日本共産党

2002年8月4日(日)「しんぶん赤旗」

列島だより

反核平和 知恵出し予算化、市民と共同

非核宣言自治体

全自治体の8割の2,651に


 核兵器廃絶を願い非核自治体宣言をした自治体は、全国の自治体の80%、二千六百五十一(七月十五日現在)にのぼります。官房長官が非核三原則の見直し発言をする政府の姿勢とは対照的に、「宣言」にもとづき、原爆展の開催をはじめ行政として多彩な反核・平和施策にとりくんでいる自治体が各地にあります。


長崎 被爆体験若い世代に

写真
「青少年のための平和学習」でメモを取りながら原爆資料館を見学する子どもたち=昨年の全国大会、長崎市

 二〇〇〇年から長崎市長が「非核宣言自治体協議会」(三百十八自治体)の会長となり、ことし六月には、福田官房長官発言に対し、五人の副会長とともに厳重に抗議し、発言の撤回を求める要請書を送りました。

 同市の平和推進室に、同協議会の事務局をおき、毎年被爆地・長崎で総会と全国大会を開いています。全国各地での研修会とともに、力をいれているのが被爆体験や戦争体験の継承をすすめる青少年の平和学習です。

 昨年は、全国大会のプログラムとして「青少年のための平和学習」が開かれ、自治体が募るなどした六十三人の小・中学生が参加しました。

 子どもたちは、爆心から八百メートルにある山王神社の一本柱鳥居や爆心地周辺の被爆遺構、資料館などを訪ねて学習。被爆者から聞く生々しい話には身じろぎもしませんでした。千葉県から参加した中学一年生は、「教科書で見ていたのと違い、怖さが伝わってきた。学校のみんなに原爆の本当の恐ろしさを知らせたい」と語りました。

 今年は、八月八日、九日の総会・全国大会に合わせ、長崎市が九年前から開いている「青少年ピースフォーラム」に合流し、共催して開きます。当日は、全国の自治体の平和大使、平和使節団として、約三百五十人の子どもたちが被爆地・長崎に集い、平和の尊さを学びます。

 自治体間で行う平和事業交流の必要性を熱っぽく語るのは、同協議会の田崎昇事務局長(長崎市平和推進室長)です。「とくに子どもたちに来てほしいんです。被爆講話やゲーム、遺構見学など、少人数での交流を通して、平和はもちろん、いじめや環境問題など、何かを感じ取り、自分にもできることがあることを発見してほしい」と期待を寄せています。

 長崎市では、「被爆体験を若者にどう継承するか」を大きなテーマにしています。昨年度は「ナガサキ平和プログラム」をつくりました。来年四月からは、小学五年生と中学二年生を対象に平和の副読本を使って、子どもの発達段階に応じた教育に力を注ぎます。

 日本共産党市議団は、全国の非核自治体の活動の充実のため、原爆展への写真や資材の貸し出し援助の提案など、被爆地の議員団として系統的に努力を続けています。 (長崎県・田中康記者)


大阪・吹田 平和のバラ苗木を配る

 大阪府吹田市では、一九八三年八月に市議会が全会一致でおこなった「非核平和都市宣言」を実りあるものとするため、毎年、非核平和資料展や戦争に関する映画を観賞する平和映画会を催しています。

 「平和のバラ」の苗木配布もその一つです。広島市名誉市民の原田東岷さん(故人)が、「地上をバラでいっぱいにし、争いのない世の中」という願いで、新種のバラづくりを要請したことが始まりです。吹田市は一九九〇年度からこの運動に参加し、小・中学校や市民に苗木を配布。今年度は三百本を配布し、これまでに三千本が市民の手で大切に育てられています。

 一九九二年には、平和祈念資料室が市民会館内に開設。市民から寄贈された戦時中の生活用品や軍隊資料二千五百点余りが常時、展示されています。

 毎年八月には、「すいた市民平和のつどい」が開かれます。今年は八月三日から九日まで、戦争中の現物資料、写真パネルを展示する「非核平和資料展」や「平和コンサート」を開きます。「なかでも、戦争体験語り芝居『大阪が燃えた』(空襲の証言)は、とても興味深いものです」と、吹田市人権室参事の国岡成光さんはいいます。

 平和教育の普及では、市内の小・中学校で、広島(年によって異なる)への修学旅行の前後の授業で、吹田市が作成した「被爆者の体験談」(ビデオ)を視聴するなどしています。

 市民による草の根の運動や日本共産党の働きかけが、平和行政推進の土台になっています。

 JR吹田駅前にある吹田市の非核・平和のシンボル、「平和の塔」の前では毎年、吹田市職労、新婦人、母親大会連絡会なども参加する実行委員会主催で「吹田市『平和の塔』祈念献花式典」が多くの市民とともにとりくまれています。五月市議会では、党市議団の提起で有事法制に「慎重に対処する」意見書を可決しました。 (関西総局・鮫島克記者)


東京・東村山 原爆展を市民団体と

 東京都東村山市では昨年、市から市民団体に原爆被爆展をいっしょに開きたいと申し入れ、共催が実現し、ことしも「平和を願う原爆被爆展」が二十七日から二週間にわたって開催されます。

 被爆現物資料展、投下された原爆模型の展示、すいとんを食べ平和を語る会、四百人規模の平和のつどい、被爆者体験を語る会など、十の多彩な企画を予定しています。

 東村山市では、議会が一九八五年に非核平和都市宣言を決議し、八七年には市が宣言。宣言にもとづき市は八九年から毎年、原爆被爆展を開いてきました。一方、市民による「平和を願う原爆写真展実行委員会」(東村山市被爆者の会、東村山原水協、戦争体験を記録する市民の会)は八〇年から毎年原爆展を開いてきました。

 日本共産党市議団は、非核都市宣言づくりの段階から積極的役割を果たし、宣言塔の増設や、平和予算の増額、非核自治体協議会への参加などを求めてきました。

 市の担当者の川島正仁国際女性課長は「多くの人に見てもらうのが一番です。市のほうからいっしょにとお願いしました。お互いにいいところが出せてよかった」と共催を高く評価します。

 昨年は、二千人の市民が来場し、市長、助役、子連れの自民党議員はじめ多くの議員が顔を見せました。参加した小学五年生の百三十人は全員感想文を書き、市と実行委員会に届けました。ことしも市報に企画を掲載し、ポスター百五十枚、リーフレット二千五百枚をつくり、全小中学校と公的施設に掲示しています。

 東村山市は、平和行政の施策を積み上げてきました。その歩みは、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名の前進と見事に照応しています。

 人口十四万余の市で署名三万人になった八八年に三つの駅頭に宣言の塔、公的施設に宣言プレートの設置、四万人になった八九年に被爆石モニュメントの設置、そして八万人になった昨年に原爆展の共催の実現。

 平和を願う原爆展実行委員会世話人代表の儀同政一さんは「市内を六地域に分けた署名推進委員会の活動が運動を前進させました。草の根の力で集めた署名は、確実に行政を変える生命力をもっている」と語ります。 (地方部・浜中敏記者)

 


もどる

機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp