日本共産党

2002年5月28日(火)「しんぶん赤旗」

印パの緊迫なぜ

インド テロ口実に戦争準備合理化

パキスタン 核搭載可能のミサイル実験

外交でカシミール問題の解決こそ


 インド・パキスタン両国のあいだを「戦争」「核兵器」という危険な言葉が飛びかっています。言葉だけでなく、印パ両国はすでに十日以上にわたってカシミール地方で砲撃戦を継続。そしてパキスタンは核弾頭も搭載可能といわれるミサイルの実験をつづけています。印パ両国とも一九九八年五月に核実験をおこなっているだけに、偶発的な要因から人類史上初の、核保有国同士の核戦争という事態に発展しかねません。事態の沈静化が急がれます。(ニューデリー・竹下岳、外信部・小玉純一記者)

 昨年十二月十三日、パキスタンに拠点を置くイスラム過激派がインド議会を襲撃した後、インド軍は史上最大規模の兵力を国境地帯に配置。パキスタンもただちに対応しました。

 今年一月にパキスタンのムシャラフ大統領がイスラム過激派を非合法化したことで最悪の事態は回避されましたが、五月十四日、インド北部ジャム・カシミール州で自爆テロ事件が発生。インド兵ら三十四人が殺害されました。「我慢にも限界がある」。インドのバジパイ首相の言葉です。

 「世界は反テロで結束している。米軍はアフガンを攻撃した。われわれはなぜテロに耐えなければならない?」。バジパイ首相は「反テロ」を前面に出して対パキスタン戦争を正当化しようとしています。

 最近の局面だけを見ればインドは被害者です。パキスタンが本当にイスラム過激派の支援を停止したのかどうかについて、今のところ明確な証拠があるわけではありませんが、少なくとも、イスラム過激派による「越境テロ」を許した責任は免れません。

国民の批判をかわす狙い

 しかし、インド側が好戦的な姿勢を取る理由として、チェノイ・ネール大学教授(国際政治学)は「与党人民党支配の矛盾に対する国民の批判をかわすのがねらい」と指摘します。

 インドは対パ戦争の性格を「地域限定戦争」と規定。核兵器の使用をふくむ全面戦争の可能性を否定しています。

 しかしムシャラフ大統領は「限定戦争」を否定。仮にインドが攻め込んできた場合、国家総動員での戦争態勢に入るかまえです。

 国防省元幹部の鉄道相が「国家存亡のときには核兵器使用もありうる」と発言。二十五日の中距離ミサイル「アグニ」、二十六日の短距離ミサイル「ガズナビ」と核兵器搭載可能なミサイルの連続実験は、パキスタンの核兵器に対する危険な姿勢を証明しています。

 実際、九九年の大規模紛争の際にパキスタン軍が核兵器配備の準備をしていたと、米国の前政権関係者が最近、明らかにしています。

 通常兵力による戦闘だけでは、印パ間の軍事力の格差は明白です。パキスタンは「核兵器の先制不使用」を宣言していませんが、そこには最後の切り札の核兵器だのみの姿勢がうかがわれます。

 一方、インド側でも今年一月にパドマナバン陸軍参謀長が核に対しては核で報復すると発言しています。

解決のため対話の姿勢を

 仮に印パ両国が核戦争に突入した場合、どの程度の犠牲者が発生するのでしょうか? 複数の見解が存在しますが、どれを見ても広島・長崎の比ではありません。

 インド国籍で米プリンストン大学で研究するラマナ氏は「最低でも三百万人」と見積もり、別の研究ではさらに多い「インドで三千五百万人、パキスタンで千七百万人」という数字を出しています。

 仮にインドが構想している「地域限定戦争」であったとしても、前線付近の住民にばく大な犠牲が発生することは明白です。カシミール地方での最近の印パ砲撃戦だけでも、パキスタン側で三十人以上の住民が死亡。インド側も同様の被害が予想されます。また、多くの家屋が破壊され、数万人の住民が避難生活を余儀なくされています。

 前出のチェノイ教授は、「結局のところ、カシミール問題を解決しないと、同じ事態は何度でも起こる」と指摘。

 その前提条件として(1)インドはパキスタンとの対話に否定的な姿勢をあらためる、(2)パキスタンはイスラム過激派との関係を全面的に断ち切り、徹底的に取り締まることを挙げました。

 インドの軍事・外交専門家のラジャ・モハン前国家安保評議員も「『戦争』というノイズがあるが、我々は外交ゲームに移行しなければならない」とのべています。


 カシミール問題とは

 インド・パキスタンにまたがる広大な山岳地帯。一九四七年八月の両国の英国支配からの分離・独立以来、両国間の領土紛争の焦点となってきました。パキスタン領カシミールとインド領カシミールを合わせれば、面積は日本の本州ほどの約二十二万平方キロで人口は約一千万人。全体ではイスラム教徒が多数ですが、インド側では地域的にはヒンズー教徒や仏教徒が多数を占めるところもあり複雑です。

 独立した際、封建的君主が支配していたカシミールではインド帰属を求める君主と、パキスタン帰属を求める住民に意見の相違が発生しました。

 印パ両国が領有権を主張し、第一次印パ戦争が発生。四九年に国連の調停で停戦し、停戦ラインが引かれましたが、その後もカシミールは分断されたまま、停戦ラインをはさんで軍事衝突がつづいています。

 


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