2003年1月4日(土)「しんぶん赤旗」
いよいよ、あと三カ月に迫ったいっせい地方選挙。日本共産党の候補者は、現職はもちろん新人も多士済々です。四人の若手新人候補に、実体験を通して感じる自民党政治のゆきづまりや、選挙にかける思いを語り合ってもらいました。(司会 選挙取材班・内藤真己子記者)
| 日本共産党との出会い |
――いっせい地方選挙の年が明けました。候補者としてフル回転されているところをお集まりいただき、ありがとうございます。自己紹介も兼ねて党との出合いからお願いします。
加藤あい 両親とも党員です。「共産党って本当に正しいのか自分の目で確かめたい」と思って、高校一年のとき民青同盟に入りました。党へは大学一回生のとき「温かい仲間と学び、たたかう人生を送ろう」と誘われ入党しました。
森とおる 私は昨年の正月には「政党に入る」ことは考えてもいませんでしたが、去年の三月に党に入りました。
勤めていた大手アパレルメーカーの会社の様子がどんどん変わってきて、息苦しい。このままではダメだと危機感を持っていることを、党の区議をしている義兄に相談したところ、入党をすすめられたんです。
ひわ友樹 昨年六月、三重県津市の市議補選(定数三)に立候補しましたが落選し、今年は二度目の挑戦です。
私も党員の家庭で育ちました。福祉専門学校に在学中、市議選があり「津市は大型開発にばかり予算を使って福祉にお金が回っていない。福祉が大事にされるよう、いっしょに政治を変えよう」と誘われ、入党しました。
ふなやま由美 難病の父が高校二年のとき亡くなり、命が大切にされる、弱い人も安心して過ごせる社会にできないかと思っていました。ただ、そのときは共産党への偏見があったんです。
母は午前三時から青果市場に勤め、帰ってきてから農作業も家事もこなしていました。
生活が苦しく、兄が医学部在学中に民医連の奨学金を受け、私も民医連の奨学金で専門学校へ行き、そこで民青同盟と出合いました。「怖い」と思っていた共産党のイメージが、「すばらしいことを考えているじゃないか」と変わりました。
入党したのは保健師になって一年目。私も、ひわさんと同じで、医療を充実させるため政治を変えようとがんばっているのが日本共産党だと。それに戦前、あの戦争に反対した党の歴史がすごく印象的でした。
――森さんは会社に「息苦しさ」を感じたのがきっかけだと。どんな状況だったのですか。
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森 まず給料がここ数年まったく上がらない。四十代はどんどん減るんです。年功序列制が崩れ去って個人評価制に切り替わり、これまでプライドを持って会社を支えてきた人たちも、売り上げやコスト削減の数字を出さないと評価されなくなりました。
完全に競争社会。人間関係もギクシャクしてくる。仕事を教えてくれた先輩も愚痴っぽくなり「会社やめて商売でもやろうか」とか、そんな話ばかり。リストラもやられて、一昨年は約三百人が早期退職しました。
これはおかしいと思い始めて、友人に聞いてみるとどこの社も同じ状況なんですね。これは一会社の問題ではないと気づいたとき、社会や政治に目が向いたんです。
――向いた先が日本共産党だったのは?
森 妻の実家の父親が党員で、遊びにいくたびに「しんぶん赤旗」を読んでいて、「もっとも正しいことをいっている政党だ」と強く感じていました。公明党=創価学会の人も知ってましたけど、他の党は言っていることとやってることが違う。だから政治を変えようと入党をすすめられたとき、「いま行動しないと後悔する」と決意したんです。
| 立候補の要請に |
――若いみなさんですが、「候補者に」と要請があったときはいかがでしたか。
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加藤 専従者として党に貢献したいという思いは持っていたんだけど、結婚して三年目、そろそろ子どもも産みたいし、もっと社会経験を積んでからの方がいいのではと考えました。
でも「青年、自らが出なあかんのや。選挙の中で青年の運動を広げ民青も大きくして、大きな党をつくろう」といわれて。
私自身、学費の値上げ幅を圧縮させた大学の自治会活動の経験などを通じて、政治を変える青年の大きい運動・組織はつくれる、つくりたいという思いを膨らませてきました。だから「その通りや」と決めたんです。
ひわ ぼくも地区委員長に「これからは、若い者がひっぱっていかないかん」といわれました。当時は生協で働いていたんですが子ども二人を抱えて、仕事を辞めるとなると大変です。迷いましたがこれを節目に成長したいと思ったので、踏ん切りをつけました。
――森さんは昨年三月に入党して候補者の要請はいつ受けたのですか?
森 発表は八月ですが要請があったのは四月でした。(一同 えーッ)もう、びっくりして。
でも入党したものの「実際に自分は何をやっていけばいいのか」と模索していたところでした。だから役割を与えられたという感じで、その場で受けたんです。
加藤 すごーい。入党して一カ月なんて。
ふなやま 高い決断だったんだねぇ。
森 いま周りの同世代で、海外へ脱出したいという人が何人もいるんですよ。こんな先の見えない日本で暮らすのはもういやだ、ということなんです。でも私は、逃げるくらいなら状況を変えたいと思ったんですね。
妻も「良かったね。おめでとう」っていってくれました。実は、妻とは入党するときの方が侃侃諤諤(かんかんがくがく)で。妻は党員の家庭で育って、忙しい父親への反発があったみたいで。「私は普通の人と結婚したんだ。そのあなたがどうして」って(笑い)。
ふなやま みなさん即断即決されているようですが、私はすごく悩みました。私も子どもがほしいという思いが強くて候補者と両立できるかと。それに保健師の仕事も楽しかった。三つ目は家族が理解してくれるかということ。
夫の父母は保守系なんですよ。自民党を応援している家だったので、結婚して「私は共産党よ」といったことはなかったのね。だから反対されるのではと思って。
ただ、いまの政治の矛盾を考えるとあまりにもひどい。だから一歩踏み出してみようか、と引き受けました。
――ご家族はなんと。
ふなやま 病院の調理師をしている夫は「あなたが決めたことを応援するよ」と。夫の両親には立候補を決めてから話をしに行ったのね。そしたら義父は「なんぼお金用意すればいいの?」。義母は「あなたは人の役に立つために生まれてきた人だと思う。だから、ぜひ頑張って」と。涙を流しながら温かくいってくれました。“壁”って自分が思ってるより高くないのかもしれないと感じたの。
森 いやぁ。いい話、聞いたなあ。
ひわ ほんとやねぇ。
| 政治の矛盾つぶさに |
――活動や仕事のなかで自民党政治の矛盾やゆきづまりを感じられることがあったと思いますが。
加藤 先日も京都市内の大学の同盟員に、友人が「父親の商売が立ち行かなくなって、半期分の学費が払えない」って言ってきたっていうんです。四回生で、あと半年で卒業なのに。
私自身も西陣織の織布工をしている母の仕事が減ったこともあって、育英会の奨学金のほかに大学の貸付制度でなんとか卒業できたんです。いまは不況がより深刻で、大学に途中からいけなくなる人が増えてきています。
――就職難の問題や、働く青年の状況も厳しいですね。
加藤 民青同盟京都府委員会では、働くことをめぐってやりがいや悩みを交流しようと「働く青年サポート委員会」をつくって、アンケート活動や相談活動をやっています。
繁華街の四条烏丸で労働相談をやったとき、メガネ屋で働いている女性が給料の遅配や未払いの問題で相談にきたんです。「それは違法やし、おかしいで」という話になって、裁判を起こして未払いを全額払わせました。権利を知り、声を上げてたたかうことで生きいき働く条件をつくりだせると思います。
政府・自民党は「若者の就職難は職業意識の問題で、職業を選ばなければある」という立場。サービス残業をなくすなどして、政治の責任で就職難に取り組めと言っているのは、日本共産党しかないでしょ。京都市は、青年の雇用問題の窓口もない。まず実態を調査してほしい。議会にいって迫りたい一番の問題です。
森 私がいた会社も、もう何年も新卒者を採ってません。アパレルメーカーといえば希望者が多いんですが…。
会社の変化でいえば、もっとも衝撃的だったのは、大事にしてきた古い取引先をどんどん切っていったことでした。
これまで何十年も原料、縫製といった各地の零細メーカーとタイアップして、いっしょに頑張ってきたからこそ会社も伸びてきたんです。それなのにコスト削減ということで、大手商社・企業と一括契約の海外生産にどんどん切り替えていった。
ある地方の縫製メーカーの社長と東京の街中でばったり会ったことがあるんですよ。「うちも切られたよ」と。「従業員に賃金を支払えるだけの仕事をとって帰りたいんだが、なかなか難しい」と言われて…。つらかったですね。
ひわ ヘルパーをしていて、津市の福祉行政が遅れていることを痛感しています。特別養護老人ホームの入所待ちをされている方が津市だけでのべ千五百十五人、ダブりを除いた実人数が八百九十六人もおられます。
介護保険は利用料がすごい額になるんです。一人暮らしの痴ほう性老人の例ですが、起床介助に始まって食事、排せつ、入浴、就寝介助に至るまで、ヘルパーが一日何回も入らなければならない。支給限度額いっぱい利用すると月三万数千円。限度額を超えると、あっという間に月八万、九万円にもなるんです。
それに「介護保険料はなんでこんなに高いねん」とあちこちで聞きます。津市の介護保険料は基準額で月三千百五十二円ですが、低い年金でやり繰りされている方々にとっては大変な負担です。それなのに津市では、保険料も利用料もなんの軽減措置もないんです。
福祉・介護を充実させるために、自分が体験してきたことを通じて、切実な願いを訴えたい。だから当選してもヘルパーをなんらかの形で続け、現場の声を市政に届けたいと考えています。
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ふなやま 候補者になって約二千五百人の方と対話してきましたが、どこでも暮らしが大変です。
昨年十月の高齢者医療の大改悪で、「いくらかかるのか」と不安を抱えて受診するという声があちこちで聞かれます。
これまでも、治療中断や受診抑制の広がりを痛感してきました。九七年の健保二割負担では、糖尿病でインスリン注射をしている六十代の母親と三十代の息子さんの家庭で、母親がぷっつり外来に来なくなったんです。
訪問すると、お母さんに「これ以上お金を出せないから、自分の治療費は息子にやっている」といわれて言葉につまりました。この人の命はどうなるのだろう。いまの自民党の悪政の下では、命も健康も守れないと実感しました。
――四月から健保三割負担が予定されていますね。
ふなやま 許せないことですね。そのなかで「社会保障の三兆円負担増中止」など日本共産党の「四つの緊急要求」が住民の願いにかみ合っていると感じています。医師会の先生にごあいさつにいっても、「いまの医療制度では地域の患者さんの健康に責任を持てない。国の政治はどうなっているんだ」と怒ってらっしゃいます。保守の方とも共同できるなと感じます。
| 地域を回ると… |
加藤 私も読者の方や全戸訪問で千三百人と対話してきましたが、お年寄りの多い地域で、ふなやまさんが話されたようなことがいっぱい出てくるんです。“介護保険の保険料とヘルパーさんの利用料のやりくりで暮らしはカツカツ。昼間は電気を消して節約して、ごはんは毎日カップラーメン。どうにかしてほしい”―こういう手紙を寄せられた方もおられます。
京都市は六十五歳以上の介護保険料を今年四月から、基準額で月千円以上も値上げしようとしています。お年寄りはもちろん、若い人の間にも「これから先どんどん上がっていくのでは」という不安感が広がっています。
一方で、京都も無駄な公共事業がいっぱいあるんです。京都市内高速道路建設で四千億円以上といわれてますし。どこにそんな金があるんかと。
☆★……☆
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ひわ 津市も大型開発の無駄遣いがひどいんです。サイエンスシティという工業団地を四百四十億円かけてつくったけれども、やってきた企業は目標の一割。広大な用地に雑草が生えている状態です。
失敗は明白なのに、こんどは中部国際空港への海上アクセス事業をすすめようとしています。新港を整備して高速船で伊勢湾を横断するというんです。これも採算性が問題になっています。
ところが、「サイエンスシティの失敗をどう考えているか」と追及しても、市長は「議会も決めたじゃないか」と開き直っています。共産党以外は、みんな賛成してますからね。
それで住民の暮らしはというと、保育の問題ひとつとっても保育料が高い。うちも四歳と二歳の子を預けて二人で月六万円を超えます。
保育園の老朽化もすすんでいて、床がきしんだり、段差があったり、重たい扉だったり。保護者会の会長をしていて対市交渉をするんですが、市は「お金がない」という答え。
大型開発にこれ以上お金を使っているときですか。そんな声を市政に届けたいですね。
ふなやま 昨年九月の仙台市議会で日本共産党市議団が、仕事おこしにつながるような、個人住宅の改修工事の助成や、バリアフリーの住宅改修の助成など、三つの条例を提案したんです。残念ながら否決されたんですが、条例実現のために議員団と、大工さんとか、水道工事の方とか、ふすま屋さんとか、一軒一軒歩いてお話をうかがいました。不況の中で「月のうち半分働けばいいほうだ」とか、「家を建てる仕事はなくて、解体の仕事ばかりで滅入ってしまう」とか。「仕事おこしにつながるような施策を自治体独自でやってほしい」と、期待を寄せられました。
困難な状況に思いを寄せることと合わせて、住民のみなさんから元気をもらうし、与えるという活動をしていきたいと思っています。
☆★……☆
――森さんは最初の党活動が候補者活動ということで、発見も苦労も多いと思いますが。
森 最初の駅頭宣伝が大変でした。悩んで相談もしたんですけれども「慣れればいいんだ」といわれて(一同、爆笑)。演説原稿もだれかが書いてくれるものと思っていたら、いきなり「原稿用紙六枚書いてこい」と。暗記するのがまた大変で最初の演説の時は、汗びっしょりでしたね。
駅頭宣伝を週三回、昨年九月から続けてきて、ハンドマイク宣伝も三百回を超えました。「家に帰ってばたんきゅうですぐ寝てしまう。朝起きられますか」とか、「休日は家庭サービスもあるし、自分の趣味の時間は持てますか」と会社のことを実感を込めて話すと、こっちを見てくれますね。
演説した翌日、元読者を訪問したら「昨日演説を聞いたよ」といって、こちらからお願いする前に「赤旗」をとるといってくれたこともありました(一同「へえー」)。やっただけの成果がでてくるんだ、と確信になっています。
候補者になると決めて「遅れをとってはいられない」と、党関係の本を百冊読む目標を立てたんです。昨年四月から百十四冊読みましたよ(一同「すごーい」)。党の講師資格試験も四科目受けて三つ受かりました。学習でき、自分の幅を広げてくれるのも、日本共産党のすばらしいところだと感じています。
| 未来と党を語って |
――どんな選挙にしたいか、党の値打ちをどう訴えるか、あらためて抱負や決意をお願いします。
加藤 京都市議と府議の候補で二十代、三十代が七人います。そのうち六人が大型宣伝カーで街頭宣伝したら、普段はビラも受け取らなかったりする若い人が、気軽に手を振ってくれたり、熱心に聞いてくれました。
車を止めて聞いていた二十六歳の青年は「ええなぁ。共産党からこんなに若い人が出るんですか。政治は若い人にやってもらわなあかん。自民党では日本は変わらへん。共産党がんばれ」と話してくれました。
同世代が政治を変えようとしていることに期待しているんだなあと思いました。「青年が主人公」という選挙をしたい。
いま政策をみても、国会や市議会や選挙での論戦をみても、他党は未来を語れないでしょ。青年は現在の社会について考えると同時に未来に生きる世代でもある。青年の思いに応えられる政党は共産党しかない。そこを訴えていきたいと思います。
森 退職したのは昨年七月だったんですが、候補者発表は一カ月後の八月末だったので、その時に会社の同僚など二百人に電子メールでメッセージを流しました。「日本共産党の豊島区議候補になるから辞めた」ということと、森という人間がなぜ政治の世界に足を踏み入れたか、ということを考えてほしいと。
「カネにまみれるんじゃないか」とか、「日本共産党の存在意義がわからない、説明してくれ」というメールの一方で、「あなたの志に感銘を受けた」「ぜひともがんばってほしい」というメールもありました。「私も一票入れます」といってくれる人もいましたが、その人は、豊島区在住じゃなかった。(笑い)
「自分たちが働いている中で大変なのは政治のせいかもしれないね」と、政治に目を向けてくれるようになったメールが増えてきています。日本共産党を広げたいということはもちろんですが、政治にもっと目を向けてほしいというメッセージを投げかけていきたいと思っています。
ひわ 津市は前回のいっせい地方選挙で党が五議席を四議席に減らしています。今回は定数が二削減される厳しさもありますが、必ず五議席の回復を勝ち取りたい。
「いままで別の候補者を応援してきたが何もしてくれない。親身になってくれるのは共産党だけや」といって、今度は共産党を応援してくれる人も増えています。いままで日本共産党とつながりのなかった人たちにも共感を広げていきたい。
またアメリカがイラクを攻撃しようとしているなか、「平和の党」という値打ちも語っていきたいですね。
ふなやま 昨年の十一月に「太白区民の集い」を催して六百人の方が参加していただきました。その中で、前回は「市議選では他党候補だよ」といっていた町内会長さんが「今回は共産党のふなやまを応援したい」といって話してくれたんです。千二百八十億円を投入する再開発事業で区画整理がおこなわれたときに、税金の使い方が間違っていると主張して、住民といっしょにたたかったのは共産党だけだったということでした。
会長さんは、「いまの世の中を変えたいと思ったら、共産党に大きくなってもらうしかない」といって、「共産党はみんなの力で支えられている政党だから、ぜひ千円でも二千円でもいいから置いていってください」と、カンパの訴えまでしてくれたんです。
いま困難だけれどみんなで力を合わせていけばこの現状を打開できる。保守系の人も、いままで共産党を知らなかったという人も含めて、いっしょに力をあわせて世の中を変えていこうと、そういう活動を広げたいと思っています。
――きょうはありがとうございました。