2002年3月5日(火)「しんぶん赤旗」
裕子先生が、担任した一人の児童を「丸ごと抱え、かかわり続けた」のは、もちろん初めてでした。
そのなかでは、いろいろ迷いもありました。
ひとつは母と子を引き離したことです。
達也を母親の世話から解放し、普通の中学生活を送らせたい、と裕子先生は施設入所をすすめました。「ぼくが施設に入ったら母さんはどうなる? 一人では何もできないよ、母さんは」と聞いた達也に、裕子先生はいいました。「でも、母さんは君に何をしてくれた?」
裕子先生は、達也を虐待し、達也の重荷になっていた母親を疎んじていました。
「でも」。その時達也がいいました。
「たった一つだけ母さんに感謝していることがあるんだ」
「何? それは?」
「…母さんがぼくを生んでくれたこと」
大きな衝撃でした。どんな親でも、子どもにとってはたった一人の母親なんだ――。裕子先生は達也に教えられました。
施設入所は、地域の民生委員や児童相談所と相談し、達也に提案したものです。裕子先生は後になって、親子を引き離したのがよかったのか、悩みました。
でも後日、達也は「施設に入ってよかったと思う」といってくれました。
施設では、小学生から高校生までの十人ほどが家族のように一軒家の「寮」に住みました。
寮にいたのは、いじめを受けた子、ひきこもりの子、両親ともなくした子…。「自分のほかにもこういう子がいるんだ」。達也の「自分だけが…」という悩みは、小さくなっていきました。
生活環境が一変しました。家庭のない孤独な生活から、「けんかばっかりで、うっとうしい、騒がしい」環境になりました。生活は共同作業。小さな子の面倒を見たり、上の子から勉強を教えてもらったり。「いつも人がいる息苦しさもあったけど、施設で社交的になった。人を助けることとか、知った。精神的に強くなった」
達也は中学、高校時代、非行にはしっていました。そのなかで、後輩に“もめ事”がふりかかると、助けたり、仲裁もしました。後輩が親との関係、友人関係の悩みや相談を持ち込んできました。
達也は、自分のつらかった経験、父のいない、虐待を重ねる母との生活を話しました。
「安心した」。後輩にいわれました。達也は頼られる存在でした。
達也はいいます。
「自分がさらけだして話すから、相手もさらけだして話してくれる」
友だちと深い信頼関係をもつのが喜びでした。
達也は非行にはしりましたが、人間的なきずなの確かさを喜びと感じていました。それは、立ち直りへの一つの潜在的な力となりました。
(つづく)
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