日本共産党

2002年1月13日(日)「しんぶん赤旗」

輝いてしなやかに 物語 男女差別裁判の40年(44)

“花の日本橋”座込み111日

2章 平等な賃金、権利を

日本信託銀行労組の人びと


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“花のお江戸日本橋”、目抜き通りの本店前に座り込んだ日本信託銀行の女性たち=座り込み100日をこえた75年春ごろ

 さて――「平等に生きたい」と願ういろんな裁判を見てきました。でも裁判によらず、運動で要求を達成する例がもちろんあります。章の最後にそんな闘争を二つ紹介します。今回はその一です。

 東京は“花の日本橋”にある日本信託銀行(現三菱信託銀行)本店前で百十一日の座り込みが始まったのは七四年五月でした。第一日は「緊張して靴をぬいで正座した」と当時の組合員。「最初は恥ずかしかった。でも足をしびらせて座ってそれまでの長いたたかいを思い出したんです」

 同銀行は六一年、労組の正副委員長を不当に解雇。第二組合がつくられ徹底した差別。少数になりながらねばり強くたたかい、解雇撤回と原職復帰を実現。でも差別はつづき、都労委に提訴しても解決が見えない――。

 そんなとき、猛烈な分裂・差別攻撃を破った地方銀行(四国、大分、滋賀)の仲間の勝利の知らせが。目もさめるようでした。「差別は犯罪だ。積年の差別を撤回するのに何のためらうことがあろう。法廷闘争に頼らず自力で勝つまでたたかおう」と。

 座り込みは長年の怒りの結集でした。指名ストで交代しながら「恥ずかしいのはむしろ銀行のはず」と胸をはって。闘争資金をだしあい「家屋敷を売ってもトコトンやるぞ」。みんな待っていたたたかいだったのです。

 男女差別是正も要求の柱でした。男性は二十九歳で係長になるのに女性は早い人で三十五歳、それも第二組合員のごく一握りだけ。長く働く女性が少ない間は問題になりませんが、女性たちは変わりました。夫婦同居を求める富山好子さんをささえてみんなががんばって実現。男性だけ勤続手当をつける差別を国会での追及(日本共産党・革新共同の田中美智子衆院議員=当時)もあって是正を実現…。「たたかえば勝つ」の確信をつかんできました。

 座り込みも秋を迎えたころ、立て看板に男女差別の実態を書いたものが加わり、女性たちが自発的にマイクをとって「女も役付きにしろ!」「女をなめるな!」。大きなおなかを抱えて座り込んだ人もいます。会社に「組合差別をやめても女を黙らせないと座り込みは終わらない」と思わせました。

 座り込んだだけではありません。地域、金融の仲間と共闘。国会要請。日銀、大蔵省への働きかけ。重役へ手紙作戦…。知恵と勇気をふりしぼり「できることはすべてやった」一年半。数次にわたり通算百十一日におよぶ座り込みのすえ、七五年十月協定に調印。組合間差別を是正するとともに、第二組合員もふくめ男女とも課長相当職まではだれでも昇格できる賃金制度を実現しました。

 「女性たちが最後まで要求を手放さず、ともにたたかってくれたやさしい男性組合員たち。たたかって損をしたことは一度もありません」と当時婦人部長などをつとめた秋葉泰子さん。中央区婦人部連絡会議長だった出田正子さんは「年金を受けるたび思うのですが、差別は一生かかわる。あのたたかいがなければいまの年金生活もみじめだった。たたかってよかったと思います」

 このたたかいは当時多くの職場で注目され、闘争の記録『誇り高き女性たち』は飛ぶように売れ、男女差別是正要求が高まりました。(つづく)

 


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