日本共産党

2003年2月1日(土)「しんぶん赤旗」

「しんぶん赤旗」創刊75周年

確かな指針 いま、いっそう際立つ

戦争と平和とジャーナリズム


 「しんぶん赤旗」は二月一日で創刊七十五周年。戦前も戦後も、反戦・平和と主権在民・民主主義の旗を勇敢にかかげてきた「赤旗」は、アメリカのイラクへの攻撃、戦争許すなの声が内外で高まっているいま、その存在意義と役割をひときわ輝かせています。関口孝夫・赤旗編集局長に戦争と平和の問題を中心に「赤旗」がよって立つ立場、本来ジャーナリズムがめざすべきところを聞きました。


関口孝夫赤旗編集局長に聞く

聞き手 山本 亜希さん=フリーライター

 山本 記者のみなさんは、編集局長をどうよびますか。局長ですか。

 関口 いやぁ、局長というのは、新選組みたいで、どうも。(笑い)

 山本 じゃあ、関口さんでいいですか。

 関口 ええ。

曽祖父は山本宣治。戦前、
治安維持法反対を貫いて…

 山本 唐突な質問からはじめますが、平和とは何のことだと思われますか。昨年秋、京都の赤旗まつりにでたとき、若者をパネリストにしたシンポジウムでいきなり聞かれ、私は即興で「人間には性欲、食欲、睡眠欲があるが、この三大欲を誰にも侵されず生活できること」っていったんですが…。

 関口 反射的に戦時体験が浮かんできます。平和とは、ながく生きられること。一年坊主の私でさえ早く大きくなって兄のように少年飛行兵になって隼(はやぶさ)戦闘機にのるんだと思っていましたから。でも戦争はこわくてひもじいもの。空襲のたびに防空ごうで震えていた。今でもプロペラ機のごう音や白い飛行機雲をみると少年のころの感じがよみがえる。その恐怖がアフガニスタン、こんどはイラクの子どもたちを襲うとなると許せないと思います。

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 山本 亜希(やまもとあき) 1975年、京都生まれ。帝国議会でただ1人、治安維持法改悪に反対して殺された故山本宣治のひ孫。京都外国語大学を卒業して上京、雑誌・インターネットで執筆活動。音楽は趣味にとどまらず、クラブシンガーやアマチュアバンドのステージなど精力的に展開しています。

 山本 イラクへの攻撃、戦争を許さないと、十八日から十九日にかけて各地でパレードやデモがあって、私よりも若い十代の人たちも参加しました。戦争を身近な問題として考えられるようになってきたなあと思うんですが。

 関口 十八日の行動を取材した社会部の記者に聞くと、地の底からわいてきたように、インターネットやメールでやるよ≠ニ連絡をとりあって集まった若い世代が目立ったといっていました。「個」がたくさん集まって「連」をつくっていたという。阿波踊りの連ね。一昨年、ニューヨークで9・11テロが起きて、一カ月後アフガンを空爆したときとはちがう雰囲気を感じたともいっていた。

 山本 あのときは、戦争には反対だけれどそれもやむをえないかなという感じの世論だったですよね。

 関口 国連のチームがイラクを査察しているさなかに攻撃をするといいだした。なにを血迷っているんだアメリカはと。三浦外信部長が書いていましたが、ロンドンの市民は朝、TVで東京のデモをみて集会に参加した。ワシントンでは五十万人、ベトナム反戦の規模に匹敵する多数の参加で、東京発で始まり地球を一周した形になった。日本の新聞もやっとというか、はじめて一面にイラク戦争反対の集会写真をのせました。

 山本 戦争に断固反対といえないのが不思議な気がするんですが。ピープルがあって国がある、ブッシュ大統領のすることを日本政府が何でも支持すれば、いままで日本は武力行使してこなかったのに、まるで戦争を推進する国と思われる。そういうのがイヤな若者が増えてきてデモももりあがってきたのかなあと思って…。

 関口 政府の態度だけではなく、その国の人びとの動向を知るうえで集会、デモはメディアの格好の取材対象のはずなのに。欧米の新聞につうじた著名な評論家の方が「日本の新聞ぐらい集会、デモを報道しない新聞は珍しい。その点、きみのところは、日本と世界の民衆の動きを実によくフォローしていてよろしい」とほめてくれました。実際、日本の新聞、テレビは、小田実さんや鶴見俊輔さんたちが呼びかけ、渋谷で二千人が集まってデモをした十二月十三日のイラク戦争反対集会も一月十一日の日本ペンクラブ主催の「いま戦争と平和を考える集い」も、報道しない。壇上の発言者から「反対の集会をマスコミは報道しない」といわれているのにね。

 山本 どうして報道しないんだと思いますか。それでいいんですか、そろそろぬけださないと、とはならないんですか。

 関口 報道する「目」が問われている。だれの目で報道しているのかというね。イラクに早く戦争を仕掛けたいブッシュ政権の側にたった目でみれば、イラク問題を国連で平和的に解決しろという集会は、報道に値しないというところかな。

 山本 その点では、いまの日本の新聞はフェアでないと思ったんですけど。関口さんの「あるべき新聞像」とは。

 関口 これは日本特有の新聞事情だと思いますが、自民党政治の骨格でもある考え方、日米同盟を不動の枠組みとした従属的な政治・外交姿勢ね。それと同じ編集の基本にたっている。一昨年十月にブッシュがアフガン空爆をはじめたとき、日本新聞協会加盟紙の社説、論説六十一本のすべてが空爆支持でそろいました。「ちょっとまて、戦争でテロが根絶できるのか。矛盾が拡大するぞ」と異議をとなえる新聞は一つもなかったんです。「赤旗」を除いたらね。

 山本 人が六十一人いたら、一人くらいちがう考えをもつ人がいて当たり前。自分の頭で考えていないということになりませんか。

 関口 横須賀で潜水艦衝突事件が起きたとき、友人の全国紙論説記者に、「東京湾の玄関口に物騒な基地があること自体がおかしい。なぜ、『赤旗』のように基地を撤去せよと書かないのか」と聞くと、「日米同盟支持が社是だから書けない。銚子か清水に移せという提案ならできるが」という。日米同盟支持の目ではなくアメリカと対等平等、「非同盟中立」の目で世界をみる「赤旗」とは大ちがい。その友人いわく。「だからお前のところの外信面はおもしろいんだ」(笑い)。

 山本 その枠からぬけだせなければ、その新聞全体がそういう考えだとみられてしまいますね。でも、なぜ、枠から出ないんだろうと私なんか、思ってしまいますね。

言うべきこという鋼(はがね)の遺志
「赤旗」のなかにしっかりと

 関口 従属のくびきが強いんですね。自由な言論のはずなのに。アメリカがひきおこす戦争に日本を自動的に組み込んでいくための有事法制案が去年の国会で、反対世論の広がりのなかで継続審議になりましたが、法案提出のときも四十数本の社説、論説中、反対を社論とした全国紙はなかった。「早くやれ」派、「いそがずとも」派といったちがいはあっても基本はみんな賛成。日刊全国紙では「赤旗」だけが真っ正面から反対の論陣を張ったんですね。

 山本 一九二九年(昭和四年)、私の曽祖父の山本宣治が治安維持法改悪に反対したときと似てますね。

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 関口 「山宣一人孤塁を守る」の志です。ただ、あのときと大きくちがうのはいまの時代は公然と発行される二百万近い「赤旗」がある。堂々と国民に対論をしめせるメディアがある。はじめは少数にみえてもかならず多数派になる自信があるものね。ベトナム戦争のときがそうだった。日本の新聞は、はじめはホワイトハウスの目で報道してきた。ところが国内、世界のベトナム反戦運動の高まりのなかで報道姿勢がかわってきた。しまいには米議会、米大使が「日本の新聞やTVのなかに共産主義者がいる」とヒステリックに騒ぐ事態にまでなった。

 山本 イラク問題でも変えたいですね。

 関口 「赤旗」は国連安保理一四四一決議を「武力行使におけるすべての自動性を排除した」とする仏、ロ、中三国共同声明を重視してきましたが、一般紙はそれには目もくれず、もっぱら武力行使不可避の立場の論調でした。「一四四一はイラク武力行使に道を開く決議」などというアメリカ流の勝手な解釈にたった記事を書いていました。国際世論を反映してか、このところ「国連の査察の継続」に比重をおき、「武力行使を急ぐべきでない」とする社説も出るようになってきましたが、ブッシュの強気な演説がでると、また、それに影響された論調が心配ですね。

 山本 「赤旗」はことし創刊七十五年になるんですね。

 関口 天皇絶対の時代の一九二八年二月一日が誕生日。「せっき」という呼び名でね。

 山本 山本宣治はその年の普通選挙法による最初の総選挙で労農党の国会議員になったんですね。

 関口 そう。「赤旗」誕生と同じ二月に総選挙があって、労農党から二人が当選した。その一人が京都二区の山本宣治でした。翌年の三月に凶刃に倒れる。党史にもでていますよ。山宣は右翼テロに倒れましたが、侵略戦争と専制政治に反対し、どんな過酷な条件のもとでもいうべきことをいうという、そのハガネのような遺志は「赤旗」のなかにしっかりと生きつづけています。

 日本の十五年戦争の始まりとなった、一九三一年(昭和六年)の「満州事変」のとき、「赤旗」は、その二カ月以上も前から日本が侵略戦争を準備していることを紙上でしめして反戦闘争をよびかけました。「一人も兵士を送るな」「満州、朝鮮、台湾から手をひけ」と。ところが日本の商業紙はこれとまったく逆の立場で国民を戦争への道にかりたてた。当時の日本の百三十二の新聞、通信社が「満蒙は日本の生命線。手をひくな」と共同宣言までだして、国際連盟脱退をあおり、さらに戦争熱をあおって太平洋戦争に導き、国民だけでなく、世界にたいしても、大きな罪科を残したんですね。

 ドイツでは、戦前の新聞と同じ題字では、戦後、新聞は発行されなかった。こぞってナチスのホロコーストをあおってきたから。その倫理観でいえば、日本では「赤旗」だけが戦後復刊を許されていいことになります。実際には日本では、戦後も同じ題字で「朝日」も「読売」も「毎日」も現れた。もちろん国民向けの謝罪社説をだしたりはしましたが。

 思うに、国民を十五年戦争に誤導した責任を思えば、憲法九条の順守は国民にたいする最低限の倫理責任のはずですがね。今でも「憲法解釈を変えて、集団的自衛権を認めるべきだ」とか「なぜイージス艦を早く出さないのか」なんて社論が幅をきかせています。

 山本 「赤旗」は戦争と平和の問題につよい新聞だとうけとめていますが…。

 「赤旗」の創刊=一九二八年二月一日

 「『赤旗』は、創刊されたときから、一貫して反戦・平和、自由と民主主義、国民の権利と生活擁護の旗をかかげ、命がけで真実を報じました。そして、謄写版刷りの『赤旗』は、靴の敷き革の下や工具のなかにいれられ、国民の手から手へとわたされてゆきました」(『日本共産党の八十年』32ページ)

 山本宣治=一八八九〜一九二九

 「天皇制政府は、二九年三月五日、前年に緊急勅令で死刑法に改悪した治安維持法の事後承認を衆議院で強行し、これに反対してたたかった旧労農党の山本宣治は、その夜、右翼テロリストによって刺殺されました。党は、山本の活動をたたえ、日本共産党員の資格をおくりました」(同前36ページ)

 関口 戦争の根源に迫る目と、その対極にある平和をたたかいとる展望をもつからだと自負しています。傍観はありえないという立場です。いつ戦争が始まるかの先読み競争で戦争への時流をつくってその流れに身をゆだねて、国民を危険な方向に誘っていく、そんな報道は真っ平です。戦争は不可避とはみません。現実を甘くはみないが、平和への可能性をくみつくす姿勢は大切なことです。党が中東、アジア各国で精力的な野党外交、各国への働きかけをしている姿勢はそのまま「赤旗」の報道姿勢。言論もそうであってこそと思います。

 山本 いまこそ読者として、他紙とのちがいをみてほしいと…。

 関口 「朝日」一月十三日付の読者欄に「戦争させない報道を考えて」という投書が載りました。最近の新聞、雑誌、テレビのほとんどは「戦争が始まるぞ」と旗を振っているように感じる。戦争を仕掛ける側からの声が中心で、仕掛けられる側、巻き込まれる側からの声が少なすぎる。戦争にならないようにと願いを込めた記事を書いてくださいという内容でまったく同感です。

 一昨年のアフガン空爆支持一色の日本のメディアの姿勢にたいして、政治評論家の山室英男さんが「中流竿心(ちゅうりゅうかんしん)」−−流れにさした竿(さお)がしなって弓なりになっても舟でしっかりとふんばって流されないようにするこころ−−。圧倒的におかしな記事があふれているなかで、まさに「赤旗」はそういう役割を果たしているといってくれたのはうれしいことです。野牛の群れの暴走現象に身をまかせていてはだめ。「赤旗」はそういう役割を果たします。

 山本 ぜひ果たしてください。ところで、記者歴三十九年の関口さん、自身の歴史と「赤旗」の七十五年を振り返り、新聞の未来を考えると何がみえますか。変わるものと変わらないものは?

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整理部で新しい紙面作りシステムの説明をきく関口編集長と山本さん

 関口 政治の環境の大変化を感じます。親の代からの自民党後援会員だった人からも支持の本籍がなくなって、無党派層がふえて、私たちがそういう人たちと手をむすびやすい状況が生まれている。私の記者経験からすれば日本医師会や日本歯科医師会の最高幹部が、実名で紙面に登場してくれるなんて考えられないこと、自民党のもっとも堅固な支持母体だったんだもの。隔世の感がありますね。医療費引き上げをやるな、凍結せよと日本医師会、歯科医師会など医療四団体の会長さんが私たちと同じ要求で銀座でビラまでまいた。これは大ニュースです。一面で大きく報道しました。共産党の主張と「一致しちゃうんだよなあ」といってるところがおもしろい。共産党への垣根がなくなり、一致されちゃ困るかたくなな反共主義者≠セけがムキになって、歴史にたえないようなこっけいな材料で、共産党を攻撃している。そういうおもしろい政治の構図だと思います。

 新聞について変わらないものといえば、速報では前からいわれているようにTVのニュースの方が新聞より早いことが多いし、インターネットやメールもある。しかし、誰の目で報道するか、誰の目でみるかという問題は残ります。いつの時代も新聞が果たすのは「確かな指針」、それをしっかりとしめせるか、です。もちろん選ぶのは読者だけれど、そういう新聞の役割はいつも必要です。

 その意味で、権力や圧力、なにものにも屈しない強さが求められます、絶対、筆を曲げないという。言論の自由とは、そういうものだと思うし、その意味で「赤旗」は最強の新聞だと思っています。商業紙のように顔色をうかがうような大企業のスポンサーもない。

 山本 その強さの秘密はなんでしょう。

 関口 しっかりとしたタテとヨコの糸で支えられているからだと思います。七十五年の歴史をのりこえてきた強いタテ糸、そしてヨコ糸は全国二万五千の党支部の力。読者をふやし配達、集金し文字通り草の根で新聞を支えている力です。これが他の新聞にない強さです。

 一般紙は大きな広告スポンサーには弱い。広告収入で編集局の人件費をまかなっているところも少なくないですから。その点「赤旗」は、どんな大企業にも創価学会にも遠慮はない。非常識なリストラや長時間労働の実態があれば一面で大々的にとりあげるし、サラ金の広告を自粛せよというキャンペーンもきがねなくできます。「赤旗」が日本の他のメディアとの比較のなかで得ている独特の評価、強い、たじろがない、頑固だ、そういういい意味でのイメージはうれしいですね。

 山本 (深くうなずく)

 関口 日本のこと世界のことをしっかりと見つめてたがいに考える、生きる力、なやみを語りあい、喜びをわかちあう、そしていつもともにある。いつの時代にもそんな新聞が必要だし、「しんぶん赤旗」はそういう新聞でありたい、その役割を果たしていきたい。七十五年の伝統あればこその未来への展望でもあるし、若い人たちにしっかりと支えられるような新聞でありたいと思っています。


この信念、このエネルギー

対談を終えて 山本 亜希

 「戦争の事態に傍観者ではありえない」「真実のなかにある本質を伝えるためには、決して筆を曲げない」−−関口編集局長の言葉は大変なエネルギーを感じるものでした。何がニュースなのか、誰の目で真実を探ろうとするのか。

 「新聞は市民の声をすくうべき、政治家ではなく、国民のために報道すべきである」という点、これが「しんぶん赤旗」のポリシーだと語られましたが、それは単に正統派であるだけでなく、「ジャーナリズム=弱者の側に立つ」という精神こそ私にはとても人間味にあふれたパンチのある言葉に聞こえたのです。圧倒的に流れてくるメディアの情報量に、私たちはつい受け身になってしまいがちです。しかし、どの新聞にどんな信念が走っているのか、自分の目で見極めて選択する必要がある。新しい戦争が起きてしまうかもしれないという今がまさに、その見極めのまたとない重要なタイミングである、それを思い知りました。

 私が編集局を訪れたのは、これからもっとも忙しくなる時間帯だという夕刻すぎ。ジワジワと大きな波が今から及んでくるんだという熱気と躍動感が肌に伝わってくるようでした。二〇〇二年重大ニュースの一つである「鈴木宗男議員逮捕」につながったスクープ記事も、この社会部から発信されたかと考えるとそのときの編集局のエキサイティングな緊張感が目に浮かびます。取材記者を発信源に何人もの手を渡って記事が紙面にはめ込まれ、印刷されて形となる。これが毎日くり返されるとは、新聞とはまさに「生きものなんだな!」しかも、信念をこめて届けられる、意思をもった生きものであると感じたのでした。


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