日本共産党の政権論について

不破哲三委員長に緊急インタビュー

1998年8月25日付「しんぶん赤旗」


 日本共産党の不破哲三委員長が、マスコミのインタビューにこたえて政権論についてのべた内容が大きな反響をよび、「もっとくわしい内容を知りたい」という要望が寄せられています。本紙は、不破哲三委員長に緊急インタビューし、いま注目されている日本共産党の政権論について、次のような柱で縦横に語ってもらいました。


目次


最初へ

いま、政権論がなぜ注目されるのか

 ――日本共産党の政権論がかつてなく注目されています。不破委員長がこの問題でマスコミのインタビューにこたえた記事も、ずいぶん反響をよんでいますが、まずこういう反響のひろがりをどうみているか、といったあたりからうかがいたいのですが。

 不破 現実には、野党間でそういう協議がはじまっているわけではないし、私たちのところに政権協議のよびかけがあるという状況でもないのですが、いわば状況を先取りする形で、マスコミから問いかけがある、それに答えるとそれが反響をよぶ、というのは、やはり背景に、政治情勢のそれだけの進展があると思います。

 一昨年の総選挙でわが党が躍進し、昨年の都議選では首都東京で自民党につぐ第二党になりました。そしてこんどの参院選ではまた大きな躍進をして、ここで得た得票数、議席数では、自民、民主につぐ第三党の地位を得ました。

 その一方、自民党は大敗して、参議院では過半数回復どころか、それをさらに大きく割り込む状態になりました。

 いま解散・総選挙が政治の焦点になっていますが、それがおこなわれて、自民党が衆院でも多数を失うことになったら、野党の連合政権という問題が、いやおうなしに日本の政治の現実の日程にのぼってきます。これが、第一の条件ですね。

 第二に、その野党の側では、日本共産党の躍進と並行して、二十年近くつづいてきた「共産党をのぞく」という異常な体制が崩れ、いろいろジグザグはあっても、日本共産党を一つの柱にした野党共闘が、国会で現実に展開されている、という状況があります。

 五年前の総選挙で自民党が過半数を失った時には、日本共産党をふくむ野党共闘などが問題になる条件はまったくなく、いわゆる「非自民」連合という形で、細川内閣が成立し、自民党政治をうけついだのでした。いまは、当時とは、そこが大きくちがっています。

 いま自民党が総選挙で多数を失ったときのことを考えると、以前のように、「共産党をのぞく非自民」政権という問題だけでなく、日本共産党をふくむ野党の連合政権ということが、政権の一つの方向として、いやおうなしに問題にならざるをえない情勢がすすんでいる。参院選後、マスコミの方から、しばしばそういう問いかけがおこなわれてくるのも、情勢のそういう進展のなかに一定の根拠があるわけです。

 ですから、この問題は、私たちの側からいっても、ただマスコミに聞かれるから答えるというだけの意味をもつものではありません。こんご、日本の政局を国民の立場できりひらいてゆく展望の問題として、私たちが責任ある答えをもって対応すべきことなのです。

最初へ

4月の全国地方議員会議での報告から

 ――そういう話をきくと、情勢の進展のはやさ、はげしさにあらためて驚かされますね。参院選のさなかでは、政権問題というのは、まだそこまでの現実的なひびきをもちませんでしたが。

 不破 そうですね。自民党の逆立ち政治の横暴な支配をいかにして打ち破るかが、中心問題でしたからね。

 ただ、私たちとしては、情勢の発展とともに、政権問題が日程にのぼってくる、という問題は、選挙の前から予想していました。四月に、全国の地方議員約四千人をあつめて、党史上最初の全員会議をやりましたね。あの会議での報告のなかで、私は、この問題についての予告的な問題提起をしました。

 報告をする前の日に、朝日新聞に、私たちの野党共闘論にたいする批判的な社説(「野党共闘というけれど」)がのったのです。それに答える形で、野党共闘にたいする私たちの方針を説明したのですが、そのなかで、野党連合政権への態度について、つぎのように話しました。

 「政権問題についても、だいたい日本の政治のなかで、連合政権という方針を、戦争直後の時期の片山内閣、芦田内閣を別とすれば、それ以後の情勢のなかで連合政権という方針を最初に提唱したのは日本共産党であります。そして、その連合政権も、民主連合政権という政治の根本的な転換の政権だけではなく、選挙管理内閣あるいは、政治腐敗の根絶をおもな任務にする暫定政権など、政治の重要な局面局面で、それにふさわしい連合政権の提唱をおこなってきたことも、思い出していただきたいと思います。七〇年代のことでしたが、そういうことを考えていただければ、わが党が、情勢におうじて原則をふまえて弾力的に対応するという、その対応のあり方がどんなものかを、ご理解いただけると思います」。

 ここでの説明で大事な点は、わが党は、民主連合政府という目標を一貫して追求しているが、この政権ができる条件が成熟するまで政権問題にはふれないで、ただ待っているという消極的な立場ではない、その局面の状況に応じて、選挙管理内閣とか暫定政権――これは「よりまし政府」ともよんできましたが――など、政局を民主的に打開する政権構想をも積極的に追求するんだ、という点にありました。「情勢におうじて原則をふまえて弾力的に対応する」というのは、そのことなんですね。

最初へ

70年代、80年代の政治局面のなかで

 ――そういう提唱は、七〇年代には、実際に何回もおこなってきたことなんですね。

 不破 そうなんです。七〇年の第十一回党大会で、民主連合政府の樹立についてあらためて具体的な展望をしめし、七三年の第十二回党大会では、民主連合政府の政府綱領についての提案まで討議決定しました。

 こうして「七〇年代のおそくない時期」の民主連合政府の樹立をめざして奮闘しながら、その間、田中内閣の末期に金脈問題が表面化して、政府が危機的な状態におちいったときには、一九七四年十月でしたが、自民党内での政権たらいまわしでなく、腐敗政治に反対する全議会勢力によって選挙管理内閣をつくることを提唱しました。

 このときの政府の危機は、自民党内の政権交代で三木内閣ができて終わりました。その三木内閣のもとで、ロッキード事件が暴露され、また小選挙区制の問題で日本の民主主義がおびやかされるという情勢がすすんだとき(七六年四月)、私たちは、小選挙区制粉砕、ロッキード疑獄の徹底究明、当面の国民生活擁護という三つの緊急課題で「よりまし政権」をつくろうではないか、という暫定政権構想を、当時の宮本委員長の提唱で提起しました。これは、緊急の三つの課題で実際の改革的な措置をやろうという提起ですから、選挙管理内閣よりも、さらにすすんだ問題提起でした。この時、広範な勢力の合意をはかる前提の条件として、安保条約の問題などでの見解の相違は保留するという立場を明らかにしました。

 こういう提起をおこなったのは、七〇年代だけではありません。九年前の八九年参院選の時にも、私たちは、この選挙戦で最大の問題となった消費税問題を中心に、(1)消費税廃止、(2)企業献金禁止、(3)主食であるコメの自由化阻止の三つの緊急課題での暫定連合政府の樹立を提唱しました(常幹声明、八九年七月十三日)。私は、この政権構想についての記者会見(同年七月十五日)で、この政府の性格やその意義について、つぎのように説明したものです。

 「わが党が提唱している暫定連合政府は、体制的な意見の相違はもちろん、安保条約などの問題での立場や見解の相違は留保しながら、国民の緊急の熱望である三つの緊急課題で共同し、その実現をはかることを、最大かつ主要な使命とする政権を、共同で樹立しようというものである。この連合政権の任務がこういうかぎられたものであっても、その政権のもとで、国民の要求が実現するならば、それは文字どおり、主権者である国民が、国民自身の力で国民の利益にたって国政を動かすという史上最初の壮挙となり、日本の政治のまったく新しい局面をひらくものとなるだろう」(「三つの緊急課題での暫定連合政府こそ 国民の期待にこたえる道理と現実性をもった選択」「赤旗」八九年七月十六日付)。

 私たちが、こういう提唱をした七〇年代、八〇年代という時代は、政界の状況からいって、私たちのよびかけが現実に政界に影響をおよぼすという条件は、実際的にはまだありませんでした。マスコミからも、いまのような積極的な関心は向けられませんでした。私たちの党に近い部分でも、はっきりいって、こういうよびかけを理論的な提唱としてはうけとめても、政権問題を現実の政治問題として身近にとらえるという問題意識は弱かったと思います。そういう時代的な背景だったんですね。

 はじめにものべたように、現在の政治情勢は、そこがちがってきています。

 まだ、目の前で野党の連合政権が現実の問題になるという状況ではないのだが、近い将来の解散・総選挙を想定すると、自民党から野党への政権交代を、かなり大きい確度で考えざるをえないほど、自民党政治が破たんしている。

 また、日本共産党は、参院選の得票と獲得議席では野党第二党を占めるという状況が、一方にある。他の野党と日本共産党とのあいだで政権協議がすすむには、まだまだとりのぞくべき障害はたくさんあるのだが、しかし、日本共産党はそもそも、こういう状況のもとでの野党の連合政権あるいはそのための協議に、どんな立場、どんな態度でのぞむのだろうかという問題、またその日本共産党が、どんな政権構想をもっているのか、それは現実の政治に対応できるだけの力と内容をもったものか、こういうことが、先取り的ではあるが、これからの政治の動きの大事な要素として注目されてくる。

 こういう情勢が、わが党の政権論への関心、注目、またこの問題での報道への反響としてあらわれているのだとおもいます。

最初へ

民主連合政府の成立のための政治的条件は……

 ――さきほど、民主連合政府と暫定政権の関係について、歴史的な説明はうかがったんですが、現在の情勢に即して、説明してもらえませんか。

 不破 現在の段階での私たちの基本的な政権目標は、民主連合政府です。昨年の第二十一回党大会では、「二十一世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現することをめざして奮闘する」(党大会決議)という方針を決定しました。この政府は、政治革新の目標、すなわち国づくりの根本的な転換を実現する政府です。私たちは、いま自民党の国づくりの破たんを問題にしていますが、公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円という逆立ち政治の転換や、日本をアメリカの戦略基地にしている安保条約の廃棄をはじめ、自民党政治をおおもとからきりかえることが、この政府の任務となってきます。

 なかでも、日米安保条約の廃棄というのは、革新三目標の一つであり、民主連合政府の政策では不可欠のものとなってきます。民主連合政府をつくる国民的な条件としては、日米安保条約反対が国民多数の世論になり、安保条約をやめ、軍事同盟からぬけだすという国民的合意ができることが、大事な条件の一つになります。この点では、沖縄で米兵による少女暴行事件が起き、日本中が怒りにわいた当時には、安保反対の声が四割をこえたという世論調査もありましたが、最近の世論調査では、質問の立て方でも変化しますが、だいたい安保反対の声は三割前後かそれ以下という場合が多い。この面からも、国民の世論がもっともっと成熟してゆかないと、民主連合政府をいまの問題として日程にのぼせうる条件はできないのです。

 また政党関係でいうと、国会に一定の議席をもっている政党で、日米安保条約の廃棄という立場に立っている政党は、日本共産党以外にありません。昨年の党大会では、民主連合政府への条件をかちとってゆくために必要な課題の第一に、当面の第一段階の目標として、わが党が「衆議院に百をこえる議席、参議院に数十の議席をもち、国会の力関係のうえでも自民党と正面から対決できる力量をきずきあげる」(第二十一回党大会での中央委員会報告「三、民主的政権への接近のために何が必要か」)という課題をかかげましたが、ともかく、国会の議席のうえでも、安保反対の勢力がもっともっと大きな力量をもつようにならないと、この面からも、民主連合政府に接近する条件は生まれません。

 そういう意味では、現在は、民主連合政府を現実にめざす条件が、国民世論のうえでも、政党関係のうえでも、まだないことは明白です。その情勢を変革してゆくために、党大会では、「民主的政権への接近のために何が必要か」という角度で、一連の課題を提起し、その実現に全力をつくすことを決定したのです。

最初へ

暫定政権構想の現実的な意味は?

 不破 では、そういう条件をつくりあげ、民主連合政府をつくりあげる条件が成熟するまで、私たちは、政権問題にノータッチでいいのか、民主連合政府以外は頭から問題にしないという一本槍(やり)の態度でいいのかということが、つぎの問題になります。それでは、国民に責任を負う立場で、実際の政治に前向きにとりくむことはできません。そこで、暫定政権あるいは「よりまし政権」という、以前から私たちがとってきた立場が、重要になってくるのです。

 実際、いまの情勢を見てみましょう。民主連合政府を問題にするには、まだまだ遠い状態にあるが、つぎの解散・総選挙で自民党の多数支配が崩壊するという可能性は、かなり色濃い現実性をもって、現に存在しています。総選挙の結果、自民党が多数を失い、野党がまとまれば自民党政権を終わりにできるという条件が生まれたとしたら、そのとき、野党のなかで有力な地位をしめている日本共産党が、政権問題にどういう態度をとるのか。これは、国民の先頭にたち、国民の立場で日本の政治を変えてゆくことをめざす政党としては、たいへん重要な、大きな問題です。

 もっとはっきりいうと、

 ――自民党が多数を失って、野党の連合政権をつくりうる条件ができたとしても、民主連合政府以外は問題にしないという態度で、いまの政権問題には無関係だという立場をとるのか、
 ――それとも、国民の生活や民主主義にかかわる重大な点で、自民党政治を少なくとも部分的には打破できる、そしてその分野では国民の利益にかなう政策を実行する政府をつくれるという条件があるなら、その実現に積極的に力をつくすのか、

 この選択が、具体的に問われるのです。

 そして、この問題に、日本共産党は答えをもっていないのかというと、さきほど歴史的な説明をしたように、以前から、はっきりした明確な答えをもっているのです。それが、暫定政権構想でした。

 四月の全国地方議員会議で報告したように、私たちは、現在の政権問題に積極的に対応する立場をしっかりともっています。つまり、こんごの情勢の発展のなかで、野党の連合政権の協議が問題になるときには、われわれは積極的な提案をもってその協議に参加する用意があります。そして、その協議によって、政権の基礎となる政策協定その他の合意ができれば、それにもとづいて、政権にも参加する用意があります。これが、私たちの立場です。

最初へ

野党間では政策共闘の積み重ねが大事

 ――いま暫定政権を問題にするとすれば、この政府はどのような政策を実行する政府になるのでしょうか。

 不破 それにお答えする前に、いま野党間の共闘でなにが重要か、ということからお話ししたいと思います。

 自民党にかわる野党政権をどうやってつくるか、という問題で、野党のあいだにもいろいろな議論がありますが、私は、自民党の悪政に反対する政策共闘の積み重ねが、いまいちばん大事だと思っています。

 一月〜六月の通常国会以来、日本共産党をふくむ野党共闘の前進に一つの前向きの特徴がありましたが、それは、橋本内閣の不信任案を民主党、自由党、日本共産党の三党で共同提案し、新党平和・改革が賛成したこと、臨時国会冒頭の首相指名の選挙で、民主党の党首を民主、自由、共産の三党が最初から共同でおし、参院の決選投票で公明その他の会派がこれにくわわったことなどが、おもな内容でした。この共闘は、それぞれ政治の重要な局面で実現し、重要な意義をもったものでしたが、一方、政策面での共闘は、まだ本格的には展開されてきませんでした。いわば相手をどう倒すか、どう追いつめるか、こういう共闘は前進したが、政策的な一致点で共同するという政策共闘はまだ本格的に実っていない、ということです。

 いまどの野党をとってみても、それぞれの党が持っている政策体系はずいぶんちがった内容をもっています。しかし、政策体系がちがう政党のあいだでも、国民の利益にかなう一致点というものはありうるわけです。たとえば、日本共産党と自由党は、それぞれがもっている将来の税制像はたいへんちがっていますが、参院選では、両党とも、景気打開のための当面の緊急政策として、消費税の三%への減税を一致して公約にかかげました。だから、それぞれの公約を実現する活動として、消費税の三%への減税を要求する政策共闘をおこないうる条件は、理論的にも、実際的にも、現にあるわけです。

 こういう一致点は、さまざまな党のあいだで、また減税の問題にかぎらず、金融対策の問題についても、ガイドラインなど安保条約にかかわる問題についても、それを探求できる可能性と条件があります。

 そういう一致点をひろい視野で探求し、その点を共同で追求する、あるいは共同でその実現をめざすという政策共闘は、当面の国会活動のうえで、たいへん重要な意味をもっています。同時に、この政策共闘は、政権連合への足ならしとしても、意義が大きいと思います。

 共闘とは、そもそも政策や理念のちがう政党が、国民の利益にかなう一致点で共同することなのですが、政策共闘を積み重ねることは、この共闘の論理を政党間で血肉にしてゆくことにも役立つでしょう。また、一致点での共同という問題に、たがいに誠実に対応しあう経験を通じて、政党間の信頼関係をきずくことにもつうじるでしょう。また、この党とのあいだではこういう種類の政策問題ではここまで共闘が可能だといった判断をおたがいにもって、いわば政策面での政治地図をたがいに見定めることにも役立つでしょう。

 こういう経験をへてこそ、政権共闘が問題になる段階での議論の足場もしっかり定まってくると思います。

最初へ

どんな問題が政策協定の内容となるのか

 ――そのうえで、暫定政権の政策問題を聞きたいのですが。

 不破 国会でいろいろな政策共闘を積み重ねる。そういうなかで、解散・総選挙をかちとり、総選挙になれば、そこでは、自民党政治への審判と同時に、野党それぞれも国民の支持を競い合います。

 この選挙戦は、二十一世紀を目前にした総選挙として、当然、各党が、当面の諸問題の解決策を示すだけでなく、日本のどんな進路をめざすかという国づくりの大方向を国民の前に明らかにし、その判断と選択を求める政治戦という性格を強くもつでしょう。

 日本共産党は、不況打開、消費税減税など緊急の諸課題とともに、安保条約の廃棄、大企業中心主義からの根本的な転換など、国政革新の方針とそれを実現する民主連合政府の樹立への展望を大きく打ち出して、日本共産党の国政革新の路線への支持を国民に訴えてたたかいます。

 同時に、日本共産党が、二十一世紀の早い時期の民主的政権という長期的、根本的な政権目標をめざしてねばりづよく奮闘するだけでなく、選挙後の現時点の政局についても、現実に可能な野党の共闘によって、これを前向きに打開する用意があることを、公然と明らかにして、国民の理解を求めます。

 いまのような激動の時期には、選挙戦においても、長期的な政権目標とあわせて、当面の政局打開の積極的な構想ももつ、こういう政治的な態度が、まさに必要になっているのです。

 そして、この選挙戦で、日本共産党が、新たな躍進をどれだけかちとるか、国会でどれだけ大きな議席をもつかを中心に、政党間にどのような新しい政治的力関係が生まれるかは、長期的な政権目標(民主連合政府)への接近の展望を左右するにとどまらず、選挙後の政局――当面の政権問題に決定的な影響をあたえるものとなります。

 とくに、この選挙戦をへて、新しい国会が生まれたとき、自民党が衆議院でも過半数を失うという結果が生まれれば、そのときこそ、野党間での政権協議がほんとうに現実の問題になってきます。

 どういう政策を暫定政権の柱にするか、ということも、そのときの情勢、なかんずく選挙にしめされた国民の審判の結果に大きくかかってくるでしょう。

 私たちはこういう展望をもっていますが、いまの時点でいえば、消費税減税を中心に、私たちがことしの春発表した「深刻な不況から国民生活をまもる緊急要求」などは、協議のさいに私たちの側から提案するたたき台になりうると思っています。また、金融問題で、国民の税金の不当な投入をやめさせる問題も、当然、大きな柱になってきます。

最初へ

安保条約の取扱いはどうするのか?

 ――現在の政党状況のなかで意見のちがいがもっとも大きい安保条約の問題をどうするか、という問題があります。いろいろな意味で注目されているところですが、この点はどうでしょうか。

 不破 安保条約廃棄の立場をとっている政党はわが党だけですから、いまの状況下で他党と連合する政権を問題にする以上、それは、民主連合政府とはちがって、安保廃棄論者と安保維持・堅持論者のあいだの連合政権ということになります。この意見のちがいへの対応策は、七六年、八九年の提唱のときにものべたように、政権としては、「安保条約などの問題での立場や見解の相違は留保」する、ということ以外にありません。

 安保条約の問題を留保するということは、暫定政権としては、安保条約にかかわる問題は「凍結」する、ということです。つまり安保問題については、(イ)現在成立している条約と法律の範囲内で対応する、(ロ)現状からの改悪はやらない、(ハ)政権として廃棄をめざす措置をとらない、こういう態度をとるということです。

 もちろん、安保廃棄の立場に立つ政党が、政党として安保条約の廃棄をめざす主張や運動をやる、あるいは安保賛成の立場の党がその立場での主張、運動をやる、これらのことは、政党としてのそれぞれの権利に属する問題です。しかし、政権そのものは安保賛成の党派と安保廃棄の党派の連合政権ですから、政権としては「凍結」した対応をする、という意味です。

 いま問題になっているガイドラインは、既定の条約にも法律にもなっておらず、改悪の作業が進行中で関連立法が国会に提出されている問題ですから、当然、「凍結」の対象にはいります。また、これは、問題の性質上、かりにこれから自民党政権のもとで強行成立させられるようなことがあったとしても、暫定政権のもとで、そのまま既成事実扱いするわけにはゆかないものです。

 政権として、留保あるいは「凍結」という基本態度を明確にすれば、安保問題での意見のちがいを連合政権づくりの障害にしないですみます。現実に起きてくるいろいろな問題も、「凍結」という基本態度の枠内での協議によって、具体的に解決できるでしょう。

 そしてこの基本態度が確認できれば、安保問題の解決を留保した政権であっても、この暫定政権の成立によって、日本の政治は、国民生活や民主主義にかかわる一連の問題で、自民党政治の内容を崩し国民の声にこたえる新しい道に踏みだすことができるでしょう。そして、こういうことができれば、この連合政権が、日本の政治の歴史のうえで、未来ある大きな役割をになうことも確実だと思います。

最初へ

細川内閣や村山内閣の失敗のくりかえしにならないか?

 ――安保問題について「凍結」するということになると、そういう野党連合政権ができた場合、細川内閣や村山内閣の失敗をくりかえすことにならないか、こういう心配の声もあるようですが……。また、日本共産党がその政権に参加して、村山内閣の社会党みたいなことにならないか、という懸念の声も聞こえます。

 不破 細川内閣にしても、村山内閣にしても、最大の問題は、それが、自民党政治の枠のなかで自民党政治をうけついだ政権、ただその担い手だけを変えた政権だったというところにありました。だから、この政権は、政権交代で新しい政治が生まれることを期待した国民を裏切ることになったのです。

 これにたいして、私たちが問題にしている暫定政権は、少なくともいくつかの重要な点で、国民の要求を実現するために自民党政治の枠を突きやぶる政権、そういう意味で、自民党政治からの転換の大きな一歩をふみだす政権です。ここにまず、大きなちがいがあります。

 もし、国民生活や民主主義にかかわる大事な点で、自民党政治のわく組みを突きやぶるという保障がなければ、日本共産党がこの政権に参加したり協力したりすることは、もちろんありえないことです。

 政権の性格というこの点が、第一の問題です。

 第二に、もっと具体的に見ますと、細川内閣をつくるとき、これに参加した諸党は、「非自民」八党派の合意書を確認しました(九三年七月二十九日)。その特徴は、「外交および防衛等国の基本施策について、これまでの政策を継承し」と、自民党政治のわく組みを変えず、これを継承することを、公然と宣言したことです。これが、細川内閣の基礎になった政策協定であって、そこには、自民党政治のどこがまちがっていて、どこを変える必要があるか、ということは、ただの一ことも書かれていませんでした。つまり、細川内閣とは、自民党政権の基本政策の継承を方針とした内閣であり、その一方、自民党政治を改革するプログラムはまったく持たなかった内閣だったのです。

 暫定政権は、そこが根本的にちがいます。新しい政権にわが党が参加する場合は、この政権は、国民の利益にたって、自民党政治のここをこう変えるんだという明確なプログラム、政策協定をもって生まれる内閣となります。安保問題でも、政権として留保するということは、自民党の安保堅持政策を継承することとは、根本的にちがいます。そして、この分野でも、現在進行中の改悪が阻止されれば、それが国民にとって「よりましな」役割をはたすことも明白です。

 第三に、政党の態度という問題です。私たち日本共産党は、合意が成立して政権に参加するときには、政策協定の合意事項の全面的で積極的な実施のために、力をつくします。それは、その分野で、国民の立場で自民党政治を変えてゆくということです。

 また、安保問題を、政権として留保する、「凍結」するということは、まだ国民的な条件の熟していない段階に成立した政権として、安保問題の根本解決を将来にもち越すということです。日本共産党として、安保条約廃棄という方針を凍結するということではありません。だから、私たちは、たとえ暫定政権であっても、私たちが関与するこの政権が、安保改悪内閣にならないということを、政権問題でなによりも重視するものです。

 社会党の場合には、この基本態度が根本的にちがっていました。社会党の場合には、政権に参加できたということで、ほとんど全分野で、自分の基本政策も選挙の公約も投げ捨てて、自民党政治の基本政策をまるまる継承してしまい、消費税増税の実行者にさえなったのです。安保問題についても、留保どころか、自民党の安保政策に「右へならえ」をして、安保批判の立場を安保堅持政策にきりかえ、日米安保共同宣言や新ガイドラインまで安保改悪路線を自民党と共同で推進してきたのです。アメリカの「東アジア戦略」に追随して「周辺事態」問題を先取り的に書きいれた「新防衛計画大綱」も、ほかならぬ村山内閣のもとで決定されたものでした。

 同じ連合政権への参加といっても、自民党政治の延命・補強の応援団となるのか、それともその自民党政治を打破して二十一世紀の新しい政治への新たな一歩の担い手となるのか、そこには天地のちがいがあります。

最初へ

路線変更という疑問にこたえて

 ――政権問題で、いま話されたような考え方は、党の路線変更ではないかという見方も一部にはありますね。

 不破 マスコミでも最近「ソフト路線」とかいって、こういう考え方を、共産党が最近にわかにいいだしたかのように見るむきもありますが、これは、さきほどものべたように、私たちの以前からの一貫した方針であり、考え方なんです。

 私たちの党では、活動の基本をいちばん大きく基礎づけているのは、党の綱領です。この綱領は、政権問題について、身動きのとれないような「かたくな」な方針は、まったくとっていないのです。

 党の綱領は、いろいろな問題を社会科学の言葉で書いていますから、表現はすこしむずかしいのですが、私たちがいまどんな政府をめざすかというところで、つぎの二つの型の政府をあげています。

 一つは、「党は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打破していくのに役立つ政府の問題に十分な注意と努力をはらう」。これは、いいかえれば、自民党政治を打ちやぶってゆくのに役立つ政府ということで、これは、いろいろな条件のもとで、さまざまな形で問題になるだろうが、よく注意して対応しよう、ということです。選挙管理内閣、暫定政権などは、大きくいえば、綱領のこの文章に対応する性格の政権です。

 そのつぎに、「一定の条件があるならば、民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲で、統一戦線政府をつくるためにたたかう」。これが、民主連合政府に対応する文章です。

 綱領では、政権の問題をそこまで考えて方針化しているわけで、さきほど紹介した七〇年代や八〇年代のいくつかの政権構想の提唱も、そのときどきの情勢におうじてのその具体化でした。だから、私たちの場合は、どこかの党がかつて叫んだように、政権につくようになって、「思いもかけないことになった」とため息をついたり、「予想もしなかったことが起きた」といって舞いあがったりするいわれは、どこにもないのです。

最初へ

六〇年安保闘争の政治的経験が今日に生きている

 不破 少し歴史の話になりますが、実は、政府問題についての綱領のこの規定は、第七回党大会(一九五八年)に提案された綱領の最初の草案には、なかったものでした。大会での報告では、「よりましな政府」の可能性という問題も提起されていましたが、綱領草案にこの規定をもりこむことまではしませんでした。

 その後、一九六〇年に安保改定に反対する国民的な大闘争が展開されました。その闘争の政治的な経験を整理して、問題の重要性をあらためて明らかにし、第八回党大会に提案した綱領草案に、政府問題についての規定が具体的にもりこまれました。そして、それが採択されて、今日にいたっているのです。

 六〇年安保闘争の経験とはどういう経験だったかといいますと、六〇年五月二十日に自民党が国会で強行採決の暴挙をおこない、日本中が怒りにわきたちました。条約の承認問題ですから、参院で採決しないでも、一カ月たてば、安保改定案は自然成立します。自民党はそれをまつ態度でしたが、そのたくらみを打ちやぶるために、わが党は、五月の末に党の声明を発表して、この暴挙をやった「岸一派をのぞく全議会勢力」による「選挙管理内閣」をつくろう、そしてこの内閣の手で国会解散をやり、安保強行成立の暴挙をただそう、ということをよびかけたのです。わが党が、選挙管理内閣を提唱したのは、これが最初でした。

 その後、総選挙が日程にのぼってきた段階で、わが党は、安保条約反対の民主連合政府という政府構想をはじめて提唱しました。安保闘争は、安保改定阻止国民会議という統一戦線組織によって全国的にたたかわれた国民的規模での闘争でした。そして、民主連合政府のスローガンは、この統一戦線を大衆運動の次元にとどめず、政治闘争の分野に発展させる意義をもちました。

 あの嵐(あらし)のような闘争の時期に、わが党は、こういう形で、それぞれ性格のちがう二つの政府スローガンを提起したわけで、その政治的経験をふまえ、理論的にも総括して綱領に書き込んだのが、政府問題についてのさきに紹介した文章です。この規定が、今日に生きているというところに、たいへん大事な意味がある、と思います。

 いま振り返りますと、安保闘争のとき、わが党は、大衆運動のなかでは、統一戦線の一翼をになって大きな力を発揮しましたが、国会勢力としてはまだ小さな力しかもちませんでした。議席は、衆議院一議席、参議院三議席で、選挙の得票も、直前の選挙で衆院選百一万票(五八年)、参院選・全国区五十五万票、地方区九十九万票(五九年)という水準でした。

 しかし、そういう条件のもとでも、大衆運動の先頭に立ちつつ、政治闘争のうえでも、ひろい視野で正確な方針や政府スローガン、政権構想を打ち出すことにつとめた、その成果がその後理論化されて、綱領にもりこまれ、わが党が、いろいろな局面で、原則的でかつ弾力的な対応をできる理論的・政治的な基礎になっているのです。

 わが党の政権論というのは、それだけの歴史をもっている方針です。これがソフト路線だというなら、わが党はもともとソフトなんですよ。(笑い)

 変わったことといえば、そのソフトさが、それとして、政治的にも、マスコミ的にも、世論的にも、自然体でうけとめられる条件がひろがってきた、ということでしょうね。

最初へ

綱領の違いは政権共闘の障害になるか?

 ――共産党がそういう立場をとっていても、ほかの野党からは、「綱領がちがうから」とか「将来、社会主義をめざしているから」とかの理由をあげて、政権協議を最初から否定しようという話もよく出ているようですが。

 不破 野党共闘を前進させてゆくためには、のりこえてゆかなければならない障害は、まだまだいろいろあります。いま出ている話も、その典型的な一つですね。

 この点では、まず政党間の共闘とは何なのか、その共闘のあり方というそもそも論が、問題になりますね。

 政党というのは、それぞれ理念もちがえば、それぞれがめざす日本社会の将来像もちがいます。だから、それぞれが独自の政党を結成しているわけでしょう。そういう政党が共闘するということは、理念もちがえば社会の将来像の見方もちがうものが、社会発展のいまの段階で、国民の今日の利益にかなう当面の一致点で、どう力を合わせるか、ということです。ここに、野党共闘の基本的な立場がある、と思います。

 政権連合になると、共同で政権をつくり、共同で国政を動かすわけだから、当面的な共闘よりはもっとすすんだ形態の共闘になりますが、それでも、社会発展の現在の段階で、今日の国民の要求にこたえる政治をどうやるかが、中心問題であることに変わりはありません。そこに政権構想の根本があるわけで、そこで一致すれば、日本社会の将来像がちがう政党でも、一致点での協力はできるはずです。そこに、連合政権とか統一戦線政府というものの、よってたつ基本的な論理があるといっていい、と思います。

 これにたいして、ある党が、自分のもっている将来像と合わない、理念がちがうといって他の党との当面の共同も拒否する、あるいは、他の党が自分の党の理念や将来像に同調することを共同の条件とするとすれば、これは、政党間の共闘というものの基礎をくずす自党第一主義ということにならざるをえません。共闘ということは、政党の合同とはまったくちがう問題ですから、ここには一種の共闘論の混迷があるわけで、この状況をのりこえないと、自民党政治を本気で打破する野党政権への道は、なかなかひらかれないでしょう。

 七〇年代には、この共闘の論理という問題が、野党間の論争の大きなテーマになりました。論戦で解決した問題もあれば、論争のままで終わった問題もありましたが、共闘の論理をめぐる論点の整理はかなりできたように思います。

 ところが、その後、「日本共産党をのぞく」の時代がかなり長くつづき、本格的な共闘論があまり問題にならないで、政界的にはいわゆる「政界再編」論ばかりが論議されてきました。だが、「政界再編」論というのは、政党の合同や新党の結成が議論の中心ですから、これは、共闘論とはまったくちがった性格のものです。

 新しい政治状況のもとで、野党共闘を本格的に発展させる、あるいは野党連合政権の問題に本気で接近してゆくためには、私は、共闘の論理の整理を今日的な内容でやることが、いまとくに必要になっていると思いますね。私たちも、そういう議論を大いにすすめるつもりです。

最初へ

日本共産党がめざす将来の社会像をめぐって

 ――将来像のちがい一般ではなく、日本共産党が、社会主義を将来像としていることを特別に問題にする議論がありますね。

 不破 それは、崩壊したソ連が社会主義そのものだという、古い思い込みにとらわれているからじゃないですか。

 この機会に、私たちのもつ将来像の問題について、誤解を解くために、いくつかの点を話しておきましょう。

 (1)私たちは、社会発展の段階論者です。

 日本社会のいまの発展段階では、私たちは、「資本主義の枠内の民主的改革」が中心任務だということを、きちんと提起しています。しかし、日本の社会発展が、将来、いつまでもその段階にとどまるものではないという認識も、私たちはあきらかにしています。それは、将来的には、日本の国民がより高度な社会をもとめる段階に前進してゆくだろうという見とおしを、私たちがもっている、ということです。

 そのより高い段階というのは、大企業優先の政治の転換や大企業への民主的規制にとどまらず、資本主義の利潤第一主義そのものをのりこえ、国民の利益の増進が社会の経済活動の直接の目的になるような社会形態、すなわち、社会主義の段階です。党の綱領にも、また『自由と民主主義の宣言』にも、そのあらましの発展方向はのべられていますが、私たちは、この社会形態では、国民が主人公ということが、民主的な改革の段階よりも、もっと豊かに花ひらき実をむすぶだろうという、展望をもっています。

 もちろん、私たちが展望している社会主義というのは、日本の社会に根ざし、日本的な特徴をもった社会主義であって、旧ソ連の社会体制とはまったく別のものです()。

 ()私たちは、旧ソ連とは何であったかについて、四年前の第二十回党大会で、くわしい研究にもとづいて徹底した結論をだしました。旧ソ連とは、「社会主義」の看板こそかかげていたものの、その体制は、社会主義とはまったく無縁なものでした。「人間が主人公」が社会主義の基本精神です。ソ連社会は、人間が主人公どころか、人間抑圧型の専制社会でした。これが、旧ソ連社会についての私たちの結論です。

 日本は、世界でも、もっとも高度に発達した資本主義の国の一つです。その日本が、民主的改革の段階をへながら、将来、より高度な社会形態である社会主義へすすんでゆくとしたら、これは世界史的、あるいは人類史的な意味をもつ新しい事業にふみだすということにほかなりません。それはまさに、日本の国民の英知と努力を結集してこそ成功を期待できる壮大で長期的な事業です。

 (2)私たちは、日本社会の将来像として、以上のような展望をたしかにもっています。しかし、日本が将来、この道をすすむかどうか、その道をすすむ場合でも、いつどこまですすむのか、これは、社会の主人公である国民がきめることであって、政党が勝手に決定できることではありません。

 私たちは、そのことを、『自由と民主主義の宣言』のなかでも、つぎのように明記しています。

 「社会進歩のどのような道をすすむか、そしてその道を、いつどこまで前進するかは、主権者である国民の意思、選挙で表明される国民自身の選択によって決定される問題である」。

 日本共産党が、いまのべたような将来像をもっているということは、日本社会の現状とその矛盾の解決方向についての分析から、社会の発展方向についての見とおしをもち、その展望を国民に語るということにほかなりません。

 社会発展の前進の一歩一歩が現実の問題になるかどうかは、そのときどきの国民の選択によって決せられる問題です。

 (3)もちろん、私たちがもっている日本社会発展の将来像について、賛成できないという方は、多くおいででしょう。くりかえしのべたように、政党のあいだには、将来像のちがいがあることは、当然だからです。問題は、将来像がちがっていることを、共闘の障害とするという立場が、野党の共闘によって自民党政治の害悪をくいとめ、国民の利益にたった政策の実現をもとめている国民的な要望にかなっているかどうかです。

 私たちは、昨年の党大会において、私たちが日本社会の現段階でもとめているのは、「資本主義の枠内での民主的改革」だから、その改革内容に賛同がえられるなら、資本主義賛成派の勢力、たとえば修正資本主義派でも、共同の対象になりうる、という立場をあきらかにしました。

 「将来の問題ですが、共同が可能となる民主的党派はいろいろありえます。いま私たちが日本で問題にしているのは、資本主義の枠内での民主的な改革ですから、理論的には、資本主義体制そのものを擁護する修正資本主義の立場にたった政治勢力でも、賛成できるはずの課題であります」(第二十一回党大会での中央委員会報告)。

 この時、私が報告で問題にした「共同が可能となる党派」とは、民主連合政府の問題にかんしてでした。いま、政局の展望として問題になってくるのは、もっと当面的な、緊急の改革のための野党連合政権にかかわる共同の問題です。

 今日、当面する国民の切実な要求の実現のために、日本社会の将来像として、資本主義の体制的な永続を希望しているものも、資本主義の部分的な修正をもとめているものも、日本的な社会主義の実現をめざしているものも、その将来像のちがいをわきにおいて大同団結する――いわば”大異をこえて大同につく”という共同と連合の立場に大胆にふみだすこと、私は、ここに、いま野党にもとめられている最大の課題があると考えています。

最初へ


機能しない場合は、上にあるブラウザの「戻る」ボタンを利用してください。


著作権:日本共産党中央委員会

〒151−8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4−26−7
TEL:03−3403−6111 FAX:03−5474−8358