日本共産党

2002年3月23日(土)「しんぶん赤旗」

有事法制反対中央集会での

筆坂書記局長代行のあいさつ

(大要)


 二十二日夜、東京・日比谷野外音楽堂でひらかれた「有事法制は許さない! 3・22中央集会」での日本共産党の筆坂秀世書記局長代行の国会情勢報告をかねたあいさつ(大要)は次の通りです。


あいさつする筆坂秀世書記局長代行=22日、東京・日比谷野外音楽堂

 雨をついての集会参加、たいへんご苦労さまです。私は、日本共産党を代表して、「有事法制は許さない! 3・22中央集会」に参加された方はもちろん、全国各地で有事法制を許さないたたかいに立ち上がっておられる、すべてのみなさんにあいさつをおくるものであります。

 小泉内閣は、今度の国会に在日米軍のための有事法制を含む、一連の有事法制を提出し、今国会での成立をあくまでも追いつづけています。これが、憲法体系と正面から相いれないものであり、断じて許されないことは明白であります。

最大の狙いは「戦争国家体制」づくり

 私は、三つの問題を指摘したいと思います。

 第一は、有事法制の最大のねらいが「戦争国家体制」づくりにあるということであります。

 いうまでもなく現憲法は、国際紛争を解決する手段としての戦争を厳しく退けています。しかし、有事法制とは何でしょうか。一言でいうなら、それは「戦争をおこなうため、すすめるための法律」であります。そして、戦争に協力することを国民に強制し、それに従わないものは罰則をもって裁こうというものであります。戦争に反対することが犯罪になる。これが有事法制であります。

 小泉首相ら推進派は、この有事法制が「憲法の枠内」だと強弁しています。しかし、戦争を放棄した現憲法のもとで、その枠内にはまりうる有事法制などありえないことはあまりにも明りょうではありませんか(「そうだ」の声)。まさに、憲法九条を中心にした平和国家から、「戦争国家」への変質をもたらすところに「有事法制」の最大の問題があります。

 こうした「戦争国家体制」がつくられるなら、それは戦時、有事にとどまらない深刻な影響を日本社会全体にもたらすことになるでしょう。

 たとえば学校教育でも、いずれ戦争協力は国民の義務だと教えられることになるでしょう。避難訓練も災害を想定しただけのものではなく、戦争をも想定したものになるでしょう。

 かつて西ドイツでは、有事法制ができたとき、国民への日常的な監視が大問題になりました。有事法制は、戦争遂行が国家的価値となる、そういう国家づくりであります。断じて許すことはできません。

「備えあれば…」は「侵略の論理」

 第二の問題は、有事法制とは、「防衛の論理」ではなく、「侵略の論理」にたったものだということであります。

 かつて福田内閣当時に、防衛庁官房長として有事法制づくりに携わった竹岡勝美氏が、最近、私に次のような一文を寄せてくれました。

 「本格的な有事法制」が必要となる事態とは、「周辺隣国のいずれかの国が、日本本土に空と海から猛攻を浴びせ、制空、制海権を確保した上で、地上軍を日本本土に上陸させ……国土が戦場と化す事態」であり、「一億の国民は総動員され、国民皆兵の総抵抗の国家体制を」つくることではないのか。しかし、「どのような国益や名分があって、多くの兵士の犠牲を顧みず、はるばる海を渡って日本本土に上陸してくる隣国がありましょうか」。“そんな国はない”というのが竹岡氏の結論であります。

 このことは、中谷防衛庁長官も、西元元統合幕僚会議議長も認めざるを得ませんでした。だったら、一体なんのためか。よく推進派は、「備えあれば憂いなし」ともっともらしくいいます。だが、日本と世界の歴史をみたとき、これが後顧の憂いなく戦争するためのものであることは明白です。

 わが国の歴史をふりかえれば、一九一八年のシベリア出兵に際しては、軍需工業動員法という有事立法がつくられました。一九三八年中国への全面侵略をすすめるときには、あの悪名高い国家総動員法がつくられました。この歴史の教訓にこそ学ぶべきではないでしょうか。

 だいたい、「備え」があればあるほどよいという議論は、容易に軍備拡張の論理となり、「攻撃は最大の防御」といわれるように侵略の論理にまですすんでいくものであります。私たちにとっての最大の備えは憲法九条であるという声をあげていこうではありませんか。(「そうだ」の声)

 このことは、戦後の世界の例を見ても明りょうです。イギリス、フランス、ドイツなど、いずれの国も武力攻撃があって発動されたことは一度もありません。フランスで発動されたのは、アルジェリアの独立運動、ニューカレドニアの独立運動弾圧に発動されただけです。イギリスでは、国内のストライキに発動されただけです。

 実際、政府は今回の有事法制を「武力攻撃事態」への対応だと説明しようとしています。それはどういう事態か。自民党政府にとって、従来から「周辺事態」も「日本有事」も明確な区別などありません。いつでもアメリカによるアジアへの軍事介入であり、それへの日本の関与の口実、関与の仕方にすぎません。そこに貫かれているのは、アジア諸国への介入の論理だけであります。この点でも、憲法と両立し得ない事は明りょうではありませんか。

鈴木・外務省疑惑の小泉内閣に国益を語る資格ない

 第三に指摘したいことは、そもそも小泉内閣やそれを支える自民党、公明党、保守党に、国益や外交を語る資格はないということです。

 鈴木宗男議員と外務省をめぐる疑惑は、ロシアとの領土問題で鈴木議員と外務省、また歴代自民党政府がいかに国益を損なってきたか。そればかりか、みずからの利権あさりにきゅうきゅうとしてきたかを赤裸々に暴き出しました。

 また、小泉首相は、“自民党政治を変える、古い自民党政治を壊す”ということを最大の売り文句にしてきました。そうであるならば、有事法制策定をきっぱり中止すべきであります。

 なぜなら、有事法制策定は一九五四年に自衛隊法が施行される、そして、自衛隊がつくられる。以来、ほぼ半世紀にわたって自民党が絶えず執念深く追求してきたのが有事法制の策定だからであります。もし、自民党政治を壊すというなら、その有事法制にきっぱり反対してこそ、古い自民党を変えることになるのではないでしょうか。それを、一気にやろうというのが小泉内閣というなら、古い自民党体質そのもの、そういう正体見えた、その証明ではありませんか。(「そうだ」の声)

 集会参加のみなさん。この間、私たちは、国会を中心に、社民党の議員のみなさん、あるいは市民団体のみなさん、あるいは無所属や民主党の有志議員のみなさん、はばひろい共同のなかで、有事立法反対の集会、あるいは有事法制の学習集会を三回にわたっておこなってきました。有事法制反対の共同の輪は確実に広がりつつあります。平和のためのたたかいに無駄なたたかいというのは一つだってありません。平和のためのたたかいに終わりはありません。二十一世紀が日本とアジアにとって文字どおり平和の世紀としていくためにも、有事法制を断じて許さない、そのためにたたかいぬこうではありませんか。(大きな拍手)

 


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