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日本共産党

原点に立って社会と歴史の大きな発展を見る

日本共産党中央党学校、不破議長が2つの講義

 2001年2月4日(日)「しんぶん赤旗」


 日本共産党の不破哲三議長は、一月に開かれた中央党学校(静岡県熱海市)で、科学的社会主義と日本共産党綱領の二つの講義をおこないました。質問にこたえての補講をあわせると、全体で十五時間におよぶ講義でした。

 科学的社会主義の原点にたって二十一世紀の人間社会、歴史の発展を大きく展望する講義に、受講者からは「マルクス、エンゲルスのつくった理論が遠くにあるのではなく、私たちもその発展のなかにいて、私たちの活動が理論をまた発展させていくのだと誇りをもてた」などの感想が相次ぎました。不破議長の講義から、いくつかのポイントを紹介します。

科学的社会主義について

講義要項

  1. 科学的社会主義とは
    1. 空想から科学へ
    2. 社会主義論の基礎にすえた科学とは―
    3. われわれが、マルクス、エンゲルスの個々の言説を絶対化しないのは、その立場から
    4. 古典を学ぶことがなぜ重要か
  2. 世界観について
    1. 唯物論か観念論か――世界をどう見るか
    2. 弁証法か形而上学か――世界のとらえ方
    3. 史的唯物論。社会と歴史をどうとらえるか
  3. 経済学について
    1. 商品社会(市場経済)をどうとらえるか
    2. 資本主義をどうとらえるか
    3. 社会主義の展望
  4. 古典を歴史のなかで読む

「願望」ではなく「科学の目」で

 「そもそも科学的社会主義とは何か」から講義を始めた不破さんが、最初に強調したのは、「科学の目」ということでした。

 マルクス、エンゲルス以前の社会主義論は、矛盾や不合理をのりこえた未来社会を主観的願望として描き出すにとどまり、それを生み出す科学的なよりどころを示せませんでした。だから、「空想的社会主義」とよばれています。「科学的社会主義」は、それに対置・対応した言葉。不破さんは、マルクス、エンゲルスが社会主義論を根本的につくり変えたことについて、二つの「特質」を指摘しました。

 一つは、「願望から出発するのではなく、『科学の目』で社会を分析し、次のより高度な社会をつくる条件がいまの社会のなかでどう準備されているかを明らかにする。それがまた、人類社会の合理的な、法則にかなった発展の方向であることを明らかにする。こうして、未来社会論を科学のうえにすえなおした」。もう一つは、「青写真主義を排し、矛盾をのりこえた社会の大展望は打ち出したものの、細かな青写真はつくらなかった」ことです。

 不破さんは、マルクス、エンゲルスからうけつぐべき中心は「細目にわたる結論ではなく、二人が到達した『科学の目』」だと強調。マルクスやエンゲルス、レーニンにも間違いはあり、彼らの言葉を金科玉条にしてはならないこと、日本共産党が二十五年前の第十三回臨時党大会(一九七六年)で「マルクス・レーニン主義」という用語を「科学的社会主義」と改めたのも、その立場からであることを説明。人間知識の不断の前進、社会の不断の発展をふまえて、「科学の目」で今の社会を分析していこう、と語りかけました。

「市場経済の効用」どう考える

 受講者が「新しい話をたくさん聞かせてもらった」という不破さんの講義。生命や人間の意識の秘密に、いま科学がどこまで迫っているかを語りながら説く唯物論と弁証法の話、『資本論』に登場する幕末日本の姿や日本史を絵ときしながらの史的唯物論の話は、教室をわかせました。

 なかでも「刺激的でした」という声が多かったのが「市場経済」問題での新たな解明と問題意識です。

 不破さんは、マルクスの資本主義の解明が、まず商品経済の解明から始まったこと、そして、マルクスによる価値法則の発見までに、市場経済の長い歴史があったことを説明。「商品経済=市場経済は、人類の社会で奴隷制ごろからの歴史をもっているだけに、それなりの値打ちをもっている。どんな効用があるのか見る必要がある」とのべ、マルクスの分析をふまえつつ、「物事の値打ちをおのずから生産者たちの背後で決める調節作用」「需要・供給を調整する作用」「市場競争でお互いに活力を競い合う前進作用、活性化作用」などをあげました。

 レーニンの場合、当初、資本主義と市場経済を同一視する誤った観点から、ロシアの十月革命後に、市場経済をなくす政策をとりましたが、大きな矛盾に突き当たり、その後曲折を経て、市場経済を取り入れる新経済政策に転換しました。

 不破さんは、レーニンの苦闘にふれつつ、日本共産党の場合は、綱領で、将来、社会主義に進んだ場合に「計画経済と市場経済を結合」すると明記していることを紹介。「市場の調整作用というものは、控えめにみても相当長い期間必要」で、「競争の活力」も大事であり、「市場経済が、未来社会をつくっていく上で、どれだけの期間有効性を持つかは、世界的に未解決の研究問題」だとのべました。また、こうした点でも、中国の「社会主義市場経済」やベトナムの「ドイモイ(刷新)政策」の動向が注目されることを指摘しました。

「帝国主義」の新たな状況

 「マルクス以後、経済の問題でいちばん大きな変化は、二十世紀になって帝国主義の時代がきたことです」。こう話をすすめた不破さんは、「アメリカ帝国主義」という党綱領の規定にもふれながら、「『帝国主義論』というのは、生きた現実問題」であり、その目で経済学の問題を考えたいとのべました。

 帝国主義は、資本主義以前からありました。しかし、二十世紀の資本主義は独占資本主義となり、他国にたいする侵略主義や植民地政策を基本的な特質とする段階になりました。

 不破さんは、こうしたレーニンの研究の到達を紹介したうえで、「いまの世界は新しい状況が発展しはじめた」とのべました。まず、植民地体制の崩壊です。これは、第二次世界大戦後の変化のいちばん大きな特徴の一つです。また、資本輸出が、いつでもどこでも経済侵略だとは単純にいえない段階になっています。したがって「独占資本主義国がすべて侵略主義、植民地主義の行動をできるかというと、そう簡単にはいかない。そういう時代に、ある国を帝国主義と呼ぶには、他民族にたいする侵略と抑圧の一連のまとまった行動と政策がなければならない」。

 不破さんは、これに関連して、党綱領が、独占資本主義ではあるが現状では日本を「帝国主義」とはみなしていないこと、つまり、この点では、「独占資本主義=帝国主義」という単純な立場には立ってこなかったことに注意を喚起。そして、アメリカの帝国主義はまぎれのないものだが、その「帝国主義的姿を明らかにして、アメリカ帝国主義論をきちんと根拠づけることが大事になっている」として、次のように語りました。

 「独占資本主義というのは独占欲がいちばんおう盛な体制だが、世界の力関係が変わるなかで現れ方はずいぶん違っている。その現れ方を具体的事実でとらえて告発すべきことを告発するという態度でいかないと世界の現実の見方にもならないし、私たちのいろんな規定が世間的説得力をもたないという時代になっている」

マルクスと友達になろう

 「不破さんが、マルクスやエンゲルスを友達のことのようにしゃべっているのが印象的でした」――受講者の率直な感想ですが、実は、ここに、古典を学ぶ上での大事なポイントがありました。

 不破さんは、「科学の目」をつかむうえで、マルクスらの古典を学ぶことが大事であり、書かれていることを絶対視するのではなく「歴史的に読む」のが大事だと強調しました。

 ただし、古典が書かれた当時の人ならすぐわかることでも、現代の人にはわからないこともあります。不破さんでも、学校で西洋史を教えられたことはなく、最初にマルクスを読んだときは難しかったとのこと。不破さんは、古典を「歴史的に読む」ためにも、最小限の歴史を知る必要があるとして、黒板に年表を書いて説明。ヘーゲル(一七七〇年生まれ)、エンゲルス(一八二〇年生まれ)、レーニン(一八七〇年生まれ)の年齢差が、ちょうど五十歳ずつであり、それを頭に入れておくとわかりやすいという話も披露しました。

 こうして、彼らがどんな時代に、どんな世界で、どんな気持ちで、どんな活動をして、どんな面白い話を残したのかを知っていけば、「友達」、「おなじみ」となり、古典もわかりやすくなります。

 「速く読む必要はない。たくさん読もうとあせる必要もない。時間をかけても、一つのものでも、しっかり読み取る。一回で全部読み取ることは不可能ですから、何回も読む。前に全然気づかなかったことを気づいたりします。そのつもりで読めば、古典になじみになれますよ」――不破さんのアドバイスです。

マルクス、エンゲルス、レーニン略年表

1770年 ヘーゲル生まれる
1776年 アメリカ「独立宣言」。世界初の主権在民宣言
  89年 フランス革命
1818年 マルクス生まれる
  20年 エンゲルス生まれる
  48年 「共産党宣言」
 48〜49年 フランス、ドイツ、オーストリアなどヨーロッパで革命起きる
  64年 第1インタナショナル(国際労働者協会)創立(72年まで活動76年解散)
  67年 『資本論』第1巻発行
  68年 日本で明治維新
  70年 レーニン生まれる
  71年 パリ・コミューン。最初の労働者革命
  83年 マルクス死去
  89年 第2インタナショナル創立(〜1914年)
  95年 エンゲルス死去
1914年 第1次世界大戦(〜18年)
  17年 ロシア革命
  19年 第3インタナショナル創立(〜43年)
  22年 日本共産党創立
  24年 レーニン死去


講義要項

  1. 党の綱領とは何か
  2. 戦前の日本社会と綱領問題(第一章)
  3. 戦後の日本情勢の変化(第二章)
  4. 「五〇年問題」
  5. 綱領路線の基本――情勢認識と戦略規定(第三章・第五章)
  6. 多数者革命(第五章・第六章)
  7. 世界情勢論(第四章)
  8. 社会主義への移行(第七章)

日本共産党綱領について

「世間はこの旗によってその党を判断する」

 日本共産党綱領は、一九六一年の第八回党大会で採択されました。今年で「満四十歳」です。

 不破さんは、「綱領とは何か」という問題で「二つの側面がある」とのべました。「わが党が活動する場合の方針の根本」であること、「日本の進路をわが党の立場でどう考えているかという、国民の前に掲げた党の旗」であることの二つです。他の党が綱領の問題を軽く扱っているのとは違い、日本共産党は、綱領をきわめて重要な意味をもつものとして扱っています。

 先輩たちもそうでした。エンゲルスは、一八七〇年代にドイツで党の綱領が問題になったとき、「綱領というものはつねに公然と打ちたてられた旗であって、世間はこの旗によってその党を判断します」と書いています。

 不破さんは、このエンゲルスの言葉を引きながら、党綱領路線が「四十年間の歴史の試練に耐え、その正確さにたいする確信は全党のものになっている」が、国民に「この旗」を読んで判断してもらうには「むずかしさをもっている」と指摘。「党の路線をきちんと守りながら、それをできる限りわかりやすく、綱領によっても国民に示す仕事をしたい」と語りました。

 熱のこもった不破さんの講義に、受講生の受け止めも積極的でした。

 「数千万の人々に見てもらい、判断してもらえる綱領に改定する仕事は急務だと思う。これは大事業だが、講義を聞いて、おもしろい胸おどる仕事でもあると思った」

「天皇制」とは。戦前・戦後どう変わった

 日本の侵略戦争や植民地支配の問題に、政党としてどういう態度をとるのかは、今日の熱い政治問題です。綱領は、日本共産党の戦前からのたたかいを記述していますが、そこで「カギ」になるのは「天皇制」の問題です。

 不破さんは、天皇の絶対的権力を定めた明治憲法、「主権在民」の主張を死刑の対象とした治安維持法、朝鮮にたいする植民地支配、どんな侵略戦争も天皇の命令で正当化されていたことなどを具体的に説明しました。とくに、いかに不法な手段で朝鮮植民地化を強行したのかにふれた不破さんのリアルな話に、受講者は「朝鮮支配の実態など衝撃的であった」と感想を記していました。

 天皇制に屈服した他の党とは違い、日本共産党は「天皇制の専制支配とたたかい、天皇制をたおし、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかってきた」(綱領)党です。

 不破さんは、これは「国民的な意義がある」と強調しました。日本共産党と多くの民主主義者の戦前の活動があったからこそ、ポツダム宣言に示された民主主義と平和の方向を、「外国からおしつけられたもの」ではなく、日本社会の発展の中から生み出されたものだということができます。

 日本は、戦後、主権在君の専制的な政治体制=絶対主義的天皇制から、主権在民の民主的な体制に変わりました。天皇は「国政に関する権能を有しない」存在となりました(日本国憲法第四条)。不破さんは、これに対応した日本共産党の綱領的立場を次のように語りました。

 「憲法が決まった後、わが党は天皇制の打倒という戦前の目標をかかげたことはありません。戦前は、天皇制は権力の文字通り中心で、進歩的なことをしようと思ったら、天皇制の打倒は避けることのできない中心課題でした。しかし、戦後の日本では、いまの天皇制があったら日本改革はできないというものではありません。綱領でも、将来は君主制の廃止をいっていますが、当面の行動綱領ではこの憲法の条項をきちんと守れということを、われわれの要求にしています」

「50年問題」に先立つスターリンの遠謀

 不破さんは、「五〇年問題」に関連して、「私たちの文書では紹介するのが初めて」という新資料をつかって、スターリンらの干渉の根深さを説明しました。

 その資料とは、スターリンが、中国共産党代表団(劉少奇団長)と一九四九年七月にひそかに会った際におこなった「提案」です(中国側の通訳の回想記による)。

 内容は、世界の革命運動への「援助」を中ソで「分業」し、植民地・半植民地・従属国の運動を中国革命型にするよう、中国が主にその方面を担当することを取り決めたもの。これが、その後の、日本やインドなどアジア諸国にたいするソ連・中国共同しての干渉の出発点になりました。

 つまり、「五〇年問題」では、一九五〇年一月のコミンフォルムによる日本共産党批判が干渉の出発点と見られてきましたが、実は、それ以前からのスターリンらの遠謀の具体化だったということです。日本への中国型武装闘争方針押しつけの第一歩であり、野坂参三を名指ししつつも、実際はソ連の「秘密代理人」である野坂を叱咤(しった)激励するものでした。

 野坂らは、これに呼応し、日本共産党の中央委員会を破壊。中国に亡命して、分派組織の「北京機関」をつくり、ソ連・中国いいなりの誤った方針を日本国内に流してきました。

 不破さんは、これを「分派的な乗っ取り」だったときびしく批判。こうしたものは「日本共産党の決定でも方針でもない」ことを明確にしました。そして、一九五五年の第六回全国協議会の決議は「干渉と分裂の破産宣言」であって、党の正常な決議とはいえないものだと指摘、そこから「日本共産党の独自な自主的な『五〇年問題』の総括が始まり」、第七回党大会(五八年)、第八回党大会で「『五〇年問題』の総括と新しい方針の確定がされた」とのべました。

「利潤第一主義」をのりこえて

 「資本主義の自由勝手、利潤第一主義にまかせておいたのではどうにも解決がつかない難問がいま地球の上に渦巻いていて、それを解決できないと経済体制がどうなるかわからないところまできている」――不破さんは、こうのべて、今日の資本主義の矛盾を告発しました。

 例えば、大量失業、不況・恐慌は、世界を揺るがす大問題ですが、解決策はありません。かつて、国家の力・公共事業で市場をつくりだし、雇用を増やすケインズ経済学がもてはやされた時代もありましたが、もはや“崩壊状態”です。地球温暖化やオゾン層の破壊など、環境問題が地球的規模で深刻になっています。

 不破さんは、「環境問題の解決一つをとって考えても、そのためには、民主的規制を、どの国でも本式にやり、世界的に調整しないといけない。ある意味では計画経済に踏み込まないと、こうした問題が解決できない世界になっている」として、「二十一世紀の地球の上には、利潤第一主義をのりこえて社会主義にすすんでいく、そこまで市場経済の規制をさらに新しい段階にふみこんでいく、そういうことが世界的に必要になる時代が必ずくる」とのべました。

 もちろん、日本共産党が展望する社会主義とは、第二十二回党大会が明確にしたように、三つの特質をもつものです。――(1)ソ連型の政治・経済・社会体制による人間への暴圧をけっして許さない(2)資本主義の時代にきずかれた価値ある成果をすべて引き継ぎ、発展させる(3)利潤第一主義をのりこえ、「人による人のいっさいの搾取が根絶」(綱領)される。

 不破さんは、「私たちが綱領で社会主義への展望を語るのは、日本だけを孤立してとりだしての話ではない。世界の動きのなかで、一波が万波を呼ぶという形で、新しい運動をめざすに違いない。そういう時代に二十一世紀はなるだろうということが、私たちの大きな展望です」とのべて、綱領の講義を結びました。

先輩はおもしろい研究課題を残してくれた…

 不破さんは、科学的社会主義と党綱領の二つの講義を二日間かけておこなったあと、三日目の補講で、質問にていねいに答えました。

 受講生には、地方党機関で学習・教育を担当している人も多く、不破さんの講義の新しい組みたてに注目し、科学的社会主義の講義によく使われる『空想から科学へ』をテキストにしなかったのはなぜか、という質問もありました。

 不破さんは、以前は自分自身『空想から科学へ』をテキストに使ったこともあるが、『反デューリング論』を抜粋して作ったものだけに、この本にも「限界がある」と指摘。たとえばこの本の経済学の部分は『資本論』の蓄積論に対応するもので、価値論の基礎から勉強しようというときには間に合わない、今回は、世界観や経済学などそれぞれの問題にもっとも適切な古典を選び、古典への案内図をつくるつもりで話した、と答えました。

 一方、「市場経済に関する古典は?」という質問には「あまりないんです」というのが答え。

 マルクスやエンゲルスでは、資本主義の基礎としての市場経済の研究が中心で、未来社会やそれへの過渡期に市場経済がいつまで、また、どれだけ必要になるかという問題提起はほとんどありません。ただ、『資本論』には、「共産主義になっても価値規定は残る」という言葉があります。

 こうしたことを説明した不破さんは、「市場経済の効用論を真正面から取り上げた古典はありません。先輩たちは、私たち後代のものに、おもしろい研究課題を残してくれました。未来社会論として研究する値打ちのある分野がたくさんあります」とのべました。

 また、「弁証法的なものの見方をつかむ訓練は?」という質問への答えの中で、不破さんは、「日常の活動がみなその訓練になる」ことを自治体選挙の例をあげて説明。私たちの宣伝は、首長選挙の場合には悪政の追及が中心、議員選挙の場合には政治をいかによくしたかという実績中心になりがちなものだが、その地方の政治を両面からきちんととらえてこそ、有権者の心をとらえる訴えができると、ものごとを多面的に見ることの重要性を説きました。

 そして、「いろいろな活動で失敗したりすると、『一面的だった』と反省することがよくあるものだが、あとでこうした反省をしないですむように、ものごとに取り組む最初から多面的に見る、全面的に見るという訓練をしてほしい」とのべました。選挙の候補者になっている受講者もおり、理論的かつ実践的な回答に、みんな真剣にメモをとっていました。


【取材メモ】記者も、受講生の一人として講義をうけました。不破さんの講義は、高度な内容でも大変わかりやすく、楽しい時間を過ごすことができました。

 マルクスやエンゲルス、レーニンなどの古典の抜粋が資料として渡され、講義のなかで不破さんが、かみくだくように読み解いてくれました。自分で読むときには行きつ戻りつしているのですが、スーッと論理の流れがわかり、文字どおり「つかえが下りる」ような感じがしました。

 不破夫人・七加子さんの話によると、不破さんは、講義資料の古典の抜粋を一つ一つ吟味し、わかりやすく、正確なものにするため、文章のわかりにくいところは、自分で翻訳し直す作業までしたとのこと。そこまで準備をして講義をされたのかと、驚き、感激しました。

(庄子)

 


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