さんは、ハンドマイクが持ち運びやすいように布袋を作り、行動に役立てています。
毎回、宣伝文を自分でつくって参加しているのは草野和子さん(67)です。「東京大空襲(一九四五年三月十日)で両親と叔父一家の計七人が殺されました。どんな戦争も起こしちゃいけないと、頭で考えるより先に体が動くんです」。肝臓の病気で一日おきに注射を打ちながら、「平和は生きていく土台、平和を守ることは誰とでも一致できます。世界中でイラク攻撃反対の運動が盛り上がっています。私たち一人ひとりの声や行動が世論をつくり政治を変える力になる」と訴えます。
柚子班は、憲法や有事法制の学習、戦争体験を聞く会などにとりくんできました。毎月第三火曜日を街頭宣伝日にし、「ゆず班だより」で知らせています。
北原文子さん(44)は、「親から戦争体験を聞いたこともないし、学校では現代史を学ばなかったので、イラク攻撃といっても遠く感じる人の気持ちもわかります。でも学び体験を聞き行動するなかで、平和は基本だという思いが強まってきました。この思いをいろんな人や子どもたちに伝えていきたい」といいます。
柚子班は、もっと世論を大きくするために、湾岸戦争時の劣化ウラン弾で白血病や障害を持って生まれた痛ましい子どもたちの写真をかかげて街頭に立ちたいと話し合っています。日常的にイラク攻撃反対のメッセージをこめた物を身につけるなど、一人ひとりが気軽にできる方法で平和への思いを発信するよう取り組もうとしています。