日本共産党

2002年5月30日(木)「しんぶん赤旗」

独立した東ティモール 日本とどんな歴史が?


 〈問い〉 この五月に独立した東ティモールは、日本との間にどんな歴史があったのですか。(大阪・一読者)

 〈答え〉 東ティモールは十六世紀以来ポルトガルの植民地にされ、第二次世界大戦中は日本に占領支配されました。

 日本は終戦までに、“試しぎり”と称する住民虐殺や、男性の強制労働、女性を“慰安所”に強制連行し性奴隷にする、食料を奪い住民を餓死させるなど非人道的行為をつくし数万人が犠牲になったとされます。東ティモールの人は、日本軍に抵抗し、たたかいつづけました。

 一九七五年十一月、宗主国ポルトガルの民主的政権樹立を機に、独立を目指した東ティモール独立革命戦線(フレティリン)は、独立を宣言。しかし国際的承認も得られないまま、アメリカから軍事援助をうけてきたインドネシアのスハルト軍事独裁政権に同年十二月侵略され、併合されました。同月、国連は侵略を非難する総会決議を採択しましたが、日本は反対。国連が八二年まで毎年、東ティモール問題で決議を採択するなか、日本は先進工業国で唯一、一貫して反対し続けました。

 日本はスハルト政権への最大の経済援助国、貿易相手国でした。例えば七九〜八三年の二国間ODA(政府開発援助)累計の第一位がインドネシアです。この日本が併合を容認し続けた責任は重大です。

 九八年五月のスハルト政権崩壊を転機に、東ティモールの将来を問う住民投票が九九年八月に行われ、住民の78・5%が独立を支持。国連暫定統治のもとで、独立への準備を進めてきました。日本は、平和維持活動に自衛隊を派遣してきました。

 独立が宣言された二十日、日本は国交を樹立し、首都ディリに大使館を開設しました。現在東ティモールは、国際連合に加盟申請をしています。

 元従軍慰安婦代表らが二〇〇一年、東京を訪れるなど犠牲者や被害者にたいする補償を求める運動もはじまっています。

)〔2002・5・30(木)〕

 


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