2003年1月16日(木)「しんぶん赤旗」
三年連続、靖国神社を参拝した小泉首相に対し、日本による植民地支配を経験した韓国で十五日、抗議と糾弾の声が相次ぎました。
金大中大統領は同日、訪韓した川口順子外相との会談を急きょ取りやめました。表向きは「日程上の都合」ですが、大統領の日程は午前の閣議だけ。抗議の意思は明らかです。
旧日本軍の「慰安婦」を強要された女性たちは、支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)会員たちとともに、ソウルの日本大使館前で集会を開き、「小泉首相の靖国参拝は、戦争被害者に対する犯罪行為だ」と糾弾しました。
元「慰安婦」たちと挺対協は一九九二年一月八日以来、毎週水曜日に日本大使館前で戦争犯罪被害者に対する日本政府の国家補償を求める集会を開いています。この日は五百四十一回目です。
挺対協は、「国際情勢は、北朝鮮の核問題とイラク問題によって緊迫している」と指摘、「小泉首相が戦争犯罪人を参拝したことは、こうした戦争の雰囲気を助長しあおり立てる結果をもたらす」と非難する声明を発表しました。
太平洋戦争犠牲者遺族会も同日、記者会見し、「戦犯がまつられている靖国神社に参拝したことは、アジアと世界の平和を妨げる行為であり、新軍国主義の画策だ」と非難し、靖国神社にまつられている韓国人戦死者を「英霊」から外すよう求めました。
マスコミは、北朝鮮の核問題で日韓の緊密な協調が必要な時期に参拝したことを、韓国政府が日本に強く抗議しづらいと考えた行動、と指摘。十五日付の東亜日報社説は、「いつまで国際世論を裏切る行動を続けるのか」と批判し、海上自衛隊のイージス艦派遣も含め「軍国主義復活に対する周辺国の憂慮を強めるのは、火を見るより明らかだ」と糾弾しました。(面川誠記者)
中国は十四日、小泉首相の靖国神社参拝からわずか二時間半後に、阿南駐中国日本大使を外務省に呼びました。楊文昌外務次官は、これまでの「反対」「不満」だけでなく「憤慨」という言葉を使って抗議しました。そこには、“小泉首相はどうして歴史問題を正面からとらえられないのか”といういらだちに似た思いがあります。
中国は、二〇〇一年八月の小泉首相の靖国参拝後打開策を模索。十月八日に小泉首相が訪中したさい、日本の中国侵略の象徴ともいえる盧溝橋と抗日戦争記念館を訪問し「おわびと哀悼」を行ったことで決着させようとしました。中国外務省の日本担当高官は「今後の小泉首相の参拝はないと思っている。行ったらたいへんなことになりますよ」と、自信さえのぞかせました。
しかし半年後の昨年四月、小泉首相は突然二度目の参拝。江沢民国家主席は「絶対に許さない」(四月二十九日)とまで憤りを表明しました。問題が解決しないまま、江主席は十月にメキシコで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で小泉首相と個別に会談、靖国参拝中止を申し入れましたが、小泉首相は自説を展開、物別れ状態となって今日に至ったのでした。
阿南大使に抗議した楊次官は、靖国神社が中国侵略推進の張本人であるA級戦犯をまつってある場所であると指摘したうえで、「中国とアジアの民衆の感情をいかに傷つけるかに思いをいたしてほしい」「侵略を反省するという日本政府のこれまでの言明と矛盾するではないか」の二点をとくに強調しました。
小泉首相は中国などに対しては「おわびと哀悼」を口にしたことを唯一の旗印に、靖国参拝を強行しています。しかし中国など侵略の相手国から発せられる「“侵略戦争の反省”と、その戦争の張本人に頭を垂れることの矛盾をどう説明するのか」という問いかけには何ら答えないまま、侵略戦争無反省という暴走を続けているのであり、中国政府、国民が指摘するのはその点です。
中国外交の日本担当者は「小泉首相は今年中に中国を訪問することになっている。今後どうなるのか検討がつけられない。今後の首脳相互訪問や日中交流の予定も立てられない。いったいどういうつもりなのだろうか」と憤りと困惑の表情を隠しません。(北京で小寺松雄)
小泉純一郎首相の靖国神社参拝に自民党からは「遺族の気持ちを考えれば当然」(森喜朗前首相)、「大変ありがたい。英断だ」(古賀誠前幹事長)と賛美する声ばかりがあがっています。国民の声もきかず、アジア諸国民の気持ちを傷つける首相の靖国神社参拝が、なぜ繰り返されるのでしょうか。
靖国神社は、戦前、戦中、天皇のために命を落とした人を祭る侵略戦争遂行のシンボル的存在でした。戦後は、東条英機元首相など、侵略を推進したA級戦犯を、「昭和殉難者」として合祀(ごうし)しています。戦争犯罪人を英雄として祭る神社に首相が参拝することにアジア諸国が憤るのは当然です。
しかし、福田康夫官房長官は、内外からの批判に対し「騒ぐ方が問題ではないか」とさえ言い放ちました。国際社会に断罪されたアジア侵略を、居直って美化する露骨な姿勢です。背景には、アジア侵略を本心では是認しつづけている戦前と変わらない自民党の体質があります。
実際、自民党の前身は、侵略戦争を推進した勢力が、自由党、進歩党などと名前を変えて戦後に出発した政党でした。これらの政党は早くも一九五〇年代、過去の戦争は正しかったといわんばかりに、拘留された戦争犯罪人の釈放を求める議論を活発に展開。戦争犯罪人の釈放を求める国会決議案を繰り返し提出しました。
たとえば五二年十二月九日の衆院本会議決議では「独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民感情に堪え難いものがあり」と、戦争犯罪人の釈放が「国民感情」であるかのように描いています。
戦争犯罪人について、「これらの人々は……国家の犠牲者であります」(益谷秀次議員、五二年六月十二日、衆院本会議)、「全部これらの人は愛国者である、国の犠牲者である」(一松定吉議員、同年六月九日、参院本会議)とまで賛美しました。(吉岡吉典著『侵略の歴史と日本政治の戦後』から)
その後、自民党には、A級戦犯の重光葵(後に外相)、賀屋興宣(後に法相)らが加わり、さらにはA級戦犯容疑者の岸信介が首相となるに至りました。
戦争犯罪人を愛国者扱いする体質は、今日の自民党に脈々と受け継がれています。
六九年には神道政治連盟(神政連)が発足、七六年には右翼団体が結集して「英霊にこたえる会」が発足しますが、いずれも国会議員懇談会、議員協議会が結成され、自民党内に足場を築いてきました。
森喜朗前首相の「神の国」発言(二〇〇〇年五月)も、神政連国会議員懇談会の席上でした。国の犠牲者を哀悼するという小泉首相の靖国参拝も、こうした流れを受け継いだものにほかなりません。
戦争犯罪人の美化、A級戦犯を合祀する神社への参拝は、まさに「日本は戦争責任をいっさい拒否する」とでもいわんばかりの姿勢です。(小林俊哉記者)