2002年8月21日(水)「しんぶん赤旗」
公明党は、与党化して以来、戦争法(ガイドライン関連法、九九年)、報復戦争参加法(テロ特措法、〇一年)、PKO法改悪(〇一年)と、自衛隊の海外派兵を拡大する立場を推進してきました。
そして今日、海外での自衛隊の武力行使に道を開き、米国の戦争に国民を強制動員する有事法案を推進するまでに至ったのです。
公明党は有事法制について「罰則をもって強制するとか、担保するということは、法律をつくる以上、無理からぬ部分がある」(冬柴鉄三幹事長、三月二十日の与党緊急事態法制協議会後の記者説明)と、政府・防衛庁の主張を丸のみし、法案提出を催促。神崎武法代表は、自民党が四大法案の優先順位をつける前から、「公明党としては特に、健康保険法の改正といわゆる有事法案を軸に考えていきたい」(五月一日、中国・香港で)と有事法案を最優先する姿勢を示したのです。
法案の審議でも公明党は、「万一に備えた法整備(有事法制)は法治国家として当然」(白保台一衆院議員、四月二十六日の衆院本会議)とアクセル役を果たしました。有事法制がないと、「無用の人権制限をもたらすおそれがある」「さきの大戦における沖縄戦の地上戦でも明らかだ」と沖縄の地上戦まで持ち出してあおりました。
法案の危険な本質が知られるようになると地方議会で法案に反対を表明したり、慎重審議を求める決議が広がりました。この動きに公明党地方議会局は、「看過しがたい重大な事実誤認や意図的な曲解が含まれている」「適切な議会対応を図る必要がある」と決議妨害を指示しました。
与党が、衆院有事法制特別委員会で、いったん中央公聴会の日程を単独議決した際は、「公明党が与党単独審議という強行路線を容認する姿勢を示したことが大島氏(自民党国対委員長)の背中を押した」(「日経」五月二十八日付)と評されたほどでした。
法案が成立断念に追い込まれると「他国から攻められた場合、国民の生命や財産、権利を守るために、国や自衛隊がどう対応するかを定めた法律」(冬柴鉄三幹事長、三日付「公明新聞」)とその危険な本質をごまかし、火種残しに躍起となりました。そして、「国会閉会中に政府・与党として作業を精力的に進め、法制の輪郭、将来像を国民に示し、一層の理解を得る努力を重ねた上で、秋の臨時国会で関連法案を成立させる」(同)とさらに成立に執念をみせるなど、旗振り役を買って出ています。
与党化・政権入りで推進した悪法の数々
【1999年】
5月 戦争法(ガイドライン法)成立を後押し
8月 「日の丸・君が代」法、態度急変し「十分議論したらさしつかえない」(神崎氏)と賛成
同 「人権を侵害する可能性が大きい」(浜四津代表代行)としていた盗聴法に賛成
同 住民基本台帳法「改正」―「個人情報保護法が前提」と賛成
| 「公明党の力添えで、ガイドラインや国旗・国歌など10年かかってもやり遂げられなかったこともいっぺんにやれた」(森喜朗自民党幹事長=当時、2000年2月) |
【2000年】
2月 衆院の比例定数20削減に賛成―「公明党幹事長の冬柴は『ベルを押さなければ議長の不信任案を出す』と脅した」(「読売」)
3月 年金給付水準を削減する年金法改悪案に賛成―「方向性間違っていない」(坂口政審会長=当時)
4月 雇用保険法改悪―失業手当の給付水準引き下げに賛成
10月 参院比例「非拘束名簿式」導入を強行
11月 高齢者に一割定率負担を導入する健康保険法改悪案に賛成
【2001年】
10月 米軍の報復戦争参加へ、テロ対策特別措置法に賛成
12月 武器使用基準緩和などPKO法改悪案に賛成
【2002年】
4月 有事法制3法案を国会に提出。有事法案の中央公聴会日程を自民などと強行議決(5月)、後で撤回
7月 参院選の公約を破り、医療費3割負担などの医療改悪法案を強行