2002年11月22日(金)「しんぶん赤旗」
十七日に投・開票された沖縄県知事選で、日本共産党、民主団体が推薦する「革新県政の会」の新垣繁信候補(60)=沖縄医療生協理事長=は、様々な困難な条件のもとで善戦・健闘しました。選挙結果と今後のたたかいについて、日本共産党沖縄県委員会の赤嶺政賢委員長(衆院議員)に聞きました。
――選挙の結果についてどうみていますか。
赤嶺 新垣候補が勝利するには至りませんでしたが、「たいへん気持ちのよい選挙ができた」(「会」の上原源栄選対本部長)というのが、選挙をたたかった多くの人たちの実感です。
新垣候補の出馬表明にたいし、革新の運動にたずさわってきた人や、元沖縄社会大衆党員などからも「真の革新の候補が出た」と支援と共感の声が広がりました。選挙戦では、元社大党員で八十六歳の女性が何度もマイクを握り、「新垣さんの勝利で、革新県政の実現を」と訴え、反響を呼びました。
新垣候補の獲得した四万六千票余は、昨年の参院選の日本共産党の比例票の約一・七倍です。新しい革新の共同を切り開く一歩を築いたと確信しています。
――新垣候補が善戦・健闘できたのはどうしてですか。
赤嶺 「五党協議」(別項)を通じて革新共同に努力し、そのなかで革新共闘をこわしたのはどの勢力かを、筋道を通して議論し、明らかにしたからです。
「五党協議」で私たちは、識者からふさわしい候補者として共産、社民、社大の代表に提案があった元読谷村長の山内徳信氏を提案しました。ところが、社民党などは「革新の候補は無党派で」といういったん合意した内容に反する態度をとり、当初から出馬の意思がなかった同党の照屋寛徳前参院議員の擁立に固執し、「五党協議」をこわしました。そして、「革新共闘は役目を終えた」とのべる吉元政矩・元副知事の推薦を決めたのです。
元副知事は、政策面でも米軍普天間基地の山口・岩国への移設など、沖縄の革新運動の歴史からみて、受け入れがたい政策を掲げました。
社民党の革新からの脱落は、九五年の参院選沖縄選挙区(一人区)で、「共産党とは共闘しない」という方針を打ち出して以来の根深いものです。
日本共産党と「革新県政の会」は、今回の事態がマスコミなどで報道されるような「革新分裂」ではなく、社民党などが一方的に元副知事を擁立し「革新から脱落」したことを、「五党協議」の経過なども通じて徹底的に明らかにしました。そして、基地の無条件全面返還を掲げる新垣候補だけが沖縄の革新の伝統を引き継ぐ候補者であることを訴えました。
――新垣候補の主張は選挙戦にどのような影響を与えましたか。
米軍基地の無条件全面返還の主張は選挙の論戦をリードし、稲嶺知事も「新垣さんの主張がベストだ」と認め、「岩国移設」を主張する元副知事も「安保廃棄」を口にするなど、大きな影響を与えました。
新垣候補の主張は、県民の声を代表するものでした。選挙中に地元紙が実施した世論調査では、普天間基地の移設先について、名護市18%、本土7%に対し、米国と答えた人が59%を占めた(沖縄タイムス十二日付)ことからも明りょうです。
選挙をたたかった人たちが元気になっているのは、「だれが革新共闘の妨害者なのか」「県民の願いを代表しているのはどの候補者なのか」が明らかになり、大義と道理は新垣候補の側にあることを確信したからです。稲嶺知事が公約した名護市新基地の「十五年使用期限」について、日米両政府は一貫して拒否しています。選挙前に伊江村で起きた米軍物資落下事故にたいし、村議会が抗議決議をあげ、これまで弱腰だった県当局も重量物資投下訓練廃止を米軍に求めざるをえない状況になっています。基地受け入れの県政と県民との矛盾は深まらざるをえません。
各候補の得票数からみて、力関係をまだ変えるには至っていません。しかし、変える力と展望がどこにあるのかを示したのが、今回の知事選のたたかいです。
五党協議 知事選の政策と候補者選定のためにおこなわれた日本共産党、社民党、沖縄社会大衆党、民主党、自由連合の協議