2002年4月5日(金)「しんぶん赤旗」
一九九九年三月末、米軍を中心とする北大西洋条約機構(NATO)軍が、ユーゴスラビアへの空爆を開始しました。「ミロシェビッチ・ユーゴ政権(当時)による人道犯罪を抑止するため」として始まった空爆は、軍事施設に留まらず、民家、病院、学校、市場、橋、テレビ局を破壊、中国大使館も爆撃し、民間人千二百人以上の死者と約八十万人の難民を生み出し、七十八日後に終了しました。三年たった今、ユーゴの人々は何を考え、どんな生活をしているのか―。(ベオグラードで岡崎衆史)
首都ベオグラードの旧市街を歩くと、イタリアの最新ファッションを扱う洋品店などたくさんの店が立ち並び、人々でにぎわっています。空爆があったことなど考えられないような活気です。しかし、中心部から歩いて行ける所にも、空爆で破壊された建物がそのまま残されており、訪れた人々を驚かせています。
旧市街にある内務省ビルは、爆弾を側面から受け、側面と正面左端に巨大な穴があき、ほぼすべての窓が破壊された状態で、無残にたたずんでいました。ふと横を見ると、一緒に訪れたセルビア人女性が「久しぶりにここにきた」と言い、空爆時を思い出すような表情で絶句していました。
空爆が、ユーゴ経済に与えた影響は深刻でした。民間機関の調査によると、ユーゴが空爆で被った被害は六百億ドル(一ドル=一三四円)と推定されます。九〇年代前半からの国際社会による経済制裁とあいまって、国民生活に大きな負担を強いています。
世界銀行と欧州連合(EU)は、ユーゴ経済再建のためには、今後数年間で約三十九億ドルが必要だと推定。ユーゴ当局は、失業率を約35%と推定し、国民の七割が貧困ライン以下かその周辺で生活しているとしており、経済再建への険しい道が続きます。
友人や家族を失った人々の心の傷もいえてはいません。NATOの空爆開始三周年に当たる三月二十四日、ベオグラードの聖マルコ教会で行われた空爆犠牲者追悼式典を訪ねました。参列者のマリア・ラザレビッチさん(50)とマルコ君(16)の親子は、祈りの後、「私たちは多くの罪のない人々が空爆で犠牲になったことを忘れません」と語りました。現地で話した人々のほとんどから、空爆への怒りの声が聞かれました。
NATOが戦車などを破壊するため使用した放射性兵器、劣化ウラン弾が、将来にわたってユーゴ国民の健康や命を危険にさらす恐れが強まっています。
国連環境計画(UNEP)は三月二十七日に発表した報告書で、ユーゴ連邦内の六カ所を調査した結果、劣化ウラン弾の粒子が土壌や大気中で発見されたと指摘。UNEPのテプファー事務局長は、現時点では健康に被害はないとしながらも、将来飲み水などの汚染が発生する可能性があるとし、「予防的措置」をとるよう勧告しました。
半永久的に残存する劣化ウランは、体内に入ると、白血病などの原因になります。湾岸戦争の教訓から、使用地域の国民が将来まで苦しむことを知りながら、米軍などはこれを使用しました。
「確かにミロシェビッチのやったことは支持できない。だからといって一般の人々を殺していいということにはならない」。ユーゴ中部出身のディディコジッチさん(27)はこう話した後、「アフガニスタンでもやはり民間人を武力で殺しているアメリカとその同盟国には、このことがどうしても分からないようですね」と悲しそうな顔で語りました。