日本共産党

2002年3月4日(月)「しんぶん赤旗」

インド西部 激化する宗派対立

イスラム寺院を破壊

ヒンズー教至上主義持ち込んだ与党・人民党


 インド西部グジャラート州の宗派対立は、政府が七千人規模の軍を投入しても事態は収拾せず、死者数は数百人規模に達しています。

 ヒンズー教徒とイスラム教徒の抗争などと伝えられますが、根本問題は、インド中央政府与党でヒンズー至上主義政党の人民党(BJP)の下でヒンズー至上主義グループがイスラム教徒への挑発をエスカレートさせていることにあります。

 インドは人口の80%以上をヒンズー教徒が占める国ですが、イスラム教徒やキリスト教徒など多くの少数宗派が存在します。また、一九四七年にインドとパキスタンが英国支配から分離・独立した際には、ヒンズー・イスラム両教徒が互いに殺し合い、百万人が犠牲になったといわれます。

 このため、独立後のインドは政教分離・宗派間の融和を国是としてきました。しかし、これを根本から踏みにじり、ヒンズー至上主義優位の国家体制樹立をめざす勢力である「民族義勇団」(RSS)が、長期にわたった国民会議派政治への国民の不満が大きくなるのに乗じて次第に力をつけてきました。

 八〇年代になって彼らは、インド北部ウッタルプラデシュ州アヨーディアの、旧ムガル帝国のバブル皇帝をまつったイスラム教寺院(モスク)破壊のキャンペーンを開始しました。アヨーディアはヒンズー教の聖地で、イスラム寺院の敷地にはもともと、ヒンズー教伝説の王子、ラーマ王子をまつった寺院があったと彼らは主張します。科学的な根拠はなく、ラーマ寺院は存在しなかったという認識がインド歴史学会の大勢となっていますが、この伝説はヒンズー教徒の間に定着し、ヒンズー至上主義組織は、この寺院の“再建”運動を広げています。

宗教利用し勢力拡大

 RSSの傘下にある人民党は、こうした宗教感情を最大限に利用し、急速に勢力をのばし、九一年にウッタルプラデシュ州政権を獲得しました。

 同時にヒンズー過激派が勢いを増し、翌九二年にRSS傘下の「世界ヒンズー協会」(VHP)などの暴徒がモスクを破壊。直後にインド全土で暴動が発生し、二千人が殺害されました。犠牲者の大半はイスラム教徒でした。

 これは、インド独立以来の政教分離、多宗教共存という、この国の存立の根本をなす国是を破壊する出来事でした。しかし人民党は九八年、「アヨーディアのラーマ寺院建設」を公然と選挙公約に掲げて中央政権を獲得しました。

 とはいえ、人民党は下院議席の三分の一を占めているにすぎず、少数政党との連立で政権を維持しています。九九年十月の総選挙では他の与党への配慮から、アヨーディア問題を公約から外さざるをえませんでした。

 それでもVHPなどによるヒンズー寺院建設の動きはとまりません。彼らはモスク跡地の開放を再三、政府に要求。二〇〇二年三月十五日を期限に建設を強行すると宣言したのです。

宗派主義に批判の声

 アヨーディアでの集会は禁止されているにもかかわらず、二月二十六日にはVHPの千五百人の活動家が結集して決起集会が開かれました。翌二十七日にグジャラート州ゴドラで列車に乗ったまま焼き殺された五十八人は、この決起集会の参加者でした。

 列車焼き打ちに怒り狂ったヒンズー過激派は翌日から暴動を繰り返し、イスラム教徒四十人以上を生きたまま焼き殺し、商店略奪などを行いました。

 人民党が州政府を握るグジャラート州では、「助けを求めても警察は何もしてくれなかった」と多数の住民が証言しています。人民党州政権黙認のもとで暴動が発生した可能性もあります。

 人民党による宗教の政治利用、宗派主義政治の傾向を、インド共産党(マルクス主義)など左翼政党、中間政党は厳しく批判しています。マスコミも「宗派的ホロコースト(皆殺し)にこの国が引き込まれてゆく危険がある」(ヒンズー紙二日付)と指摘しています。(ニューデリーで竹下岳)

 


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