2002年2月4日(月)「しんぶん赤旗」
「NGOには一銭も金はやらんからな。覚えておけ」――。アフガニスタン復興会議をめぐり、気に入らないNGOを脅し、国際会議から排除した鈴木宗男前衆院議運委員長。“カネと恫喝(どうかつ)”による強権政治――それは、沖縄県の米軍155ミリ実弾砲撃演習の移転問題にも及んでいたことが、厚岸町の議会記録に残されていました。
「(鈴木)代議士に…人間扱いをしてもらえなかった」「魔の一日だった」――。
一九九六年十二月二十四日に開かれた北海道厚岸町議会の議員協議会。沢田昭夫・北海道厚岸町長(当時)の口をついてでたのは、北海道旧五区で地元の鈴木宗男衆院議員への怒りでした。
当時、町を揺るがせていたのが北海道・矢臼別演習場への米軍実弾演習の移転問題。関係三自治体のうち、別海町は移転受け入れを表明。一方、厚岸、浜中の両町は「住民の不安」を理由に「受け入れ反対」の態度を貫いていました。
ところが、同年十二月二十日、沢田町長は、政府への予算陳情のため地元七首長とともに上京、この日一日で「容認」の方向へと転換させられたのです。その背景にあったのが、鈴木議員の移転容認の圧力でした。
議員協議会の記録に記された沢田町長の発言から振り返ると…。
上京当日、沢田町長を羽田空港で出迎えたのは予期しない人物、帯広防衛施設局の局長。
局長はまず衆院第一議員会館の鈴木宗男事務所に沢田町長を連れて行きました。鈴木議員との会話はこんな具合でした。
鈴木 何が反対なんだ。
沢田 四千人の(移転)反対署名の声を重く受け止めている。私は反対だ。
鈴木 地元に帰って説得すれば四千人の理解を得られるのか。
沢田 それは難しい。
鈴木 それは時間の無駄になってしまう。やはりここで容認してほしい。
地元住民の意思など意に介さない鈴木議員との「押し問答」に耐えた沢田町長は、次に諸富増夫長官(当時)、さらに堀達也北海道知事との会談を求められました。いずれも鈴木議員が同席しました。
この席で堀知事が「地元に帰って理解を深める努力が必要」として「もう少し時間をかけてほしい」と発言すると、「激高」したのが鈴木氏でした。
「知事がそういう先送り的な発言をするのは防衛庁と道幹部の協議がなんら伝わっていないのではないか」
道幹部が「先生、そういうことにはなりません」というと、「お前、俺(おれ)が嘘(うそ)をいったのか」と、威圧しました。
沢田町長は、「非常に険悪な、恥ずかしいような場面」だったと振り返っています。
沢田町長は反対を表明したものの、再度の諸富長官との会談で、長官が「国の責任でやらせてもらう」として結局、押しきられた形になりました。
議員協議会で、沢田町長は十二月二十日を「屈辱の一日」と振り返りました。「町づくりは…大きく国に依存しなければならない。そうした首長の弱点をついてくるようなやり方…アメとムチの使い分けで翻弄(ほんろう)されてしまった」
そして、鈴木議員の態度について、沢田町長はこう答えています。
「代議士のことの運び、強引さ、私自身、本当に人間扱いをしてもらえなかった」
機能しない場合は、ブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。
著作権:日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp