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2019年4月11日(木)

きょうの潮流

 「私の親はシベリアに抑留されて、まだ帰っていません。何か探す手だてはないでしょうか」。駆け出し記者のころ、取材先でそう訴えられた記憶がよみがえりました▼シベリア抑留者支援・記録センターのビデオ上映会に参加しました。そこで抑留者のなかに女性が数百人含まれていたことを知りました。軍服で身を隠した従軍看護婦やタイピスト、普通の主婦の姿も映っています▼先の戦争で中国東北部などに送られた約60万人の日本兵や軍属、民間人が終戦後にとどめられたシベリア。極寒の地の強制労働によって病気やけが、栄養失調でおよそ1割にあたる人びとが亡くなりました▼当時、看護婦不足を補うため見習いで採用されたばかりの若い女性も捕虜になり、シベリアへ。「何かあったら、日本の女らしく死になさい」と、青酸カリの入った小ビンを全員がもたされました。森の大木を切り出す男たちとともに労働にかり出された女性も▼収容所の庭には脱走し撃ち殺され、カチカチに凍った遺体が見せしめに置かれていたといいます。国際法に反し捕虜を労働力として扱う秘密指令を出したのは、旧ソ連の指導者スターリンでした。そして日本の軍や政府もソ連軍に協力するため、捕虜を提供するという申し出までしていたと▼あの戦争の真実に背を向ける政治家が権力に居座っています。帰らない妹を捜し続けてきた女性が映像の中で語っていました。「戦争はいけません。お国のためといいながら、国は私たちに何をしたのか―」


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