2002年10月27日(日)「しんぶん赤旗」
【モスクワ26日北條伸矢】二十六日午後、チェチェン武装勢力による劇場占拠事件の現場になったモスクワ市南東部メリニコフ通り周辺は、自動小銃を手にした武装警官が警備の目を光らせ、「ドゥブロフカ劇場」の周囲百メートルが立ち入り禁止になっているなど、ロシア特殊部隊の突入作戦から約六時間がたっても、あたりは物々しい雰囲気に包まれていました。劇場から三百メートル離れたアパートに住むタマラさん(48)は、起床と同時に突入作戦の開始を耳にしました。怖くて、部屋から一歩も出られませんでした。
「さっき人質が六十七人も死んだと聞き、ショックです。解決方法はほかになかったのでしょうか…。チェチェン紛争の平和的な解決を願っていたのに」
ロシアがチェチェンを併合した歴史や第二次世界大戦中のスターリンによるシベリア強制移住には心を痛めているというタマラさん。ただ、「市民を犠牲にする犯罪に手を染めるのでは、誰の支持もえられません」と言い切りました。
近くに住むニコライさん(72)は工場の夜勤から帰ってきたばかり。人質に多数の死者が出たことを聞き、「信じられない」と口にし、「同じような事件が繰り返されなければいいが」と不安そうでした。
「突入作戦はやむをえなかった」という意見もあります。人質として閉じ込められていたインタファクス通信のオリガ・チェルニャク記者は「犯人の女性は“あなたたちを道連れにする”と言っていた。特殊部隊の突入がなければ、人質は全員殺されていた」と語りました。流血を伴った事件の結末は、ロシア国民の心に忘れがたい記憶を残しつつあります。