2002年11月6日(水)「しんぶん赤旗」
十月二十七日投票の衆参補欠選挙で日本共産党候補として大奮闘した七氏が選挙戦で感じたことや確信とすべき教訓、今後の展望などについて語り合いました。司会は大幡基夫選対局長・衆院議員。
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語り合う(左から)丸林、菅野、宗田、桑原、須藤、大幡、浅野、市谷の各氏と和田一男宣伝局長、佐々木陸海書記局次長 |
大幡 七つの国政補欠選挙の結果は、いっせい地方選挙、総選挙に向けて奮闘いかんでは大きな前進、勝利が可能だという展望と確信を全党に広げる善戦、健闘でした。候補者のみなさんを先頭にした、党員、後援会員のみなさんの奮闘に心から敬意を表したいと思います。
今回の選挙結果について、自公保勢力は、五選挙区で議席を得ましたが、得票内容を見れば、“党としてたたかって勝利した”という確信は彼らにはないと思います。マスコミも一致して「政党の衰弱」「政党の無節操」などと書いています。このもとで、わが党は経済・内政でも、外交・平和でも、自民党政治の告発にとどまらず改革の提案を正面から訴えて、論戦をすすめました。この点で、選挙戦を振りかえってどんな感想を持たれたか、率直な思いからお願いします。
須藤 多くのご支援をいただき、ありがとうございます。候補者として自分の方から壁をつくってはならないと、保守層の人を含め広い人たちと話し合ってきて、どこでも党への期待を感じました。建設業協会にもいき、初めて、党のビラを事務所に置かせてもらいました。農協組合長と懇談したあと、全職員にビラを配布してくれました。
医療改悪で国民の命が削られるような状況になっており、「私の生きているうちに世の中を変えて」と激励されました。そういう国民の要求にこたえられる政策、展望を示してたたかったのは日本共産党だけでした。
菅野 政党らしい選挙をたたかったただ一つの党であったし、結果もそのことを示せたと思います。自民党候補が公明党の支援をうけて当選したとはいえ、単独では勝てないことを示しました。当初は、「民主党の指定席」だといわれたりしましたが、私の得票は、大阪十区の国政選挙では初めてその民主党を上回りました。政党不信、政治不信が広がるなかで、政見をきちんと語れるのは日本共産党しかなく、日本共産党の政策・路線を全有権者に届けきれば小選挙区でも議席に届くというのが実感です。
浅野 候補者として初めてのたたかいでしたが、楽しかったです。スケジュールは本当にハードで、体力的には大変でしたが、楽しくて日々元気になるという感じでした。それは、有権者と生で対話し、そのなかで「いまの政治を何とか変えてほしい」という願いに触れたからだと思います。まったく無名の新人の私が二十万近い支持を得たことに、党・後援会のみなさんが本当に喜んでくれました。今後の躍進につながるものだったと思います。
桑原 私は、昨年七月(参院選)、今年四月(参院補選)、そしてこんどと、一年四カ月で三回の選挙をたたかったことになります。今回は小選挙区ということで、党の支部長さん全員の名前も覚えて、名前を呼びあって、支部のみなさんといっしょに選挙をたたかうことを心がけました。
合併してできたJA越後ながおかで、農協の政治団体への加盟要請について、組合長が「コメ政策を見てもろくなことをしていない。入るわけにはいかないと思うがどうか」と理事会に諮ったところ、加盟に反対意見が続出し、加盟しないことになるという印象的な出来事もありました。
選挙本番には自民党の麻生太郎政調会長がきた農政懇談会で、組合長が「自分は自民党員だがこんな農政はだめだ」と開口一番批判しましたが、麻生氏はいまの危機的な農政問題について何一つ語れなかったといいます。「農政懇談会」だというのに。
丸林 自民党の古賀正浩議員が九月六日に亡くなったことによる選挙で、九月十四日に立候補表明しました。急なことで、とにかく、一日に二十回から三十回ぐらい街頭演説をして回りました。マスコミも日本共産党は政策を掲げてやったといいました。
これにたいし、ほかの候補は政策なし。自民党は議席死守のために、小泉首相以下八十人から百人の国会議員が入り徹底したしめつけをやりました。それでも得票率を大きく減らしました。
宗田 昨年の参院選でも立候補しましたが、神奈川八区はもっとも反応の冷たい地域だったという印象があります。神奈川のなかでも党勢の弱い地域ということもありますが…。しかし、今回の日本共産党の得票率は昨年の参院比例比一・五倍。過去二回の後退をくいとめ、前進への第一歩となったと思います。
選挙戦全体としては、自民、民主の大後退が特徴で、自民・公明は、小泉首相初の“お国入り”、神崎公明党代表をはじめとしたテコ入れ、民主党も鳩山代表が三回、菅前幹事長、小沢自由党党首がたびたび来援するなどそれぞれ総力戦でしたが、いずれも得票率を半減し、敗退しました。
市谷 鳥取では、自民党が分裂していまだにけんかしています。自民党は過去三回も自民党と対決して選挙をたたかった人物を推薦しました。それに対抗して現職県議が「われわれが本流だ」と出馬しました。
自民党推薦候補は九万票で、自身の選挙では最悪の得票数です。おそらく自民党候補でも歴代最低ではないでしょうか。民主・社民・自由は中央からの落下傘候補を擁立し七万票。前回参院の民主、社民両候補合計の九万票を大幅に減らしています。
私は参院選挙を三回たたかいましたが、くらしをなんとかしてほしいという切実さはこんどが一番強く感じました。自民党政治のもとで県丸ごと切り捨てられるような鳥取県で、政治を変えてほしいという声があふれ、自民党の支持基盤が大きく崩れていることを実感しました。
大幡 みなさんのお話からも、今回の選挙で日本共産党は、経済でも、外交でも、戦略的な展望をもち、本当に政党らしく選挙戦をたたかったただ一つの党だったという確信が伝わってきました。そのことは、選挙結果にも示されています。昨年の参院比例代表選挙の得票率とくらべて衆院山形四区で二・九倍、神奈川八区で一・五倍、新潟五区で二・〇倍、大阪十区で一・七倍、参院千葉選挙区で二・三倍、鳥取選挙区で一・三倍。しかも九八年参院選の過去最高得票の比例代表と比べても、山形四区で一・七倍、新潟五区、大阪十区、参院千葉選挙区で前進し、なかでも山形四区は得票数でも過去最高を上回る画期的なものでした。自民党政治の崩壊現象が大きく進行している一方、現状の打開、新しい政治を求める有権者の模索と探求も大きくひろがっています。こういう有権者への働きかけで特徴的だったことは?
須藤 私は、選挙区内の二市十二町村すべての首長にあいさつし、農協の組合長さんとの懇談を重ねるなど、保守層の人たちと幅広く話し合ってきました。そうしたなかで、「今度は須藤に」ということで、「しんぶん赤旗」(東北のページ)に十人を超える方々が登場してくれました。半分以上は自民党の人だったと思います。
背景には、「このままの経済状況が続いたら沈没」という状況があります。庄内地方はリストラにあった人が約七千二百人。高校卒業生の就職率は三割。商店街は鶴岡、酒田を合わせて老舗も含めて百軒が店を閉じた。閑古鳥がなくような経済状況で何とかしてくれという気持ちをひしひし感じました。
ところが自公保陣営では、“票が減るから候補者にあまりしゃべらせるな”ということになっていたようで、ついには、候補者を無視したまま候補者カーが走り出した、という話が伝わっています。
桑原 私も壁をつくらず対話しようと努力してきました。JAや商工会議所、商工会、観光協会、医療機関、特養ホーム、老健施設、社会福祉協議会、市町村長を訪ね、懇談をしてきました。
ある民間病院の事務長さんが、四月からの診療報酬改定で年間一億円の減収になるなど医療改悪の被害を話され、「赤旗」を購読してくれました。
新潟五区は魚沼産コシヒカリの産地です。それだけに農政への批判が強く、農業・食糧問題をきちんと訴える日本共産党への期待の大きさを実感しました。
首長との懇談では市町村合併、大型店出店など、どの問題でも壁がないと感じました。
商工会や商工会議所では外形標準課税反対の署名運動がやられ、小千谷市では会員の三倍の三千人の署名、長岡市でも一万人を超える署名を集めています。また大型店出店反対の幅広い住民運動もあり、中小業者から、どこでも違和感なく、私への期待の声が寄せられました。
市谷 建設業協会、商工会議所、農協と積極的に懇談してきました。自民党の支持基盤の建設業界でも「大型公共事業では中小の業者まで仕事が回らない。自民党に裏切られた」という声が上がっています。佐々木憲昭議員に来てもらって開いた経済懇談会でも、そういう声が率直に出されました。
元自民党県議候補のポスターを張っている会社で、社長さんが敷地内で演説させてくれ、社員も出てきて話を聞いてくれました。ある農協の組合長は党演説会で「いまの自民党の農政では納得できない」とあいさつしてくださいました。
BSE(牛海綿状脳症)問題で政府交渉をして老廃牛の買い取りが実現するということもあり、東伯町農協では幹部や職員のみなさんが街頭演説を聞いてくれました。これには新聞記者も驚いていました。
宗田 神奈川でも、ある自民党県議が“いろんな団体が申し入れをしてくるが、みんな共産党のようなことを言っている”とぼやいているということです。ゼネコンの下請け会社の社長は「大型事業ではもうからない。町場の仕事をやらせてほしい」といいました。政策では、日本共産党と一致するとつくづく感じました。
他候補は政党色を消すことに必死で、政策についてはほとんど語りませんでした。暮らしの問題では不良債権処理の加速など、すべて小泉改革支持一色でした。平和と外交でも、上空で米軍が夜間離着陸訓練をやっているのに何もいわない。企業献金禁止も他の政党の候補者はいっさいいいませんでした。
菅野 今の不況の中でも、とくに深刻な大阪では失業や倒産が身近で切実な問題であり、筆坂秀世政策委員長に来ていただいた経済懇談会でも、要望や質問があふれるように出されました。そのうえ医療改悪で、お年寄りは病院にも安心していけないなど、行く先々で切実な要求がうずまいていて、「政治を変えてほしい」との願いが強くあるのに、各政党・候補者は論戦でもまともに答えられませんでした。
「経済、暮らし、外交などしっかり語ってくれたんはあんただけや」と、少なくない人から声をかけていただきました。
大幡 自民党の崩れとともに、マスコミの“与党連合か野党連合か”というキャンペーンにもかかわらず、民主・自由・社民が連合した三つの選挙区(新潟五区、参院千葉、鳥取両選挙区)でいずれも敗北し、政策一致にもとづかない野党連合は力を発揮することができなかったのも今回の特徴です。自民党政治への失望と怒り、有権者が「与党連合」にも、「野党連合」にも、不信をもつという状況が広がるなかで、無党派層が大きく増えているのではないでしょうか。今回の選挙の投票率の低さも、この反映の一つです。だから、こうした人たちにどう働きかけるかは大事なところです。手ごたえを感じたこともあると思いますが?
須藤 私がつよく感じたことは、経済問題と庄内の景気でも、雇用・リストラや農業問題、日朝問題など国際問題でも、日本共産党の立場、役割を太く押しだし、きちんと訴えたことに、大きな反響があったことです。
不破議長にきてもらった酒田での演説会は、これまでの最高の二倍以上の参加者で、六、七割が党外の方だったんですが、ある地方議員さんは、「『難しいのでは』と不安をもっていたが、じつによく聞き、声援も拍手も多かった。有権者が真剣に考えており、党の政策の根本が理解される状況にあることを学んだ」といっていました。
市谷 鳥取でも、志位委員長を迎えた過去最高の演説会で、参加者の六割が党外の人で、自治体の幹部職員のみなさんから「元気の出る話、ありがとうございました」などの感想が寄せられました。
大幡 党が大躍進した一九九八年の参院選前後の時期には、演説会に多くの人が集まるわりには静かでした。初めての参加者は、まずは聞いてみるということだったようです。ところが、今回は、党外の人のほうが圧倒的に多い演説会でも、熱い反応がある。これは、有権者に、日本共産党の改革の提案が深く理解される条件が熟しつつあることのあらわれではないかと思います。それだけに、結論の押しつけではなく、政党離れした無党派層の人たちの経験に即して、事実と道理によって政治は変えられることを確信でき、わが党の提案が、おのずと理解されるような「柔軟で新鮮な発想」に立った訴え方が大事だと思います。
今回は、それぞれの選挙区で、不破議長や志位委員長の演説を内部的な後援会ニュースではなく、「民報号外」で広く対話でも活用しました。
山形四区、大阪十区では、全戸配布したそうですが、反響はどうでしたか。
菅野 演説会に参加した党員や支持者が一気に配布しました。「引きこまれて、途中からマーカーで線を引きながら読んだ」という有権者の声も届けられました。
須藤 タブロイド判八ページの文字ビラですが、本当によく読まれ、話題になりました。電話での対話でも、半分近くの人が読んでいるとの報告もあります。党の政策への確信とともに、山形の有権者はたいしたものと思いました。
浅野 このビラはすごいですね。私は、結論の押しつけでなく、おのずと理解される訴えという点で、駅前で有権者との「トーク集会」を開いてきました。通りすがりの人から政治についての要望を聞いて、私の意見をのべるんです。一日に三回やったこともありますが、一回一回が“真剣勝負”なので、このときはさすがに疲れました。
最初は、要望がでるか不安でしたが、どんどん出るんです。中学生や高校生からは、「クラスのみんなが『進学は私立はダメ。国公立にして』と親から泣いて頼まれている」という声が出ました。今のくらしの問題と政治の問題が直結して話になっているんだと感じました。
そうした要望、意見に、私が持っている限りの知識と政策で答えるんですが、そうすると共感の渦が広がる。やっていて日に日に面白くなりました。
こんなことがありました。話を聞いていた三十七歳の男性の方がメモをくれたんです。「若井(民主・自由・社民推薦候補)にしようと悩んだが、浅野にいま決めた。私は自衛隊を軍隊と認めるべきだと考え、共産党は本来大嫌い。しかし小泉改革はそれ以上に許せない。小泉をつぶすには共産党以外にないと思い、今回は一票入れる」と。どこに入れたら政治革新につながるのか、「トーク集会」でここまでいった。
東京新聞が、六人の学生による「直感で採点、三人の候補者」という記事を出しました。話し方、政策の中身、ポスターなど六項目で採点しているのですが、五項目で私がトップだったんです。私が三人の候補者のなかで一番若かったということも有利に作用したと思いますが、なによりも政治への怒り、日本共産党の政策への共感が土台にあったのだと思います。
桑原 私は、「街かど演説会」を重視しました。告示前は、その地域の全戸に案内のビラを入れ、告示後には、電話で案内することにかなり力を入れてとりくみました。
選挙本番に入って魚沼地域だけで六十八カ所、千十一人が参加し、これまでにない幅広い人が集まってくれました。
高齢の方が出てこられたときは、「私の話はちょっと長いので、どうぞ腰かけて聞いてください」というんです。農村ですからすぐゴザがでてきます。ゴザに座って私の演説をじっくり聞いてくれる。「特養ホームが全室個室になると約十万円になるんですよ。入れますか」と問いかけると、隣の人と「入れねえわ」と心配しあう光景が広がりました。こういう対話型の演説はいいなあと思いました。
市谷 行政区ごとの演説会を重視して、党員の三倍くらい党外の方が集まったところもあります。日本共産党の話を聞くのは初めてという人たちに、私たちの政策・結論を押しつけるのではなく、要望を聞いて、それに答えるという姿勢が大事だと思いました。日本共産党には答える政策があるじゃないですか。
BSE問題で、牛が売れなくて困っている農家の声を集めて農水省に交渉するなど、いっしょに運動するなかで、結びつきも強まるなあと思いました。幅広い人たちと懇談し、要望を聞いてそれに応えるために努める。その成果も伝える。その積み重ねが信頼関係につながると思います。
桑原 無党派層への接近というときに、いまの無党派層の人々は、政治に参加したいと思っているんだと思います。演説会にしても、一方が話すだけ、一方が聞くだけでは満足しません。発言したいし、演説に拍手するのも、参加の意思表示のようです。どうやって、こういう人たちが参加する選挙活動にしていくか、研究する必要があると思いました。
また党の「構え」が大事です。党が本気で当選をめざして活動しているのかどうか、有権者は「やる気」をしっかりと見ています。
それと、いまの要求について政策を語るのはもちろんですが、日朝問題でもそうですが、過去・現在・未来について、日本共産党の歴史と路線について語る力をつけ、国民の疑問、不安に答えられないといけないと思いました。全部その場で答えられなくても、「おれたちの疑問に真剣に答えようとしているな」と感じてくれれば、信頼感が生まれるんだと思います。
菅野 たしかに有権者は能動的になっていると思います。演説会の案内ビラへの反応などで、不破議長、志位委員長の話を有権者が聞きたがっていることを感じました。小集会をやって初めて参加する人も多く、息子さんの失業問題や、この十月で店を閉めるなど、胸のつまるような話が出され、「政治を変えるために」と次の日に、多くの人が支持カードをもってきてくれました。政治不信が強い時期だけに、有権者を激励して、いっしょに政治を変えていこうと訴えていくことが大事だと思いました。
宗田 こんどの選挙でほとんどすべての党支部が小集会を開くなど貴重な成果がありましたが、とくに青年支部が元気でした。「トーキング・ジャム」という企画で二人が入党し、一人が民青同盟に加盟。駅頭で二人の青年が加盟するということもありました。選挙後の感想を聞いてみると、「こんなに楽しかった選挙はない。ますます党が好きになった」「選挙を通じて自分たちは間違っていないことがわかった」「みんなの成長を実感できた。仲間を増やす展望が見えた」と確信にしています。
浅野 青年のサポーター「ふみ子組」というのをつくったんです。全力でたたかった青年たちが「なんで負けたのかわからない」というんです。そんな思いに応えられる党にならないといけないと思いました。
大幡 みなさんの話を聞くにつけ、客観的には、日本共産党の値打ちが光る時期であることを実感します。それだけに中央としても、いっせい地方選挙や総選挙に向けて青年への接近を含め、日本共産党の押し出し方を大いに研究したいと思います。さて、今回の選挙では、自民党が公明党、創価学会の力なしには選挙をたたかえない状況になっていることをいよいよ露呈しました。そして、その公明党・創価学会は、拉致問題を党略的につかい、反共デマ攻撃を各地で繰り広げました。これにたいし、公明党の攻撃に反論しつつ、日本共産党こそ日朝問題で道理ある立場を貫いてきたことを明確にした「赤旗」号外を発行しました。これはたいへん歓迎され、どこでも数日で配布しました。このたたかいについては?
須藤 「赤旗」号外を読んだ人から「気にかかっていたが号外で明快に疑念が晴れた。自民、公明が大きな顔をするのはもってのほか。須藤さんの当選を祈念します」という手紙も届きました。不破議長や志位委員長が外交問題、日朝問題も正面に据えて演説されたことは、聞いていた人に確信と展望をあたえました。
NHK日曜討論での市田書記局長の論戦をみて胸をスーッとさせた人も多かった。テレビを見て、創価学会員だったけれど須藤さんに入れるという人もいました。
菅野 大阪十区では小泉首相が学会幹部に協力を頼みにいったと報じられ、公明党の久保衆院議員が「共産党をせん滅するたたかい」だと演説するなど、有権者から見ても異様な状況でした。このもとでこの号外は、支部、後援会での読み合わせを重視し、これによって、公明党・創価学会のひどさ、デタラメぶりと、日本共産党の先駆的役割を実感し、最終盤の勢いをつくる大きな力となりました。号外を見て「自分も配るから五十枚くれ」という人もいました。
浅野 千葉でも元学会員という人がこの号外を見て、「配りたいから」といって何枚も配ってくれました。
大幡 大阪十区でみると、公明党・創価学会の支援で当選した自民党候補は、自公保の前回参院比例の得票率50・9%を34・2%に減らしました。得票でも前回総選挙の公明党候補の票(約五万五千票)を一万票以上減らしました。
菅野 それはその通り。恐るるに足らず、です。日本共産党が無党派の人たちとの共同を大きく広げることができれば、うちやぶることができると思っています。
大幡 こんどの補選は各府県で確信となり、今後の活動をすすめる力になっていると思いますが、同時に党勢が小さいことで悔しい思いもしたと思います。いっせい地方選、総選挙に向けて、党員と「赤旗」読者を増やすことが、ますます重要になっていますね。
須藤 山形四区の鶴岡地区委員会は読者拡大で十四カ月連続拡大をしてきましたが、十月は減紙になってしまいました。選挙の中で七人が入党してくれたことは成果です。いいことをいうだけでなく国民の期待に応えられる、量・質ともに強い党をつくらなければならないと思っています。
丸林 選挙戦がきびしかったのも党が弱い、若い人が少ないということがありました。選挙後、政策が素晴らしくても党が強く大きくなければ政治は変えられないと訴えて、二十代、三十代の人に三人入党してもらいました。これから、また地区委員長代理として党建設に全力をあげたい。
桑原 自民党推薦候補は地元で小学校区ごとに後援会をつくってたたかったと報道されています。本当に量・質ともに強大な党をつくらないと勝てない。そういう党をつくって支部を主役にたたかえば小選挙区でも勝てると実感しました。
浅野 選挙中も支部から「入党をよびかけたいから一緒にきて」といわれました。先日早速対象者の方を連れてこられたんですが、青年かと思っていたら母親ほどの年配の方でした(笑い)。要請があれば、全県どこへでも行きたいと思います。
菅野 みんなのなかには、全力あげてがんばったという達成感があります。大阪十区は府内でも党の弱い地域で、府平均の力があればという思いです。量・質ともに強大な党をつくる、やっぱりここが大事だと思います。
須藤美也子さん(衆院山形4区) 党山形県委員長・元参院議員
桑原加代子さん(新潟5区) 党県国会議員団事務所長
宗田裕之さん(神奈川8区) 党県政策副委員長
菅野悦子さん(大阪10区) 元衆院議員
丸林秀彦さん(福岡6区) 党筑後地区委員長代理
浅野史子さん(参院千葉選挙区) 党県女性児童部長
市谷知子さん(参院鳥取選挙区) 党県民運動部長