2002年12月26日(木)「しんぶん赤旗」
滋賀県豊郷(とよさと)町の町立豊郷小学校の保存が二十四日、全国の注目の中で決まりました。裁判所の決定をふみにじってまで学校を解体しようとした大野和三郎町長は、全国から「無法町長」の指弾のなかで、強硬方針をかえざるを得ませんでした。(滋賀県・黄野瀬和夫記者)
|
![]() 建設当時、「東洋一の小学校」といわれた鉄筋コンクリート2階建て(一部3階)の本校舎。高く大きな窓で内部が明るい近代洋館の設計 |
学校の保存と再生を訴えてきた「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」の本田清春代表は、「苦労が実り、子どもたちに正しいことは勝つことを示せたことがいちばんうれしい。町長は、別の校舎を建てるというが、住民はそんなムダ遣いは許さない。専門家の力も借りて、夢のある学校に再生することこそ願いです」と語ります。
同小学校は、著名なアメリカ人建築家のW・メレル・ヴォーリズの設計で、明治学院大学、大阪女学院など全国でも屈指の名建築として知られています。
戦前の一九三七年に建設されました。同町出身の近江商人、古川鉄治郎氏が、当時のお金で約五十万円、今の価値に換算すれば五十億円以上になる巨費を寄付して建築しました。
大野町長は、学校解体するのは「子どもたちに危険な校舎を使わせるわけにいかない」からと、耐震性が劣ることをほぼ唯一の理由にあげてきました。しかし住民はその耐震性の調査がずさんなものであることを建築家の応援をうけて詳細に反論し、保全の仮処分を大津地裁に申請しました。同地裁は校舎の文化的価値を認めたほか、耐震調査も町は再検討すべきだったが、それもしていないと断じました。
建設当時、「東洋一の小学校」とよばれた学校は、六十五年を経てもびくともしていません。学校が六十五年の風雪に耐えているのは、「日本が最高の資材を投入することができた時代に建設されたから」だと、建築専門家は口をそろえます。卒業生らも、「この学校を壊すとはとんでもない話だ」「この学校は私たちの誇り」といい、学校門前に座り込みました。町民らは学校内に泊り込んで工事強行から体を張って守ってきました。
![]() 木製のいす600席が階段のように配置され、まるで教会のような講堂。ヴォーリズの典型的な設計を示しています |
大野町長側は、「米百俵の精神を象徴していることは知らない」「屋上にはペンペン草が生え、雨漏りもする状況にある」と裁判で主張し、文化財としても、学校としても管理するつもりもない姿勢を示しました。
町長が唯一よりどころとした校舎の耐震性が劣るという問題も、町が調査を委託した業者がデータを改ざんしていたことが明らかになりました。
京都の近代建築を考える会の代表、蓮仏亨建築士は、その業者について「これだけの建物を評価する専門的な力がない」ときびしく指摘します。
![]() 階段手すりのイソップ物語のウサギとカメの彫刻を見る(左から)本田清春「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」代表、日本共産党の穀田恵二国対委員長ら=23日、豊郷小学校本校舎 |
町長ははじめから裁判に従うつもりはありませんでした。「裁判の結果がどうあれ、工事はしゅくしゅくとすすめる」「仮処分は、あくまで仮の決定だ」と公言し、工事差し止めの決定が出された翌日に、解体工事を強行しました。
日本共産党の岸田正太郎、高橋直子の両町議は、町議会で学校への住民の愛着の大きいこと、町側の示す改築理由が合理性を欠くことなど、住民の声を代表して訴えました。保守系の町議とともに学校解体予算に反対し、住民監査請求、裁判への訴えも住民とともに奮闘してきました。
仮設のプレハブ教室建築が強行されたときは、石井郁子衆院議員が応援にかけつけ、文部科学省に保存を数回にわたって申し入れ、同時に超党派での運動を各党に呼びかけてきました。
解体工事強行のニュースを聞いてかけつけた穀田恵二国対委員長・衆院議員もあらためて超党派の運動を呼びかけました。
町長の断念は、各党が声をそろえて「保存を」と行動したことが力となりました。
しかし、同町長は保存に同意したものの住民側が求める現校舎の補修・使用は否定。学校敷地内に別校舎を新築する考えで、現校舎の保存・再生の運動は新たな段階へ入りました。
いま、住民はこの学校を学校として生かすよう運動をさらにつよめています。
![]() 文部科学省に申し入れる「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」の本田清春代表(左から2人目)と、石井郁子、穀田恵二両衆院議員(左から3、4人目)ら=25日 |
「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」の本田清春代表と吉原稔代理人弁護士は二十五日、文部科学省を訪れ、滋賀県豊郷町の豊郷小の校舎を保存・改修するように町を指導することなどを申し入れました。日本共産党の石井郁子、穀田恵二両衆院議員が同行しました。同省の笠井俊秀・教育局施設助成課課長補佐が応対しました。
申し入れで本田代表らは、現校舎を校舎として使用しながら登録文化財として申請するように町を指導すること、町長が損壊させた窓ガラス、窓枠、床、天井など損壊した部分を早急に復旧補修することを要請しました。
本田代表らは、町長の指示によりバールなどで窓枠などが破壊された惨状を写真で示しながら「原状回復を早急に」「教育機能をもつ日本のすぐれた文化財として活用できるように」と訴えました。
笠井課長補佐は補修の必要性を認めるとともに「校舎をどう使うかは、二十年後三十年後を考えながら、町で議論し町の中での合意を得ることが大事」「新築・改修予算をどう使うかは町の考えによるので、文部科学省としても町の合意に沿っていきたい」と答えました。本田代表らは同日、河村建夫文部科学副大臣にも同趣旨の内容で申し入れをしました。