2002年7月9日(火)「しんぶん赤旗」
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| 当選から一夜あけ、町民と談笑する大橋芳啓さん(左)=8日、福島県霊山町 |
十人目の日本共産党員首長誕生となった福島県霊山(りょうぜん)町の町長選挙(七日投・開票)。日本共産党の前町議で、「明日の霊山町を考える会」の大橋芳啓新町長(58)=無、新=は、自民党国会議員の応援を受けた元町議会議長で建設会社社長の利根川靖典氏(58)=無、新=に千六百票余の大差をつけて当選しました。地元建設業者などを中心にして「十倍以上もの組織力」で選挙戦を展開した利根川陣営を破った大橋新町長の誕生の背景にはなにがあったのでしょうか。東北総局 矢野昌弘記者、福島県 町田和史記者
マスコミなどの予想を大きくくつがえした町長選の翌日、霊山町内は不思議な安ど感に包まれていました。
男性(60)は「利根川陣営は建設業者の締めつけを相当やっていたがきかなかった。そういう選挙をやる時代ではない。それではムネオ型の町政になってしまう。ムネオ型の町政を嫌った町民は清潔な大橋さんを選んだんだ」。
別の自営業をいとなむ男性は「中央とのパイプの太さを訴えたのは逆効果。政と官のつながりの利益誘導型の時代じゃない。ムネオ疑惑がみんなの頭にこびりついていた。結果として利根川陣営には利権を求める人が集まっていたように町民は感じていたのではないか」と話します。町民の利益誘導型政治ノーの声が強く現れた選挙でした。
町長選では、地元で建設業を営む利根川氏がいち早く立候補を表明。利根川氏が無投票で当選することに「町が一部の人の食い物になるのではないか」と危機感をもった保守系町議や自民党員や社民党員、共産党員などが「考える会」をつくって立ちあがりました。「考える会」から要請を受けた大橋さんが立候補表明したのは投票日のわずか二十日前でした。
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| 霊山町 福島県北東部、県境に位置する人口約一万の過疎の町。南北朝時代、北畠顕家が義良親王を奉じて築城した名山、霊山(海抜八〇五メートル)で知られています。 |
福島県霊山町長選では大橋芳啓さんの立候補で、利根川陣営は大あわて。建設業者を中心にした組織力とともに自民党国会議員や県議会議員、近隣の町長が応援にかけつけました。
利根川氏の応援に来た国会議員や県議らは、「中央政界や県との太いパイプ」を強調。さらに自民党の佐藤剛男衆院議員(福島一区選出)は、「わたしは嫌いなものが二つある。一つは毛虫で、もう一つは共産党」と、同じく菅野喬県議(伊達郡選出)は「共産党員が町長になったら国や県から金がこなくなる」と、共産党だからダメ方式の反共攻撃に徹しました。
町が実施したアンケートでは、86%の町民が「就労場の確保について」不満を示すなど、苦しい町民生活の実態があらわれていました。
商店街もシャッターの下りた店が目立ち、どの店でも「大型店にはかなわない。商店街を活性化してほしい」という声があがっていました。
大橋さんは、農業を営みながら町連合青年団の会長や、農協のもも生産部長、農業委員、町議二期六年などを務めてきました。腰の低さや面倒見のよさ、だれにでも公平な態度は、町民から慕われてきました。
大橋さんは「悪政から町民のくらしを守り、応援するという地方自治の本来の役割を実現したい」と、町長報酬の30%カットや黒塗りの公用車の廃止、雇用の維持、拡大のための中小業者への二十万円までの小口融資、ガラス張りの町政の実現や特別養護老人ホームなど福祉施設の設置、若者が定住できるための住環境・教育環境の整備などを公約に訴えました。
反共攻撃に対しても、「明日の霊山町を考える会」で議論しました。会議では、保守系町議が「反共攻撃を打ち破らなければダメだと思っている。どうしたらいいのか」と発言。広範な町民が結集した「考える会」の意見が一致し、知恵を出し合いました。
利根川陣営の攻撃に共産党だからダメというのは民主主義の世の中で通用しないこと、国・県の補助金は法律や条例などにもとづいて決まっていること、日本共産党員が町長を務める兵庫県南光町では、共産党員町長になってから補助金が増えたことなどを示して反撃。「利根川陣営の(反共)攻撃は、かえって逆効果だった。『くどくてもううんざり。聞きたくなかった』という人が多かった」=男性(61)=と指摘する人もいました。
投票日の翌日、大橋さんの取材に訪れた一般紙の記者はこう驚きます。「自民党はこれから地方選挙で混乱すると思いますよ。だってこれまでのやり方がまったく通用しないんですから」
大橋芳啓氏の略歴 福島県立農蚕高校(現県立明成高校)卒、霊山町議二期、霊山町農業委員、伊達森林組合理事(現職)