日本共産党

2002年10月21日(月)「しんぶん赤旗」

女性が美しく輝く世紀に

新日本婦人の会創立40周年のつどいでの講演(大要)

不破 哲三


 創立四十周年を迎えた新日本婦人の会が十九日に東京ベイNKホール(千葉県浦安市)で開いた「輝け憲法!はばたけ新婦人!」のつどいで、日本共産党の不破哲三議長が「女性が美しく輝く世紀に」と題しておこなった講演(大要)は次の通りです。

 みなさん、こんにちは。いまご紹介いただきました不破哲三でございます。

 会場をいっぱいに埋めたみなさんを前にして、本当にみんなの力、自分の力で未来を開こうという熱気に打たれました。

 私は、ご紹介があったように、きょうの演題を「女性が美しく輝く世紀に」とつけました。しかし、私がわざわざ言うまでもなく、もうここにお集まりのみなさんが、二十一世紀にふさわしく、まさに美しく輝いておられます。(笑い、拍手)

写真

不破さんの講演を聞く会場いっぱいの「輝け憲法!はばたけ新婦人」のつどい参加者=19日、千葉・東京ベイNKホール

 では、そのみなさんに、何をお話ししたらいいのか。いろいろ考えましたが、結局、新しい世紀を迎えたいま、歴史のなかで現在をとらえる、そしてまた二十一世紀の将来をそのなかで展望する――こういうことを、みなさんと一緒に考えてゆきたいと思います。

女性の歴史と将来を「科学の目」でとらえた先覚者がいた

 いまから百二十年ほど前に、女性問題の歴史・現在・将来を「科学の目」でとらえた人物がいました。私たちの理論と運動の大先輩であるエンゲルスという人です。この人は、マルクスの親友でして、マルクスが死んだ時、彼が書き残したノートを参考にしながら、『家族、私有財産及び国家の起源』という本を書いたのです(一八八四年)。

 私はまだ若いころ、十七、八歳ぐらいのころに、この本を最初に読んだのですけれども、その時から大変深い印象を受けた二つの点がありました。

「女性の世界史的な敗北」

 一つは、人類の社会が始まった最初のころについての話でした。社会をつくった最初の時期には、人間は女性への差別というものを知らなかった。子どもを産む女性は、家族の中心で、社会的にも尊敬される立場を占めていました。

 さきほども、平塚らいてうさんが「元始、女性は太陽であった」、こういう言葉を書かれた話が出ましたが、まさに、女性が太陽だというその言葉通りの社会状態が、人間社会の出発点には、現実にあったのです。

 この状態が壊れたのは、かなり昔のことで、いわゆる共同体社会の最後の時期――家族というものの形が、それまでの女性中心から男性中心に切り替わった時のことでした。それ以来、それまでは女性の役目だった、家庭のなかで舵(かじ)をとる権限も、男性が独占するようになりました。エンゲルスは、その変化の過程をずっと調べあげて、これを「女性の世界史的な敗北」と名付けたのです。ヨーロッパで言いますと、いまからおよそ二千年前から三千年前という時期に起こったことでした。

 それ以来、いろいろな社会が交代してきましたが、女性は、差別された地位からなかなか抜け出せないで、歴史を過ごしてきた。ここに、私が深い印象を受けた第一の点がありました。

法律上の平等から社会的な平等へ

 第二の点は、その差別から女性が抜け出すこれからの展望の問題です。

 エンゲルスがこの本を書いたころは、差別の解消と言いますと、選挙権の問題とか、法律の上で男女の平等を実現するということが、中心問題でした。しかし、エンゲルスは、本当に女性への差別をなくすには、法律の上だけではダメだ、現実に社会のくらしの中で男女の平等を実現できるようにする必要がある――この問題をはじめて提起したのです。これはまさに、時代を超えたすばらしい見解だった、と思います。

 では、現実に社会的に平等になるには、何が必要か。女性だけが家事に縛られている間は、本当の社会的な平等はない。経済であれ政治であれ、女性が社会の公の生活のなかで平等の地位を得るためには、子育てや家事などを社会全体の力でささえる、こういうところまで社会の仕組みを変えてゆく必要がある。エンゲルスはそこまで考えたのです。

 法律の上の平等は、資本主義の時代でも獲得できるだろう。しかし、いま見たような社会的な平等には、もっと高度な条件が必要になる。それを実現することは、資本主義を乗り越えて社会主義に進むなかでこそ解決できるのではないか。実は、これが、男女の平等の問題について、十九世紀の八〇年代に、エンゲルスという大先輩が明らかにした見通しでした。

日本の女性は簡単に「敗北」しなかった

 それから百二十年近くたちました。いま、二十一世紀の冒頭に立って、また私たちの日本で、男女の差別と平等、女性解放の歴史と展望を考えるときに、私は、いまご紹介した大先輩の見方を、二つの点で、発展的に読みなおす必要があると考えます。

 まず第一の問題です。さきほどエンゲルスが「女性の世界史的な敗北」について語ったという話をしましたが、日本の女性は、それほど簡単には「敗北」しなかったということなんです。実はそこに、日本の女性の歴史の大事な特質があります。

 歴史のなかから、三人の女性をあげたいと思います。

卑弥乎

 最初の女性は、三世紀――いまは二十一世紀ですから、ほぼ千八百年前ということになりますが、三世紀の卑弥乎(ひみこ)という女性です。邪馬台(やまたい)国というところの女王でした。なぜ邪馬台国の王が女性だったのか?

 その背景としては、宗教的な事情とかいろいろあげられますけれども、ともかく日本列島に生まれた最初の国家が、女性の卑弥乎を王とする「女王国」であり、そういう国として中国の歴史の本(『魏志倭人伝〔ぎしわじんでん〕』)で紹介されました。これは、大変特徴的なことだったと思います。女性がまったく権利を失って、差別の底にいる存在に変わっていたら、その女性が王になるなどということは、起こりえなかったのではないでしょうか。

紫式部と『源氏物語』

 二人目は、それから少しあと十一世紀に生きた、『源氏物語』を書いた紫式部(むらさきしきぶ)という女性です。『源氏物語』はいまでも広く読まれていますが、これは、女性が書いた、世界で一番古い小説だと言われています。女性が小説を書くということは、この当時、世界にはあまり例がないのです。しかも、日本では、女性の文学は『源氏物語』だけではありませんでした。清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』とか、当時の女性の文学活動は、多方面にわたっていました。

 このことについて、ある歴史研究者は、こう言っています。「前近代〔近代以前の時代〕に女性がこのようなすぐれた文学を多く生み出した民族が、はたして世界にあるのかどうか。私はおそらくほかにはないと思います」(網野善彦『日本の歴史をよみなおす』一九九一年、筑摩書房)。

 実は、十一世紀に女性の文学活動がこんなに盛んだった根底には、「ひらがな」の文化というものがあったのです。その前の時代には、日本人は、自分たちの言葉を表すのに、すべて漢字を使っていました。「万葉仮名(まんようがな)」といって、「いろはにほへと」を全部漢字で表していました。それから百年か二百年かかって「ひらがな」が生み出されました。女性が創(つく)ったとは言えませんが、「ひらがな」が当時「女手(おんなで)」と呼ばれていたことからいっても、「ひらがな」文化を発展させ普及していった担い手が女性であったことは、間違いないと思います。それがやがて、男性・女性の区別がない日本社会の共通の文化に発展したわけです。

 私たちはいま、「ひらがな」を取り上げられたら、文章をなにも書けなくなります。この「ひらがな」文化こそは、まさに、女性が発展させた重要な文化遺産にほかなりません。(拍手)

北条政子

 三人目は、さらにあとの時代、十三世紀になりますが、北条政子という女性です。彼女は、日本最初の武家政権である鎌倉幕府の最初の将軍、源頼朝の妻でした。頼朝が死んでから、“尼将軍”と呼ばれて、幕府の政治の中枢をにぎりました。

 ただ形だけの中心ではないのです。当時、京都の天皇政権が幕府打倒の戦争を決めて、鎌倉に攻めかかろうとしたことがありました(承久の変)。鎌倉武士は大変動揺したのですが、その時、集まった武士たちを、声涙くだる大演説で叱咤(しった)激励して立ち上がらせ、ついに天皇政権の軍を打ち破ったのは、尼将軍政子でした。文字通り大変な実力者でした。

 こうした事情も、彼女だけの問題ではありませんでした。同じ武家社会でも、後代とは違って、当時は、女性でも、土地や財産を持つ権利がありました。鎌倉幕府には、いろいろな地方を支配する地頭(じとう)という重要な役職がありましたが、それに任命された女性もいました。このように、女性が一人前の権利を持つ存在として認められていたことの、きわだった現れが、尼将軍政子だったのです。

 こういう状態がどこで変わったのか。歴史家の研究によりますと、南北朝内乱というものがあった十四世紀以後のようです。そして、それが最後には、江戸幕府と明治以後の専制政治のもとで、がんじがらめの女性差別の体制に仕上げられてゆきます。

日本の女性のDNAには自立と尊厳を守ってきた歴史が書きこまれている

 こう見てきますと、日本には、ヨーロッパなどとは大変違う歴史があることが分かります。「女性の世界史的な敗北」と言われたものが、日本では、ヨーロッパよりもずっと遅れて起こりました。それだけに、女性が差別体制のもとに押し込められた歴史は、ヨーロッパとくらべると、浅くて短いのです。あちらの方では、二千年から二千数百年、あるいはそれ以上の差別の歴史がある。それが、日本では、六百年から七百年ぐらいです。

 みなさん、DNAという遺伝子の話はご存じでしょう。DNAには、その人の先祖からの歴史が刻まれています。日本の女性のDNAには、「女性の敗北」という世界史の流れに抵抗して、女性の自立性と人間的な尊厳を守ってきた歴史が、脈々と書きこまれていると言ってよいでしょう。私は、このDNAの力を大いに発揮するのが、二十一世紀だと思います。(大きな拍手)

女性の社会的平等がいまや世界の共通課題になってきた

 次に、現在の世界と日本で、女性の権利確立、差別打破の運動がどこまで進んできたかを考えてみたい、と思います。

 まず世界です。

 法律上の平等という点では、二十世紀はたいへんな躍進を記録した時代でした。二十世紀のはじめには、女性が参政権を持っていたのは、国としては、ニュージーランド一国だけでした。しかしいまでは、世界中で、女性が参政権を持たない国はほとんど見当たりません。それだけの大変化が起きました。

 それにくわえて重要なことは、世界の大部分はまだ資本主義の段階にあるのに、エンゲルスが問題にした社会的平等の実現が、いまや世界的な課題になってきた、ということです。

 一九七九年、いまから二十三年前に、女性差別撤廃条約というものが、国連総会で採択されました。この条約のなかには、百二十年前に、女性の社会的平等のためにこれが必要だとエンゲルスが強調した目標が、国際条約の取り決めとして、うたわれているのです。

 ――子どもを育てることには、男も女も、社会全体がともに責任を負う必要がある。

 ――社会と家庭で、男が伝統的にになってきた役割を、女性の役割とあわせて変更することが、男女の完全な平等のためには必要である。

 ――親が家庭への責任(家事・育児)と、職業上の責任および社会活動への参加とを両立できるように、必要な社会的サービスの提供、たとえば保育施設のネットワークの設置などを、国が促進してゆく必要がある。

 こういうことが、条約のなかに、明文で書きこまれているのです。

 前にお話ししたように、エンゲルスは、そういう社会的仕組みの実現は、資本主義の段階では無理だろう、社会主義になってこそ見通しが開ける、という考えを述べていました。ところが、女性差別撤廃条約では、その課題が、すでに資本主義の段階で世界の共通課題として打ち出されるにいたったのです。

 私は、この条約が結ばれたとき、女性解放の運動が、社会の変革の運動を追い越した、そう言ってよいほどの意味があると思って、条約の内容を読みました。

日本では女性問題でも「ルールなき資本主義」の現実がある

 では、日本ではどうでしょう。日本でも、実際の生活のなかでは、いろいろな分野で、女性の活躍が目立つようになってきました。社会生活の各方面でもそうですし、スポーツでも女性が参加する種目が広がっています。こういう変化は、日本の社会の多くの方面で静かに進行しています。

 私は、それぞれの努力で女性の活動分野をさらに広げてゆくことと同時に、社会的な規模でそれを可能にする条件をかちとること、このことがいま非常に大事だと思っています。

 では、社会的な条件づくりというこの面で、日本の現状はどうでしょうか。率直に言って、日本は大変遅れているのです。

 私たちは、経済生活のいろいろな側面について、日本はヨーロッパにくらべても、国民の権利やくらしを守るルールが弱い、“ルールなき資本主義”だと言ってきましたが、女性の差別と平等の分野でも、同じ現実があります。

 日本も、一九八五年には女性差別撤廃条約を批准しました。法律の上では、いろいろな前進があります。しかし、そこでもテンポがおそいこと、つまり進歩のたどたどしさがあります。また、差別解消を、たとえば母性保護を切り捨てる口実にするといった逆行的な現実もあります。母となる女性の力と権利を尊重し、母性の保護の面で社会がその役割を果たすことは、人間社会が将来の世代にたいして負うべき重大な責任です。この責任を、「差別解消」の名によって投げ捨てるなどは、絶対にあってはならないことです。

 このような法律上の遅れや逆行とあわせて、社会の現実の立ち遅れには、さらにはなはだしいものがあります。

 みなさん。この問題で、女性差別に関連する多くの国際機関から、日本にどんな批判が寄せられているか、ご存じでしょうか。

 最近の八年間をとっても、女性差別撤廃委員会(一九九四年)、労働関係でのILO条約の専門委員会(一九九六年)、自由権規約委員会(一九九八年)などなどから、「日本では女性差別の問題が解決されていない」という批判が相次いで寄せられています。

 なかでも重要なのは、昨年(二〇〇一年)八月、国連の人権規約委員会が日本政府の報告を審査して発表した「最終見解」です。そこでは、次のように、日本の女性差別の現状について、根本的な「懸念」が表明されています。

 ――日本では、議会、公務部門、行政及び民間部門(つまり全部門ということです)で、女性を専門的な地位や政策決定にかかわる地位につけないという女性差別が広範にあり、また事実上の不平等が依然として存在していることに懸念を有する。

 ――日本では、同じ労働をしていても男女の賃金に事実上の不平等があること、また多くの企業では、女性には専門的な仕事に昇進する機会がほとんどないという雇用慣行が続いていることに懸念を有する。

 条約を批准して十何年たっても、日本では、条約の規定に反する女性差別が解決されないまま残っている、社会の全分野にある、こういう重大な批判が、国連の関連委員会から、こういう形で寄せられているのです。

 私は、ほかの国はどうかと思って、この委員会が他のサミット諸国についてのべた「見解」を調べてみました。そのなかには、いろいろな問題点を指摘されている国もありますが、それらは、個々の部分的な問題をとりあげての注意でした。日本のように、社会全体の根本問題として、正面からの批判を受けている国は、ほかにはないのです。

 “ルールなき資本主義”というのは、女性差別の問題でも、まぎれもない日本の現実であります。

 そして私は、この現状を打開し、変えてゆくことは、女性だけの問題ではない、と思います。これは、日本社会全体の課題であって、この問題そのものが、男女共同で取り組まれるべきだということを、ここでとくに強調したいと思います。(大きな拍手)

新日本婦人の会はこの40年間、日本の女性の活動の先頭にたってきた

 私は、日本について、二つの角度から話してきました。

 一つは、男女平等という問題でも、日本には、“ルールなき資本主義”という恥ずべき実態がある、という問題です。

 もう一つは、日本の女性のDNAには、女性の自立と同権をめざす強力な歴史が刻みこまれている、という問題です。(笑い、拍手)

 私は、日本の女性がさらに美しく、さらに輝くためには、そのDNAにふさわしい活力を大いに発揮して、日本の社会を、男女の平等と女性解放という分野でも、先進的な社会に変えてゆく活動と努力が必要だと思います。そして、この分野で私たちが前進することが、必ず、日本社会全体を前向きに発展させる力となることは、間違いありません。

 戦後五十七年間、日本の女性たちは、その方向で歴史を切り開いてきました。そのなかで、新日本婦人の会は、一九六二年に誕生し、日本の女性の活動の先頭に立って、四十年の歴史を刻んできました。

 私は、妻が創立当初からの会員だったこともあって、この四十年間を、比較的身近に見てきた一人です。

 新婦人が誕生した時の率直な印象を言いますと、「日本の女性が関心を持つあらゆる問題を、平和と社会進歩の立場で取り上げる、すばらしい女性の組織」が生まれたなと、そのことに新鮮な驚きをもって注目したものでした。(拍手)

 実は、十年前、新婦人創立三十周年のレセプションにお招きを受けたとき、私は、あいさつのなかで、創立当初に私が持ったこの印象について話しました。そして、そのこととあわせて、三十年の活動をへた新日本婦人の会をどう見ているかについても、話しました。

 ――いろいろな運動に参加してきた私自身の経験からいっても、国民の運動のあるところ、新日本婦人の会の旗が必ずひるがえっていること。

 ――そして、国民のどんな運動でも、そこに新日本婦人の会が参加すると、

 国民のあいだに大きく胸を開いた明るさ、

 生活にしっかり足をおいた者の強さ、

 未来に目を向けた者の輝き、

 そういうものが、運動の全体にみなぎることを実感すること。

 三十周年ではこんなあいさつをさせていただきましたが、これは、それからさらに十年たったいまでも、いっそう強く感じている私の実感であります。(拍手)

「大きな社会的変革は、美しき性(女性)の力の働きなしには起こりえない」(マルクス)

 最初にエンゲルスから話をはじめたので、最後に、エンゲルスの親友だったマルクスの言葉をあげたいと思います。マルクスが、親しい友人夫妻にあてた手紙の一節です。

 「いくらかでも歴史を知っている者はだれでも、大きな社会的変革は、女性の力の働きなしには起こりえないことを知っています。社会の進歩は、美しき性――これはみなさん方のことです(笑い)――の社会的地位を尺度として、正確にはかることができるものです」(マルクスからクーゲルマンへ 一八六八年十二月十二日)

 社会の進歩と変革の運動における女性の役割をみごとに描きだした、すばらしい言葉だと思います。そしてこの言葉は、マルクス、エンゲルスが生きた十九世紀以上に、二十一世紀の世界と日本にあてはまる言葉だと思います。

 マルクスがこの手紙で「美しき性」と呼んだ女性のみなさんが、この日本で、女性の平等と尊厳をめざす運動をいちだんと前進させるとともに、よりよき社会をめざす社会進歩の運動にも大きな貢献をなされるよう、新日本婦人の会の運動、日本の女性の運動がさらに大きく発展することを願って、私の話の結びとするものです。どうもありがとうございました。(大きな拍手)

 


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