日本共産党

2003年1月22日(水)「しんぶん赤旗」

無心断られ逆恨み

石井議員刺殺・伊藤被告

暴力団資金で右翼結成

政治家にたかる

初公判・検察冒陳


 石井紘基・民主党衆院議員=当時(61)=が刺殺された事件で、殺人罪などに問われた右翼団体代表伊藤白水被告(48)の初公判が二十一日、東京地裁(加藤学裁判長)で開かれ、検察側は、同被告が暴力団の資金援助で右翼活動をしていた経歴や政治家を資金源にしてたかっていた活動の実態を明らかにしました。伊藤被告は罪状認否で起訴事実を認めました。

 検察側の冒頭陳述によると、伊藤被告は刑務所服役中に知り合った暴力団員から資金援助を受け、一九八五年七月、右翼団体「守皇塾」を結成。街宣活動などをおこなっていました。

 その暴力団員からの資金援助が途絶えると、今度は「右翼政治運動家」を自称。世田谷区議会議員や都議、国会議員などの事務所に出入りし、議員や秘書らに右翼の本や日本酒などを高く売りつけるなどして資金稼ぎしていました。九四年には、知人の世田谷区議会議員とその妻への傷害罪で服役したこともありました。

 石井議員にたいしては、国会議員初当選前から石井議員事務所をたびたび訪問、書籍や日本酒を高値で買い取らせました。

 二〇〇一年ごろから面会を断られるようになると、一方的に「育ててやったのに恩義を忘れた」と激怒。強制執行を受けたアパートの家賃も無心したものの断られたため、包丁と手裏剣をバッグなどに隠し持ち、同議員殺害の機会をうかがいました。

 昨年十月二十五日、東京都世田谷区の石井議員の自宅前で、迎えの公用車に乗るために玄関から出てきた同議員に近づき、持っていた刺し身包丁で胸などを刺して殺害しました。

「ごう慢な態度」

遺族が会見

 刺殺された石井紘基衆院議員の妻ナターシャさんら遺族は二十一日、右翼団体代表伊藤白水被告の初公判が終了した後、東京・霞が関の司法記者クラブで会見。伊藤被告に対して「なぜごう慢な態度を取れるのか」と怒りをあらわにしました。

 ナターシャさんは「どんなに大事な人材だったか知ってもらいたい」と話して、涙を浮かべ、同席した娘のタチアナさんは「いかなる組織、権力、団体であっても、人の命を簡単に消してしまうことは許されない」と訴えました。


解説

民主主義の敵 きぜんと対決を

 テロで気に入らない政治家を殺す――。戦前からテロリズムを公然と掲げる右翼は、まさに民主主義の敵であり、政府も政界もきぜんとして対決しなければならない存在です。

 民主党の石井紘基衆院議員刺殺事件の初公判で検察側が冒頭陳述で明らかにした右翼、伊藤白水被告の素顔の一端は、こうした右翼の存在がいかに危険かをあらためて警告するものです。

 冒頭陳述によると、伊藤被告は当初、暴力団の資金援助を受けて右翼団体「守皇塾」を結成し、暴力団のひもつきで活動していました。伊藤は、一九八八年に日本共産党本部に押しかけ、刃物をふりかざして党本部の勤務員二人に大けがをさせました。これは、暴力団とつながって活動したあとのことでした。

 暴力団とのつながりは伊藤被告だけではなく、他の右翼にも基本的には共通する特徴です。とくに最近は、「暴力団と関係を有する右翼の勢力伸長が著しい」(『警察白書』二〇〇一年度版)と指摘されています。右翼による違法行為の検挙件数は、二〇〇一年で千四百五十七件と五年前に比べ二倍以上に急増。その暴力・犯罪性をエスカレートさせているのが実態です。

 伊藤被告は、当初、つながっていた暴力団の資金援助のあと、今度は「政治家」に接近して、資金源にしようとたくらみました。

 冒頭陳述によると、伊藤被告は石井議員だけでなく、多くの政治家に近づき、金品をたかろうとしました。こうしたなかで、伊藤被告は石井議員を逆恨みし、犯行に及んだのです。

 「右翼」を政治団体扱いし、その策動を許すような警察当局や政府・政界の姿勢が問われています。


もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp