2002年9月1日(日)「しんぶん赤旗」
「娘は必ずもどってくる。遺品になった携帯電話に声だけでもかけてきて」。悲しみと怒りでいやされぬままあの日を迎えた犠牲者の遺族たち。四十四人の死者を出した東京・新宿歌舞伎町の明星ビル火災は、一日で発生から一年になります。
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これまで遺族へのお悔やみも謝罪もしなかったビル所有者の久留米興産は八月三十一日朝、「つつしんで哀悼の意を表させていただきます」と書いた紙を張り出しました。
二十六歳と二十一歳の姉妹を一度に亡くした母親は「この一年線香を上げにもこなかった。心からの謝罪の言葉はなぜないの」と怒りを新たにしています。
「千羽づるは一万羽を超えました。あの子たちが好きだった花とお菓子をいっぱいつめてビルに持っていく」と母親。姉妹が住んでいたアパートに残されていた長女の携帯電話。亡くなったことを認めることのできない母親は遺品になった携帯電話を肌身離しません。
「もしかしたらかかってくる。命日には声を聞かせてほしい」と母親。「天国と結ぶ携帯電話があったらいいのに…」とむせび泣きました。
ニュース速報のテレビで息子・三橋秀悟さん=当時(18)=の名前を見て都立大久保病院にかけつけた父親の正近さん(51)。「文章を書く才能は小さいころから抜群だった。作家になりたいと社会勉強と人間探究のために許した歌舞伎町でのアルバイトです。長くはだめだ。いろんな体験しろといっていたばかりだった」とショックから立ち直れないでいます。
「毎日泣いている。一年たったからと、けじめというそんな気持ちにはなれない。損害賠償の裁判を起こす人がいたなら一緒にやりたい」
息子の亡くなったビルを見ようとしても「体が拒否反応を示す」というのは、三階に客として居合わせ死亡した調理師の柳下政彦さん=当時(36)=の母親・昭子さん。今年六月警察の許可をもらってビルに入ってみようと思いましたが外出できないほどの腹痛に襲われたのです。
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一方、ビルのずさんな防火管理と行き届かない立ち入り検査などの消防行政が問われたものの、歌舞伎町は、変わらぬにぎわいと避難階段に荷物を放置するなど危険を承知で風俗店を営業している小規模ビルは相変わらずです。
風俗店、カラオケ店、居酒屋が入居する五階建てのビル。ビールケースや捨て看板が雑然と避難階段に放置され、人がとおるのがやっとです。
東京消防庁は火災発生後に、明星ビルと同様に飲食店や風俗店が入り、階段が一つだけの雑居ビル一万五千四百棟を緊急査察しました。
そのうち八割以上が違反の指摘をうけ、同庁が改善勧告をした結果、八割を超えたビルで是正されたとしています。
先の姉妹を亡くした母親は「何年かかろうと安全な街づくりをしてほしい。声を大にしていいたい。まめに改善指導をして、またずさんな防火管理にもどさないでほしい」と悲痛な声で訴えていました。
夜八時四十五分には、日本共産党の衆院選東京一区予定候補の佐藤文則・新宿区議と川村範昭・新宿区議選候補がビル前で献花。「亡くなった四十四人の犠牲を無駄にしない安全な街づくりに取り組みたい」と話していました。