2002年8月14日(水)「しんぶん赤旗」
戦前の労農党代議士、山本宣治が死の直前に書いた額「唯生唯戦」(「ただ一人ただ戦う」の意とされる)が、東京・大田区の「平和のための戦争資料展」(十一日まで)に展示されるという本紙記事(九日付)が、五十年前になくなった父親を新たに“発見”する役割を果たしました。
この人は、川崎市中原区の鈴木実さん(68)=年金者組合川崎中原支部執行委員。記事の「東京市荏原郡羽田(当時)の若い漁師たちが、『漁業組合を漁業者の手に』と結成した『日本相愛会』」という個所に、九日朝、同支部の坂田茂執行委員長が気づき、「新聞読んだか」と電話したのがきっかけです。
鈴木さんも坂田さんもともに羽田の出身。鈴木さんの父親、菊治郎さんは、日本相愛会の結成に参加していたのです。
日本相愛会は、当時、羽田の漁業組合が町の有力者に支配され、組合費も着服されていたなか、裁判闘争もおこない、組合費を返還させました。山本宣治を招いて開いた演説会の会場、羽田小学校の講堂も、この返還金で建てられたものでした。
「日本相愛会結成のときの写真が自宅にあったはずだ」と、九日夜、編集局に電話をかけてきた鈴木さん。十日午後、「おやじに会えるのではないか」と、「資料展」の会場に坂田さんとともに写真を持って訪れ、同展実行委員の人たちと懇談しました。
砂利船を十五、六そう持ち、海軍の横須賀のふ頭に砂利を納めていたという菊治郎さんが、一方で、相愛会結成に参加していたこと、母親の使いで行くと砂利船内の三畳ほどの座敷でランプをぶらさげて会議を開いていたこと……。「資料を見て、話も聞いて、だんだんとおやじの姿と話が結びついていく。羽田が山宣と関係あるとは、夢にも思わなかった」と、鈴木さんはいいます。