2003年1月21日(火)「しんぶん赤旗」
横綱・貴乃花が引退を決めました。回復しない右ひざの故障に加え、今場所は二日目の雅山戦で痛めた左肩が回復せず、平幕力士に連敗。横綱らしい相撲はまったく取れない状態が続くなかで、ついに十五年の土俵人生に幕を下ろしました。(金子義夫記者)
まだ貴花田のしこ名だった貴乃花の入幕とほぼ同時期に大相撲を担当して以来、貴乃花の相撲を見続けてきました。引退表明を聞きながら、大ブームを巻き起こした“若貴時代”の終わりを感じました。
しかし、けがでの引退は、やはりもったいないという感じが否めません。二〇〇一年夏場所千秋楽の武蔵丸との優勝決定戦は激しい賛否両論を巻き起こしました。そのあと七場所も欠場することになった右ひざの負傷が、結局力士生命を縮めてしまいました。
貴乃花の相撲に臨む姿勢は真摯(しんし)なものでした。一四〇キロ前後の体ながらどんな大きな相手にも真っ向から挑み、立ち合いの変化や奇襲をほとんどしませんでした。しかし今場所、再出場した六日目の土佐ノ海戦では立ち合い変化して勝ち星を拾いました。
これは「常に自分の力を十二分に発揮できる。全力で相手を受けとめられる。なおかつ勝つのが横綱」と引退会見で述べた自らの横綱像に反することでした。それだけ、もはや体が動かなかったのでしょう。
九二年初場所、初の十代での幕内優勝。翌年の二十歳五カ月という最年少記録を更新する大関昇進、さらに兄若乃花とともに史上初めての兄弟横綱を実現し、一九八九年九州場所十一日目から九七年夏場所初日までの約八年間、連続して「満員御礼」が続く空前の大相撲人気が起こりました。
しかし貴乃花はこうしたブームにもおごることなく、けいこに打ちこんできました。部屋でのけいこは量、質とも群を抜き、シコ、テッポウ、すり足といった基本げいこも欠かしませんでした。
現在では多くの部屋で取り入れている「三番げいこ」(待ったなしで同じ相手と何番も続ける申し合いげいこ)も、二子山部屋(当時は藤島部屋)が先駆的におこなってきたもので、貴乃花はいつもその先頭にいました。兄弟子でいまも活躍する安芸乃島や貴ノ浪らが貴乃花を支え、激励してきました。
こうした環境が貴乃花を鍛え、けいこのあり方でも他の部屋、力士に大きな影響を与えました。
現役力士たちが貴乃花から学ぶべき教訓は、大ブームでも人気でもなく、こうした相撲に対する姿勢でしょう。
貴乃花が一九九四年九州場所後に六十五人目の横綱昇進を決めた直後、伯父であり初代若乃花の花田勝治氏にインタビューしました。おいの横綱昇進を喜んでいると思いきや、いきなり「上がったらまず考えなければならんのは引退のことだ」といったのには驚きました。
昇進したばかりなのになぜかと尋ねると「陥落のない横綱は勝てなくなったらやめるしかない。だから横綱は昇進したときから引退後を考えるのが宿命なんだ」。少しぶっきらぼうな口調で説明してくれました。
角界の長年にわたる慣習なのでしょう。しかし今後もそれが続いていく大相撲界でいいのでしょうか。
大相撲界はいま、けがによる休場力士が相次いでいます。若乃花をはじめ小錦、舞の海、寺尾ら個性的な力士の引退も相撲離れを進めました。今場所は大関・朝青龍が一人気を吐き、横綱を一歩一歩引き寄せているものの、上位陣の覇気はもう一つ伝わってきません。貴乃花の引退が相撲離れを加速させることも考えられます。
この危機的な状況を打開するうえでいま必要なことは何か。
まず魅力的な相撲を増やしていくことです。基本げいこを重視し、量、質ともに引き上げていく。それなしに攻防と粘りのある相撲は増えません。元横綱双葉山はじめ大鵬や千代の富士ら各時代を担ってきた名力士たちは例外なく激しいけいこで鍛え、その結果、魅力ある相撲が生まれてきました。貴乃花の二十二回の優勝と活躍を支えてきたのも、血の出るようなきびしいけいこと努力でした。
しかし、いまけいこそのものの不十分さが指摘されています。けいこの充実をどう図るのか――力士の自覚任せではなく相撲協会としての対応が求められます。
相撲界は大型化が進んでいます。大きな体がぶつかり合う激しい相撲にけがはつきものです。
相撲協会は近く、食生活改善のために専門家を呼んで講習会などを計画していますが、それだけで十分なのでしょうか。
協会には、本場所や巡業のあり方にも必要な改善のメスを入れることが求められます。
貴乃花人気と実力に迫る力士誕生には、残念ながらまだ時間がかかりそうです。全力士、協会が一丸となってこうした課題にとりくんでいくことが、直面する危機を打開し、貴乃花が築いたものを生かすことになるのではないでしょうか。