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小池さんの生い立ち 1960年6月9日東京都世田谷区生まれ。有事立法(戦時法制)が問題になったときに「平和のために何かをしたい」と日本民主青年同盟に加入し、翌79年に入党。東北大学医学部卒業。学生時代は全国医学生自治会連絡会議委員長として医学連再建に尽力し、その後全学連副委員長(国際部長)。卒業後、東京民医連加盟の小豆沢病院(板橋区)、北病院(北区)、代々木病院(渋谷区)などで地域医療に携わるなかで医療制度の貧困を実感、党の要請を受け「政治の病こそ治療が必要」と98年参院選に比例代表から立候補し初当選。参院議員2期目で政策委員長、参院議員団長、参院厚生労働委員。家族は病院時代に知り合った妻と1男。保育園に息子を送る毎日です。 |
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医療の現場を知るかけがえない議席 代々木病院院長 井上均さん
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参院選の年、2010年が幕を開けました。比例代表から東京選挙区(定数5)へ転身し、日本共産党の議席奪還をめざす小池晃政策委員長・参院議員に、新年にあたって熱い思いを聞きました。
―特別の思いで迎えた新年では?
小池 今年は、私にとっても日本共産党にとっても日本の政治にとっても非常に大事な年です。自民・公明政権を退場させる国民の審判が下り、新しい政治が始まった。けれども「緊急手術は終わったが術後の経過は思わしくない」。いま鳩山政権で問題が噴出しています。
くらし・平和の問題でも国民の願いが実現する方向にすすめるためには、日本共産党がどうしても伸びなければならない。そのために比例代表選挙を軸に、5議席を絶対確保するとともに東京選挙区で失った議席奪還を必ずやりとげたい。12年間の国会議員活動のすべてをかけて、全力を集中する決意です。
いま映画『いのちの山河―日本の青空II―』が大変評判です。豪雪で貧困な岩手県の旧沢内村で高齢者医療費無料化、乳児死亡率ゼロを全国で初めて実現させたときの物語ですが、深沢晟雄村長が県庁にいって医療費無料化をかけあう場面があるんです。役人は「国民健康保険法に反する」と抵抗する。それに対し村長が「日本国憲法には違反しない」と反論して実現にこぎつけ、それが全国に広がることになるわけです。いままさに憲法を土台にしたそういうたたかいが必要な情勢ではないでしょうか。
憲法9条を守り、25条を花開かせようという日本共産党の参院議員が首都・東京に絶対必要です。これは党派を超えて共感してもらえる。いま、わくわくする気持ちです。
農協や医師会、森林組合など都内の団体で懇談していますが、どこでも歓迎してくださいます。
大田区蒲田医師会のレセプションには共産党として初めて招かれ、出席すると会長さんが「予定にはなかったけれどあいさつしてください」。驚きました。
自民党一本やりの仕組みという重しがとれて、共産党とも交流と対話が始まった。さらに広げていけば必ず勝利できると確信しています。
―東京が原点と?
小池 両親ともに東京生まれの東京育ち。私は世田谷区生まれで、東中野などに住み、武蔵野市で中学まで過ごしました。大学は仙台市(東北大学医学部)でしたが全学連の活動などで東京にいることも多かった。過ごした各地に思い出があります。
卒業後は、板橋区の小豆沢病院、北区の北病院、渋谷区の代々木病院で地域医療活動を続けました。
華やかに見える都会も一本路地裏に入ると、独り暮らしのお年寄りが大変な生活をしています。外来でも、手遅れになった人がやってきて「どうして病院に来なかったの」と聞くと「そんなお金はない」と。糖尿病を患っている個人タクシーの運転手も「死んで保険金が入ったほうが助かる」なんて言うわけです。切ないですね。
東京は医療問題でも雇用問題でも矛盾の集中点です。同時に民主勢力のたたかいの分厚い伝統があります。そんな東京から日本を変えたいのです。
―息子さんとの触れ合いが活力の一つと。
小池 息子は、前回6年前の参院選直前に生まれ、今年から小学生です。成長を見るのが楽しみで。保育園へ送ったり、休みの時間に郊外に出かけたり、自転車で公園にいってサッカーをしたり。合間を見つけては息子と接する時間を大切にしています。
子どもはおとなでは考えられないことを言う。2年前の街頭演説に妻が連れてきた時、「パパは、みんなのパパなんだね」と言ったらしいんです。
息子を見ていると、この子の命を絶対守らなければと思います。同じ年ごろの子どもの事件が報道されると、本当にいたたまれない。何より許せないのは戦争です。イラクでもアフガニスタンでも子どもたちの命が奪われている。平和を願う気持ちはもちろんありましたが、子どもができて命の重さを肌で感じています。
―小池さんの活動の支えはなんですか。
小池 医師時代、私を支えてくれたのは、患者さんや家族のみなさんの笑顔でした。国会議員になったいまは、雇用問題を扱ったら若者から「励まされた」とメールをもらい、後期高齢者医療制度を追及したときにはお年寄りが「ありがとう」と手を握ってくれる。そういう一つひとつが私が頑張るエネルギーになっています。
そんな人たちへ希望の灯をともす政治をなんとしても実現したい。「永田町国会病院」で、くらしや経済の問題でも、平和・基地の問題でも、政治の病を治す仕事をさらに続けるために、必ず勝ち抜く決意です。
(「しんぶん赤旗」首都圏版2010年1月5日付より)