2002年2月21日(木)「しんぶん赤旗」
パキスタン国境に近い町、ジャララバードの市場は世界各国から輸入されてきた物資があふれ、活気にあふれています。しかし人々は、犯罪の増加と物資配給の停滞、深刻な失業に苦しんでいます。イスラム原理主義集団・タリバン政権の崩壊後、この町はどう変わったのか――。(アフガニスタン東部ジャララバードで竹下岳)
「ハウ・アーユー!」。市内中心部の市場を歩いていると、人々は笑顔で、次々と記者に声をかけてきました。外国人とのふれあいを楽しんでいる様子です。
「タリバン政権のころはひげを強制され、映画も音楽も禁止されていた。外国人といえば、アルカイダ関係のアラブ人だけだった。いまはすべてが自由だ」。市内でお茶を売るジアウル・ラフマンさん(23)はいいます。
テレビも復活し、電器店には日本製のテレビが続々と入荷されていました。ある店では、「タリバン政権以後、五十台は売った」といいます。
女子学校が再開され、早朝の通りには素顔をみせた少女たちが学校への道を急ぎます。女子教育を禁じ、女性は外で素顔を隠すよう命じられたタリバン時代とは様変わりです。
人々の目は外へと向かい始め、ジャララバードではちょっとした英会話ブームです。自動車部品を売るモハマド・アジャンさん(25)は米軍の空爆下、ひそかに英会話の勉強を始めました。
「自分は商売をやっているので英語は不可欠だと思ったので」と動機を語りました。いまは仲間が増え、公然と勉強に励んでいます。
活気に満ちた市場の様子をながめていたところに突然、一人の男が猛然と走り去りました。後を追いかける治安部隊。威嚇射撃の乾いた音が数回、響き渡ります。しばらくすると、顔中血みどろの男が引きずられてきました。
男は貴金属やコンピューターなどの窃盗を繰り返し、二カ月前から指名手配されていました。
当地の赤十字病院はここ一週間だけで銃の犠牲者四人を収容しました。うち一人はタクシー運転手で、頭を撃ち抜かれて現金を奪われました。身内は現れず、遺体はいまだに赤十字病院に安置されています。
国連関係者は「タリバン時代に比べて確実に治安は悪化している。いまは警備兵なしに遠隔地にいけなくなった」といいます。国連所有の自動車や通信機器が略奪される事件も発生しました。
タリバン政権はイスラム教の伝統的な刑法に基づいて、窃盗を行った者の手首を切断したり、凶悪犯罪者の公開処刑をおこなってきました。ある市民は「犯罪者が首を切断されるのを見た」と証言します。
恐怖による締めつけで治安だけは確保されていました。多くの市民はいま、犯罪におびえながら夜を過ごしています。
治安に加え、食糧配給も乱れています。タリバン時代は世界食糧計画(WFP)などの配給物資を厳格に管理し、配給を必要とする人々に均等に行き渡っていましたが、いまは配給システムが崩れました。一人で配給食糧を独占し、パキスタン国内で売りさばく者も出ているといいます。
停電も深刻な問題です。記者が宿泊した民家では停電が一週間以上つづき、滞在中、ついに一度も復旧しませんでした。夜のジャララバードは深いやみのなかです。
ジャララバードを中心とするアフガン東部は昨年十一月以後、ハジ・カディール・ナンガルハル州知事とハジ・ザマン同副知事の二大勢力を中心とした部族勢力が統治しています。しかし、各勢力間の抗争が絶えません。銃撃戦は収まったものの権力闘争はつづいており、州行政はきわめて不安定です。
「タリバンは確かに自由を奪った。でも、映画を見たければパキスタンに行けばいい。いまは州政権の争いが絶えず、犯罪も増えた。暮らしぶりもちっともよくならない」。ある市民の嘆きの声です。
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