日本共産党

2002年4月8日(月)「しんぶん赤旗」

有事立法先取り 大分・日出生台米軍演習では


 政府は三日、有事法案概要を与党に説明、十六日にも閣議決定、国会提出をねらっています。一九九九年から大分県・日出生台(ひじゅうだい)で実施されてきた米海兵隊の実弾砲撃演習は、これまでも「ガイドライン法のシミュレーション」と指摘されてきました。このうえ有事法制で強制措置がとられたらどうなるのか。有事法制への懸念が高まっています。(西部総局・藤原直記者)

米軍医らが病院視察

 「患者が発生したときには、よろしくお願いしたい」。別府市内の新別府病院と国立別府病院には、海兵隊の日出生台演習のつど、米軍関係者があいさつに訪れます。

 始まりは「移転演習」実施前の九八年十二月にあった国立別府病院への米軍医らの視察でした。

 米軍医らは当時、同病院の救急室、手術室などを一時間強にわたって視察。医師数や診療科の内容を聞き取りました。

 米軍側は同病院を米軍資料「米軍別府港調査記録」にこうしるしています。

 「…最寄りの民間医療施設は国立別府病院(ベッド数七百六十)で、すべての科がある」

 その一文が書かれているのは、「役務、兵たん及び運用」の項目です。

 今年二月、演習中に負傷した米兵が、夜間、自衛隊のヘリで別府市まで運ばれ、実際に、民間の新別府病院で治療を受けました。住民側が別府での米兵の民間治療を知ったのはこのときが初めてです。

 福岡防衛施設局によると、その手順は、まず米軍から同局側に「新別府病院で治療を受けさせたい」と要請があり、現地対策本部が病院にその旨を伝えるというもの。同病院では二〇〇〇年演習時にも米兵の治療が四件あったといいます。

 戦時に、ある病院が「兵たん」とされた場合、医療活動は明確な戦争協力となるとともに、軍人が次つぎ搬送されればベッドが不足、一般患者の受け入れに支障が出るという恐れも。有事法制では、医療関係者の強制動員や、病院の収用も検討されています。

信号はノンストップ

 今年一月二十三日。

 鈍く光る一五五ミリりゅう弾砲四門が、大分市の大在公共ふ頭に姿を現しました。日出生台での四回目の「米軍移転演習」に参加するためです。

 沖縄の米軍那覇軍港から民間船舶で輸送。陸揚げも日本の民間業者の手で行われます。「日本通運」のトレーラーに積み込まれたりゅう弾砲は、県警のパトカーに警備され、米軍車両とともに日出生台演習場へ向かいました。九九年以来、毎年繰り返されてきた、ものものしい光景です。

 「恐らく米軍は全部ノンストップだったでしょうね」。市街地でのりゅう弾砲輸送を追跡して、撮影したビデオを見ながら浦田龍次さん(38)=湯布院町=はいいます。

 浦田さんは「米軍基地と日本をどうするローカルネット大分・日出生台」の中心メンバー。

 画面を見ると、交差点を米軍車両の一団が通るときには、警察官が信号機を操作して、「青」に切り替えています。

 「これが二、三カ所どころではなかった」(浦田さん)。まさに軍優先の戦時下をほうふつとさせます。

 過去四回の演習で、海兵隊員や砲門・物資の輸送を担当した民間業者は、日本通運、亀の井バス、大分交通、コンチネンタル航空、栗林商船など。有事法制下では、これら業者は「公用令書」で徴用され、その輸送では、道路交通法の規制は解除され、一切が軍事優先とされるのです。

 「有事法制の罰則規定には危機感を感じる。国の方針にたいして『地域住民のくらしを脅かすな』と反対している活動についても、制限できるような拡大解釈がきく表現も出てくるのでは、という不安もある」と浦田さん。

 二〇〇一年二月。浦田さんたちは約一時間にわたって五人の防衛施設局職員に車で尾行されたことがあります。米軍の安心院(あじむ)町への外出を監視した後のことです。

 喫茶店に入っても、向かいの駐車場から監視してくるという露骨なもの。浦田さんが、「私たちはお茶を飲んで帰るだけです。やめていただきたい」と直接、伝えたあとも、施設局職員は尾行をやめませんでした。

 「国という巨大な力をもった機関がそんなことをするなんて、怖いし気持ち悪かったですね。有事立法で、これがさらに進んでいったら本当に恐ろしい。そうなる前に反対していきたい」(浦田さん)

 


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