2002年5月15日(水)「しんぶん赤旗」
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五月十五日は沖縄が日本に復帰して三十周年です。第二次世界大戦で地上戦の戦場となった沖縄は戦後、米軍の支配下で米国のアジア侵略・干渉の拠点とされ、復帰後三十年たったいまも、在日米軍基地の75%が集中する「基地の島」となっています。米国はいまも沖縄を戦略上の重要拠点と位置づけ、ここから地球的規模に部隊を出撃させています。そうしたなかで日本政府は、自衛隊が米軍の戦争に武力行使をもって参戦する有事法制を策定しようとしています。米軍基地を沖縄から撤去することは、沖縄県民の変わらぬ願いであるだけでなく、日本やアジアの平和と安全にとって、いっそう重要になっています。
沖縄の米軍基地は三十八カ所、二万三千七百五十三ヘクタール(二〇〇一年三月末現在)。県の面積の約11%、沖縄本島だけでは約19%が基地に占領されています。
一九七二年五月、沖縄の施政権は日本に返還されました。「核も基地もない沖縄の全面返還」は沖縄県民をはじめとする多くの日本国民の願いでした。しかし施政権は返還されたものの、沖縄の米軍基地は「日米安保条約によって提供される基地」として温存され、日本政府は米軍基地の機能を低下させないことを米国に約束したのです。
そのために日本政府は特別の法律もつくりました。初めは米軍が占領下で強制的に収用した基地用地をそのまま使えるような法律をつくり、それが期限切れとなるとまた別の法律を強行しました。
その結果、施政権返還後に返還されたのは基地全体の17・6%にすぎません。60%程度の本土に比べても、沖縄の米軍基地があまり変化のないことがわかります。
それどころか、日米両政府は、九六年十二月の沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)最終報告にもとづいて、基地の再編による増強と機能の効率化を図ろうとしています。
普天間基地の“代替施設”として「運用年数四十年、耐用年数二百年」の最新鋭基地を名護市に建設し、ヘリコプターに代わる新しい軍用機を配備、新たな出撃拠点にしようとしています。
「沖縄はその戦略的位置から、同時多発テロ前も、今も重要だ」――ジェームズ・ケリー米国務次官補が強調(「毎日」十日付夕刊)しているように、米軍にとって沖縄は世界戦略の拠点として重視されています。
沖縄には、日米安保条約の建前である「日本防衛」とは無関係の殴り込み部隊「第三海兵遠征軍」が駐留しています。その数は約一万五千人。米海兵隊にある三つの遠征軍で、海外に駐留するのは沖縄だけです。
さらに九〇年代に入って米軍は、より機動的な「海兵遠征部隊」を編成。世界で七つある部隊のうち、海外に地上配備されているのは沖縄の第三一海兵遠征部隊だけです。
これらの部隊が展開するのは、アジア太平洋からさらに地球的規模に拡大しています。九八年十一月には、クウェートで非戦闘員救出作戦のために派遣されています。現在も「テロ対策」と称して、フィリピンに出動し、共同演習などをおこなっています。
日本政府は有事法制をつくり、アジア諸国に対する米軍の干渉戦争に、自衛隊が参戦できるようにしようとしています。
このことは、米国が沖縄を戦略的拠点として引き続き重視していることと結びついています。
二〇〇〇年十月に公表され、日本に「集団的自衛権」容認を迫り、有事法制の整備を求めた「アーミテージ報告」は、沖縄についても「朝鮮、台湾および南シナ海からわずか一時間の飛行時間のところに位置している」とその重要性を指摘。米軍基地による「明白な負担」の存在を認めながら、「われわれの駐留が維持可能で信頼性あるものとする」ことを強調しています。
また有事法制は、戦争遂行を何よりも優先し、国民を戦争に動員するためのものでもあります。
沖縄では復帰後も、米軍がわが物顔で活動してきました。漁場に水陸両用車を乗り入れたり、サトウキビ畑でライフル射撃訓練をおこない、四輪駆動の大型ジープでうねを荒らすなどの傍若無人な振る舞いを繰り返しています。
有事法制で狙っているのは、こうした軍事優先の体制づくりです。
米軍基地の存在は、さまざまな被害を沖縄県民にもたらしてきました。事故や事件の続発は深刻です。
「日常的に米軍基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている地域住民や県民に大きな不安と恐怖を与えている」――沖縄県議会は九日の臨時会で、立て続けに起きた米軍事故に抗議する意見書と決議を全会一致で可決しました。
戦闘機から訓練用照明弾が落下(四月八日)、ヘリコプターから燃料補助タンクが落下(同十七日)、戦闘機から風防ガラスが落下(同二十四日)、輸送機から燃料漏れ(同二十五日)、輸送機の後輪がパンク(五月一日)…わずかこの一カ月の間に五つの事故が判明。しかし米軍は「事故というよりも軽度なもの」と開き直っています。
極東最大の空軍基地をかかえる嘉手納町では、復帰前の五九年、ジェット機墜落事故で小学生十一人らが死亡しています。基地に隣接する小学校では毎年、航空機事故を想定した避難訓練をおこなうなど、事故は過去のことではありません。人口密集地帯に基地がある沖縄は常に危険と隣り合わせなのです。
米兵による刑法犯罪は復帰以降昨年末までで五千七十六件にのぼっています。その10%余りが殺人や強盗、強姦(ごうかん)などの凶悪犯罪です。
九五年九月、三人の米兵が少女を暴行する事件が起きました。米軍は沖縄県警による容疑者の身柄引き渡し要求を拒否。事件は県民の怒りを沸騰させました。米軍は「綱紀粛正」の徹底などを約束しましたが、二〇〇〇年七月には女子中学生に対する暴行事件、さらに二〇〇一年は、一月に女子高校生へのわいせつ事件、六月に女性への暴行事件と連続しました。
米軍犯罪は九八年の三十八件から、昨年は七十件に増加。米軍に反省はみられません。
事故や事件が続発する背景には、米軍の規律の問題とともに、米軍地位協定で犯罪を犯した米兵が守られるという仕組みがあります。沖縄県民は地位協定の見直しを求めていますが、日本政府は「運用改善」でごまかそうとしています。
沖縄返還交渉では、「緊急事態」の際、沖縄に核兵器を再び持ち込む権利を米国に認めた「密約」が交わされました。
これは沖縄返還交渉当時の佐藤首相の密使を務めた若泉敬氏が著書で存在を認め、米側の交渉担当者だったモートン・ハルペリン元国防副次官補も最近、「密約によって統合参謀本部の(返還への)全面的な支持を獲得できた」と述べています(「琉球新報」四月二十八日付)。
ブッシュ政権が一月、核態勢の見直しをおこなったなかで、核攻撃の潜在目標として、中国、ロシアと「ならず者国家」をあげ、中国・台湾間や朝鮮半島での核兵器使用を想定していることが明らかになっています。
沖縄の米軍基地に核兵器を再持ち込みできるとの密約は、こうしたブッシュ政権の戦略に照らしても危険なものです。