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派遣の苦労に寄り添って

20代の共産党議員 神奈川・大和1年生市議ほりぐち香奈さん(28)


 神奈川県大和市の市議会議員、ほりぐち香奈さん(28)は、議会でただ一人の20代議員です。青年の要求実現をめざす日本民主青年同盟で活動。今春のいっせい地方選挙で日本共産党から立候補、初当選しました。奮闘する姿を紹介します。
 小松幸枝記者

緊張した初議会

 「人生で一番緊張した」という6月の初議会。 一般質問に立ったほりぐちさんは、民青同盟などが行った「青年お仕事実態調査」をもとに、市として青年雇用の実態と問題点をつかみ、青年に働くルールを知らせるよう求めました。

 市長から、「派遣など非正規雇用の働かせ方がワーキングプアやネットカフェ難民を生み出し、技能の継承に支障をきたしている一因である。正規雇用を増やしていくことが解決策」との答弁を引き出しました。

 これを受け、神奈川県で初めて「青年の働く実態を調査し、働くルールを知らせてほしい」という意見書を全会一致で可決させました。

 「市議会でしゃべっている姿にホント感動した」と熱く語るのは、民青同盟員のAさん(27)。

 「彼女は何より、苦しんでいる青年の姿をちゃんと知っている。その思いを議会に届け、行政を動かすなんてすごい!」

 議会後開いた地域の報告会は、「議会で何が話し合われたかよくわかるし、市の問題を身近に考えられるようになった」と好評です。

波乱の生い立ち

 笑顔をたやさず、なんでも一生懸命に取り組むほりぐちさん。そのがんばりの背景には苦労の生い立ちがありました―。

 乗鞍岳(のりくらだけ)の長野県側のふもとで、3人きょうだい(姉兄)の末っ子として生まれました。しかし、両親はものごころつくころに離婚。母に引き取られますが、その母が難病を患っていたため、幼いころからよく手伝いをして、家計を助けました。

 高校卒業後、老人介護保健施設や病院に勤務。22歳のとき、日本共産党に入党しました。さらに、正看護師の資格を取るため専門学校へ進みます。

 ところが「婦長クラスを育てる」と豪語する同校は礼儀作法まできびしく、現場で学んだことも否定されました。

 友達もできす、次から次へとリポートが押し寄せる毎日。初めて挫折を経験します。

 「人の求めに応えられない自分は生きている価値がない」と思い込み、家に引きこもっていたとき、心配した地域の民青同盟の人が集まりに誘ってくれました。

 「初めて出会ったのに、私の話を『ウン、ウン』うなずきながら聞いてくれるんです。気がつけば何時間も、ありったけの思いを話していました。その人がのちの夫になるんですけれど(笑い)」

 あたたかい仲間との出会いが、ほりぐちさんの心をほぐしました。

 専門学校をやめ、新たな病院へ就職します。

ド派手な選挙カー

 整形外科でリハビリを担当し、やりがいいっぱいで働いていたころでした。医療改悪で診療報酬が下がり、細かいサポートができなくなったのです。

 高い医療費に、「早く死んでしまいたい。看護師さん、何もしなくていいよ」とうめくようにいうお年寄り…。

 「現場の努力だけでは命を守れない」。そう痛感していたある日、市議会議員にと、要請を受けます。

 「そんな器じゃないし、断ろう」と思いましたが、悔し涙を浮かべる患者さんたちが頭に浮かびました。

 「この空から爆音をなくしたい」と民青同盟の高校生が話していたことも思い出しました。

 「厚木基地のある大和市の子どもたちは、米軍機の爆音が生まれたときから当たり前にあるんです。基地強化がすすむ中で、将来、子どもから『お母さん、あのとき何をしていたの?』といわれたくない。いま自分ができることをしておかなければ」と思いました。

 「それに私が議員になったら、若い人が政治に関心をもってくれるかも。そう考えたら議会に立つ意味は大きい」――立候補を決意します。

 候補者活動は、民青同盟の仲間の協力で、駅頭での「おかえりなさい宣伝」を2週間連続で実施。選挙カーも花や動物のカッティングシートを張り付け、「ど派手」に変身させ話題をよびました。

 今後の課題は、市政をどうわかりやすく伝えていくか。

 「住民との日常的なつながりを大事にしながら、信頼される議員になりたい。これまで届かなかった人とも手をつなげていきたい」

 ほりぐちさんは、今日も愛車で飛び回ります。

(2007年11月18日(「しんぶん赤旗」 )




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