日本共産党

2002年10月27日(日)「しんぶん赤旗」

憲法・教育基本法にそむく

大学と自衛隊の「有事」共同研究

土井洋彦


 本紙八月八日付所報のように、自衛隊が昨年度から、いくつかの大学に働きかけて、大学・大学院のゼミや講座で、安全保障問題の「共同研究」を実施しています。その内容は、自衛隊幹部による安全保障の講義や自衛官との討論、基地や駐屯地での研修や体験搭乗、さらには「危機的事態への対処戦略」をテーマに自衛官と大学院生がシミュレーションを使った「模擬戦争ゲーム」等々です。

「軍学協同」の新段階

 自衛隊と大学との間では、以前から、工学や医学など主に自然科学の分野で「共同研究」が実施されてきました。そのこと自体、軍事目的に大学での研究成果を利用しようとするものであり、真理探究を目的とする大学の役割に相反するものでした。

 しかし、社会科学の分野でいますすめられている安全保障の「共同研究」は、従来のものと性格をまったく異にし、「軍学協同」を質的に新しい段階に高めるものです。そのことは、現に実施された「共同研究」の内容を見れば明らかです。

 昨年十二月、自衛隊伊丹駐屯地で、大阪大学大学院国際公共政策研究科の大学院生十八人と幹部自衛官六人が参加し、二泊三日の日程で行った「模擬戦争ゲーム」の中身は、防衛庁の準広報紙「朝雲」二月七日号に掲載され、週刊誌の取材でくわしく紹介されました。

 それは、「架空の中東産油国Aに隣国のテロ支援国家Bが侵攻。D国(仮想・アメリカ)が同盟国であるC国(仮想・日本)に駐留させた軍を含む軍隊を、侵攻地域に派遣した。その状況下で、大陸の独裁国家E国が隣接するF国に侵攻する動きがあり、C国へもミサイルなどでの攻撃の危険が発生した」という設定でした(『サンデー毎日』七月二十八日号)。

 これをうけて参加者は二チームに分かれ、C国政府の危機管理担当者という設定で「さまざまな危機への対処方針作り」に徹夜でとりくんだといいます。さらに「テロリスト集団がフェリーを乗っ取り、遊園地、原発のある港に向かっている」「国籍不明機が領空侵犯」という「抜き打ちの特別状況」が付与され、三十分以内に対応策をまとめる指示をうけ、「軍の治安出動」「国籍不明機撃墜」などの対応策をだしたというものです(前掲「朝雲」)。

 これはまさしく自衛隊と大学による「有事」の共同研究です。こんなものが、はたして学問といえるでしょうか。はっきりいえば、自衛隊の図上演習に大学をまきこんだものであり、大学院生にたいする“軍事教練”といっても過言ではありません。政府・防衛庁は、この間、アメリカの戦争に参戦するため、国民の人権や自由をふみにじって強制動員する有事法制をくわだててきました。今回の「共同研究」は、アメリカの戦争に実際に共同参加しようとしている自衛隊の作戦づくりに、大学という教育・研究の場を提供させることになります。

戦争の道具にされた歴史

 ここで想起したいのは、現憲法の保障する「学問の自由」(第二三条)は、戦前の日本が侵略戦争をすすめるなかで自由な学問研究を圧殺し、大学を戦争遂行のために全面的に動員したことへの反省にたって、形成されてきたものだということです。

 明治憲法に「学問の自由」の文言はありませんでした。戦前の大学では、滝川事件(一九三三年)などのように、研究内容を「国体に反する」ときめつけられた研究者が放逐されることもくりかえされました。

 その一方で、戦争遂行に必要な「学問」が奨励されました。たとえば、戦前の東京帝国大学工学部には造兵学科、火薬学科などがおかれ、兵器づくりの研究がすすめられました。さらには、遠藤周作氏の小説『海と毒薬』の題材にもなった、米兵捕虜にたいする「九州大学生体解剖事件」(一九四五年)のような悲劇まで引きおこされました。

 このように、大学が戦争の道具にされ、教育・研究が決定的にゆがめられたことへの反省から、憲法は「学問の自由」をさだめ、教育基本法は「真理と平和を希求する人間の育成を期する」(前文)ことを明記したのです。

 大学での「有事」共同研究は、この憲法と教育基本法の精神に真っ向からそむくものであり、学問の自殺行為というべきです。

成り立たない合理化論

 ところが、大学関係者の一部に、自衛隊と大学との「有事」共同研究を「学問の自由」の名で容認する議論があることは、黙過できません。この議論は、以上見てきた歴史の教訓から目をそらし、「学問の自由」の理念を冒とくするものです。

 そもそも、憲法の「学問の自由」の理念は、恒久平和、主権在民などの原則と一体不可分のものです。憲法の平和原則にそむき、国民の自由と権利を制限するような「有事」対応の研究を、「学問の自由」の名で合理化することはできません。

 だいたい、自衛官との共同で、本当に自由な学問研究がおこなえるでしょうか。

 自衛官は、自衛隊法によって、投票以外の憲法に定められた政治活動の自由、集会・結社・言論・出版の自由、居住・移転の自由など、国民の基本権が認められていない存在です。他方、常時勤務態勢をとる義務(自衛隊法第五四条)、上官の命令に服従する義務(五七条)、職務専念義務(六〇条)などの服務規定が課せられ、治安出動(七八条・八一条)などの任務を負っています。

 そればかりか、防衛・治安任務として、広義の情報収集活動、諜報活動が義務づけられています。かつて京都大学大学院などいくつかの大学で、入学した自衛官が講義内容や、教授の思想傾向を逐一上官に報告していた事実が発覚したこともあります。

 こうしてみれば、自衛官との「共同研究」が、ほんらい自由な個人およびその共同の知的営為である学問研究とはおよそ異質なものにならざるをえないことは、明白です。

 一部には、自衛隊との「共同研究」は、現行法や日米安保体制が憲法の平和原則に反するかどうかを批判的に検討するためだという、合理化論までもちだされています。しかし、研究者の意図がどうあれ、そもそも対米従属の軍隊である自衛隊と「共同研究」すること自体、憲法の平和原則と根本的に矛盾します。

 今回の「共同研究」も、自衛隊にとってうまい話だからこそ、自衛隊側から大学に働きかけられたのです。そのことが視野から欠落したところに、合理化論の誤りの大もとがあるのではないでしょうか。

大学人の良識の結集を

 戦後の大学自治の歴史は、「軍学協同」を許さないたたかいの歴史だったともいえます。

 日本学術会議は、朝鮮戦争前夜の一九五〇年四月、「われわれは、文化国家の建設者として、はたまた世界平和の使徒として、再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに、…科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する」とした「声明」を発表しています。

 六〇年代後半には、ベトナム侵略戦争をすすめた米軍からの研究費流入や、自衛官のスパイ活動などにたいする批判から、全国の大学で「軍学協同」反対の世論と運動が高まりました。たとえば、六九年に東京大学当局と東大職組とが結んだ「確認書」は「基本的姿勢として軍との協力関係をもたないことを確認する」と明記しています。

 八〇年代半ばには、アメリカのSDI研究に自民党政府が参加を表明するなかで、あらためて「軍学協同」反対の世論と運動が大学や研究機関にひろがりました。名古屋大学が全構成員の五八%の署名で批准した「平和憲章」(八七年)は「われわれは、いかなる理由であれ、戦争を目的とする学問研究と教育には従わない。そのために、国の内外を問わず、軍関係機関およびこれら機関に所属する者との共同研究をおこなわず、これら機関からの研究資金を受け入れない」と宣言しています。

 ここに日本の大学人・研究者の良識が結晶しています。それらをふまえ、新たな「軍学協同」を許さない大学の全構成員の世論と運動が期待されます。

(どい うみひこ・党学術・文化委員会事務局長)


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