2002年8月10日(土)「しんぶん赤旗」
先の侵略戦争で日本軍の性奴隷にされた「慰安婦」の名誉回復と、日本政府の謝罪・補償を求める運動が広がっています。日本共産党と民主党、社民党が提出した「戦時性的強制被害者(「慰安婦」)問題解決促進法案」の審議が七月下旬、参議院内閣委員会で初めておこなわれ、継続審査となりました。一方、「女性のためのアジア平和国民基金」では解決できませんでした。「慰安婦」問題解決に向け何が求められるのか、日本共産党の吉川春子参議院議員に聞きました。
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――謝罪と名誉回復に必要な措置を国に義務づける野党三党の法案審議が始まったことは、大きな意義がありますね。
吉川 問題解決へ一歩をふみ出す画期的なできごとです。当日の内閣委員会は、韓国など海外からかけつけた人もいて、立すいの余地もないほど、傍聴者であふれました。政府は「サンフランシスコ条約と二国間協定で決着済み」としてきましたが、野党の立法はその壁を破ったのです。福田官房長官は追及を恐れて、当日の委員会への出席を拒否しました。
審議のなかで元「慰安婦」、宋神道(ソン・シンド)さんの被害の実態が紹介されました。それを聞いた杉浦外務副大臣は、一人の人間としては「胸のふさがる思い」といいながら、「解決済みというのが政府の考え」と、矛盾した態度を取らざるをえませんでした。
――「慰安婦」問題の解決や、女性への暴力を許さない国際的なとりくみも広がっていますね。
吉川 日本の女性NGO(非政府組織)と国際法学者や国際機関専門家の協力で「女性国際戦犯法廷」が東京(二〇〇〇年)とオランダのハーグ(二〇〇一年)で開催され「慰安婦」制度を断罪しました。国連は一九九三年に「女性への暴力撤廃宣言」を採択。旧ユーゴ国際法廷や国際刑事裁判所などで、武力紛争下での性暴力の処罰をおこなう努力が続いています。「慰安婦」問題は今日、武力紛争時の女性に対する暴力の典型例として解決が迫られているのです。
――「女性のためのアジア平和国民基金」の事業は失敗しましたね。
吉川 「アジア女性基金」は、高まる国際的批判に対し「決着済み」で済まされなくなって九五年に設立されました。しかし国民の寄付金で「償い」をしようとする日本政府に対し、責任逃れだとして多くの元「慰安婦」から受け取りが拒否されました。結局政府は今年五月に「償い事業」を打ち切り、七月から寄付集めも中止しました。
失敗したのは、被害者が望んだのはお金ではないからです。彼女たちの負った心の傷は今もいやされていません。一昨年の「女性国際戦犯法廷」で中国人被害者の万愛花(ワン・アイホア)さんが当時の体験を語っているときに失神し救急車で運ばれました。命よりも大切な物を奪われた苦しみはお金では決して解決できません。
私が「どうしたら名誉回復できるでしょう」と被害者の方に尋ねたら、「あなた方が法案を提出してくれたことで、相当名誉は回復しています」との答えがありました。私たちの努力がそうした意味を持つと知って胸が熱くなりました。
――自民党は、歴代の総理や官房長官が「おわび・反省」をしているといっていますが。
吉川 政府は元「慰安婦」に直接謝罪したことはありません。たしかに「償い金」には総理の「おわびの手紙」が添えられていますが、受け取った人は韓国、台湾、フィリピンの二百八十五人にすぎません。インドネシアでは元「慰安婦」個人に向けた事業は行われておらず、北朝鮮、中国にも何万ともしれぬ元「慰安婦」がいます。どうしてこれで謝罪したといえるでしょうか。
――日本共産党の取り組みは。
吉川 九二年一月に「二十万人の女性を慰安婦として動員したことは歴史上例を見ない近代国家にあるまじき蛮行である」と特別の立法を要求し、九四年には「侵略戦争の反省の上にたち戦後補償問題の速やかな解決を」求めました。九九年に戦後処理問題対策委員会(吉岡吉典委員長)で法案づくりに着手。二〇〇〇年七月「従軍慰安婦問題解決法案」を発表し臨時国会に提出。昨年九月には民主党、社民党と法案を一本化して提出、今回審議になりました。
――今後の展望は。
吉川 「慰安婦」問題で日本は、国連人権委員会やILO(国際労働機関)、各種国際会議で毎年責任を追及されています。これを放置したままでは日本は世界から信用されず外交的にも大きなマイナスです。杉浦外務副大臣は「アジア女性基金」の募金は中止したが、「これで終わりだとは思っていない」と答えました。野党の法案を否定するだけでなく、政府・与党の責任で世界を納得させる措置を行うべきでしょう。私たちは次期国会で法案成立のためあらゆる努力をします。