日本共産党

日本共産党創立80周年記念講演会

二つの世紀と日本共産党〈下〉

中央委員会議長 不破哲三

二つの世紀と日本共産党〈上〉


二十一世紀──日本共産党は、どんな目標と展望をもって活動するか

二十一世紀はどんな時代となるか

 つぎに二十一世紀であります。私たちが生活し、活動する二十一世紀はどんな時代になるでしょうか。まずこの問題から考えたいと思います。

 私たちは二十一世紀はまだ一年半ほどしか経験していませんが、世界と日本の大きな方向性はかなり見えてきたようであります。

資本主義社会の存続の是非が問われる時代

 マルクスにちょっと返りますけれども、マルクスは、私たちが生きている資本主義の世界を「科学の目」で最初に分析した先輩でした。そして資本主義の社会というものが、人間社会の自然の姿でも永遠の形態でもない、人類の歴史のなかの一つの段階で、やがて人間社会のより高い段階――社会主義、共産主義の段階に移ってゆく必然性を持っている、このことを「科学の目」で明らかにしたのであります。

 マルクスが資本主義がつぎの社会に交代すると考えた根拠は、この体制がだんだん力を失って衰えてしまう、そういうことを見通したからではないのです。逆です。資本主義というのは「生産のための生産」、生産の無制限な拡大を旗印にしてどこまでも突き進む本性を持っています。それが搾取社会である資本主義の狭い枠組みとぶつかって、どうしてもこの枠の中では手に負えないところまでくる。マルクスは、その必然性を、『資本論』という本のなかで見極めたのでした。

 そして十九世紀から二十世紀のはじめにかけて、マルクスもエンゲルスもレーニンも、資本主義の矛盾・衝突がだいたい限度にきた、この社会の耐用年数のきれる時期が迫った、と考えたものでした。ただ、いくら「科学の目」を持った彼らでも、この予見はあたらなかったのです。二十世紀の帝国主義の時代に、資本主義はさらに巨大な発展をとげました。

 しかし、二十一世紀には、私ははっきりいって、地球は資本主義のままでこの世紀をやっていけるかどうか、資本主義の存続の是非を問われる時代がきたことを痛感しています。(拍手)

 私は、去年の秋の「赤旗まつり」で地球環境の問題を中心に話しました。オゾン層の破壊の問題、地球温暖化の問題、これはすべて生産の無制限の拡大に熱中する資本主義が生み出している危険で、文字通り地球の管理能力が問われる段階に入っています。

 それに加えて、現代の世界には、世界的規模での恐慌・不況のくりかえしの問題、アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカ、地球人口の大半の人々の運命がかかっている南北問題、などなどがあります。

 それらのすべてが、二十一世紀は資本主義の存続の是非が問われる重大な段階に入りつつあることを示している、と思います。

 これは実は、私だけの勝手な予告ではないのです。経済学の世界でも、マルクスの「資本主義論」に対抗して発展してきた、いわゆる近代経済学という経済学の流れがあります。この立場に立つ経済学者の中からも、二十一世紀を迎えた資本主義の危機についての危機感がいろんな形で表明されています。

 たとえば先月発行された日本の近代経済学者の一人の方の本があります。この方は本の中で、私は終始一貫近代経済学の立場に立ってきた、しかもかなり強硬な近代経済学派だなどと自己紹介している方ですが、そういう方でも、資本主義の現状をみると、たいへんな危機感を持っている、そのことがページの間にうかがえるのです。

 この人にいわせますと、資本主義には四つの無理がある。まず「搾取」の無理。これが無理だとなると資本主義が成り立たないんですけれど(笑い)。つぎに「過労死」の無理、「帝国主義的侵略」の無理、「地球環境破壊」の無理とつづきます。

 資本主義のこれらの無理を正面から批判してきたマルクスの流れをくむ主張や運動があったり、あるいは資本主義に対抗する体制がその実態は別としてともかく世界に存在していたり、そういうことでともかくこれらの無理がある程度抑えられてきた。ところが、ソ連が解体して目に見える競争相手がなくなって以後、アメリカを中心に資本主義の悪い面がむき出しにあらわれても、だれも文句をいわないでそれが黙認されるようになった、たいへんな時代だ、その思いが、この本の全体にみなぎっていました。

 この方は、最後に“私自身、もはや経済学に失望しているのが正直なところ”と、そこまで語っていました。危機感はなかなかなものであります。

世界を変えるどんな力が働くのか

 そういうと、世界はそんなふうには見えないではないか、現にアメリカ覇権主義は猛威を振るっているではないか、そういう方がおられるかもしれません。

 たしかに世界政治のいまの動きをみますと、アメリカが世界を意のままに動かそうという危険な野望を膨らましていることが目立ちます。京都議定書であろうが、国連憲章の規定であろうが、自分の気に入らないものは、国際社会で決まったものであっても認めない。こういうごう慢不〓(ふそん)な態度がいたるところに噴き出ています。これは一つの現実であります。

 しかし、こういう現実が一方にあると同時に、いまの世界はどんな超大国であろうと、一国が自由勝手に動かせる世界ではなくなっていること、これも一つの、そしてより大きな意味を持つ現実であります。

 サッカーのワールドカップは、サッカーの世界でも、ヨーロッパだけが世界の中心ではない、文字通り、五大陸のすべてが活躍する全地球型へ大きく変化していることを、具体的な姿で示したではありませんか(拍手)。私はこれは、二十一世紀の世界の変化とその方向を象徴するものといっていいと思います。

 二十一世紀には世界を前向きに動かす大きな力が、必ず働きます。

 その一つは、アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの動きです。ここに存在する国ぐには、百年前には世界政治の仲間入りが認められていませんでした。しかしいまや、政治的独立をかちとって、国際的な大きな政治勢力に発展しています。しかも資本主義が、地球人口の大多数を占める自分たちに、将来を開く力を持っていないことを、実際の経験を通じていやというほど実感しています。

 「ポスト資本主義」、資本主義のあとの時代を求める声が、この世界のあちらこちらから聞かれます。そういう声のすべてが、単純に社会主義にむかう世界史の流れと結びつくものではありませんが、この流れが二十一世紀を動かす大きな力の一つとなることは間違いないと思います。(大きな拍手)

 二番目に、ソ連は解体しましたが、レーニンの名前と結びついた社会主義の事業が消え去ったわけではありません。

 中国、ベトナム、キューバなど、社会主義をめざす新しい事業にとりくんでいる国ぐにが、現に存在しています。これらの国ぐにがいまかかげている、「市場経済を通じて社会主義へ」という方針は、かつてレーニンが提起し、スターリンが捨て去ったものであります。これは、だれも最後まで歩き抜いたことがない新しい挑戦であるだけに、その前途にははかりしれない困難があるでしょうが、この挑戦の成果が二十一世紀の世界の流れに必ず大きな影響を与えるであろうこと、私はこのこともまた間違いないと考えています。(大きな拍手)

 最後に、資本主義の是非を問う根源である発達した資本主義の国ぐにであります。ここには、さまざまな流れが渦巻く、政治経済の複雑な現実があります。

 二十一世紀が資本主義の存続の是非が問われる世紀だとしたら、多くの曲折はあるとしても、発達した資本主義国での社会進歩の運動が、二十世紀を大きく超える水準と規模で、世界史の推進力の一つになるであろうこと、これも疑いない現実であります。私たちはその立場で、二十一世紀を大きく展望するものであります。(拍手)

二十一世紀に社会進歩をめざす党として

日本共産党は、日本の社会進歩の道をこう考えている

 そういうなかでいま、日本が自民党政治のもとで落ちこんでいる状態はとりわけ深刻であります。それだけに日本共産党の果たすべき役割もとりわけ大きくなっています。

 日本の状態を話す前に、まず、日本の社会進歩をめざす私たちの道筋について話したいと思います。

 社会の発展というものは、段階的におこなわれるものです。だれかが希望したからといって、一挙に一足飛びにおこなわれるものではない。これが私たちの考え方の基本です。ましてや現在は、「国民が主人公」というのが政治の大原則であります。どんな改革も、国民の間で条件が熟し、機も熟したときに、国民多数の合意と納得のもとで、初めて実現される。こういう一歩一歩の段階的な前進が、社会進歩の歴史を築いてゆくのであります。

 私たちは、四十年前に党の綱領を決めるときに、こういう考え方を明らかにしました。そのとき、社会主義をいますぐの目標にしろという声も、党の一部にありました。しかし、そうではない。民主主義の革命こそが、いま日本社会が必要として、しかも国民多数の利益にかなう改革だということを、綱領の方針としてそのとき決定したのであります。

 これは、革命論の用語で表現していますが、内容をいえば、日本が事実上の従属国の立場から抜け出して国の主権・独立を確保すること、それからまた、政治・経済の民主主義の徹底をはかること、つまり、社会主義的な改革、変革ではなく、「資本主義の枠内での民主的な改革」が、日本における社会進歩の当面の中心課題だということを、明らかにした方針でした。

 六〇年代以来の日本の政治史は、一方には、大企業の利潤第一主義とアメリカ追随の軍事・外交、これを二つの柱にした自民党政治の流れがある、他方には、日本共産党が主張する、そこから抜け出して国民本位の改革をめざそうとする流れがある、この二つの流れの対決を軸にして、日本の政治が展開されてきたと言ってもいいと思います。

 いま私たちは、「日本改革」という提案をおこなっておりますが、これは、党綱領の「民主的改革」論を、日本の現実と切り結びながら、また国民との対話を発展させながら、この四十年間の活動を通じて具体化し、展開してきたものであります。

民主的改革の流れと自民党政治との対決は、ここまで来ている

 そして、大事なことは、二十一世紀を迎えたいま、自民党政治の行き詰まりと破たんが、だれの目にも明らかになってきたという点であります。

 世界の資本主義の全体が、さきほどいいましたように矛盾を深めています。しかし、日本の落ちこんだ現状のひどさは別格であります。

 先日、アメリカの世界的な格付け機関である「ムーディーズ」が、日本の国債の格付けをぐーんと下げたというので、政府筋や自民党筋がたいへん怒りました。しかし、日本経済の実態は、そういう判定をされても文句が言えない、異常な実態にあります。

 “ルールなき資本主義”のもとで、国民生活はひどい目にあっています。政官財にわたる腐敗現象も極端な状況におちいっています。しかし、それだけではない。日本経済の骨組みをとっても、その異常さはあまりにも鮮明ではありませんか。

 だいたい、世界からみて、その国の経済政策が健全か不健全かをはかる場合、最大のものさしになるのは、財政がどうなっているか、金融がどうなっているかであります。

 日本の財政は、今年度末の借金(長期債務残高)が、国と地方をあわせて六百九十三兆円と予定されています。国内総生産の140%です。欧米諸国はだいたい50%から60%が普通のことで、主だった国で、財政破たんがここまでひどくなったという国は、世界のどこにもないのです。

 日本の金融はどうでしょうか。政府は不良債権処理の問題ばかりをいいますが、実は大事な問題がほかにもあるんです。超低金利政策であります。公定歩合が1%を割るという超低金利が七年も続いている。いまは0・1%です。これも、資本主義の世界では前代未聞のことであります。

 二十世紀の歴史をふりかえっても、公定歩合が1%を割ったという国は、現在の日本以外に一つもないそうです。しかも、0・1%というのは、文字通りの極限状況です。政府は当たり前みたいな顔をしていますが、いまでもヨーロッパ・ユーロ圏では3・25%、イギリス4%、アメリカ1・25%、お隣の韓国2・50%――0・1%などというひどい状態はどこにもないのです。

 経済を立て直すといっても、そのためのいちばん大事な手段は財政と金融でしょう。この財政と金融が二つながら、異様な、とんでもないところまで落ちこんでいて、機能不全の状態にあるのです。

 まさに、ここに自民党政治の帰結があるのであって、自民党政治から抜け出して、国民の立場で根本的な立て直しが必要なことは、明白ではありませんか。(拍手)

 外交では、世界政治のなかでの日本の外交の存在感はゼロです。これで二十一世紀の世界に耐えられるかが問題になっています。

 私はさきほど、アジア諸国の方々と、この間にさまざまな対話、交流をしてきたと申しましたが、そのなかで、日本の外交について共通して多くの方から指摘される欠陥、弱点があります。

 一つは、政権勢力の間に、アジア諸国にたいする侵略戦争や植民地支配にたいする真剣な反省がまったくないこと。

 二つは、アメリカの言い分をうのみにするだけで、日本独自の外交路線を持たないこと。

 三つは、どんな問題にたいしても、軍事の対応を中心に考える戦争型で、平和的関係をいかに築くかという平和的戦略を持たないこと。

 この三つであります。

 まさに、日本の外交の急所をついたものではないでしょうか。(拍手)

 この体たらくをそのままにして、アジア諸国との間に、本当の友情と信頼の関係をうちたてることはできません。ことは緊急であります。ことの根源は安保条約という、軍事同盟中心の体制にありますが、安保条約の解消・廃棄について国民多数の合意ができる前にでも、日本の外交の自主的な転換をはかり、世界に平和外交の存在感を取り戻すことは、急務であります。(拍手)

 私は、私たち自身の野党外交の経験からも、自主・平和の外交路線にふみだしてこそ、アジアと世界で、他国からの信頼と尊敬に値する、国際的な立場を確立することができることを、強く訴えるものであります。(拍手)

 自民党政治の流れと、わが党が呼びかけてきた民主的改革の流れとの対決は、ここまできています。経済の面から見ても、外交の面から見ても、日本の状況は、口先だけの「改革」ではなく、自民党政治の誤りの根源を突いた、本当の改革を求めています。この改革は、自民党政治の枠内ではもちろん、多少の手直しで実現できるものでは決してありません。

 だからこそ、「日本改革」であります。二十一世紀の早い時期に日本改革の実現への道を切り開くために、力を注ごうではありませんか。(拍手)

 「日本改革」が実現することは、日本の政治、経済、外交のすべてに、新しい国民的な活力を与え、新しい未来への展望を開くものになるでしょう。

二十一世紀に生きる私たちの未来社会論

 さらにいえば、私たちは、当面の「日本改革」の方針と同時に、激動の世紀の未来展望についても、明確な立場を明らかにしています。一昨年の第二十二回党大会は、私たちの社会主義論・共産主義論、未来社会論を、三つの角度から特徴づけました。

 その第一は、未来を語るためには、旧ソ連の政治、経済、社会体制にたいするきっぱりとした告発、あの社会は、社会主義とは縁のない、人間抑圧型の社会だったという認識と、その告発が大事だということであります。世界には、一部にまだ、旧ソ連社会をともかく「社会主義」の部類に数え上げる、“腐っても鯛(たい)”型のソ連論が残っています。しかし、これは、人間の解放、人間が主人公の社会をめざすという社会主義の精神を見失った見方であります。「社会主義」というニセの看板で、人間抑圧を特徴とするあのような体制の再現を許すことは、絶対にあってはならないことであります。(拍手)

 第二は、われわれのめざす社会主義は、社会生活の全体にわたって、人類が資本主義の時代にかちとったすべての価値ある成果を受け継ぎ発展させるものだという立場であります。

 私たちは、このことを、ソ連が崩壊してから、あわてて言い訳的に言いだしたものではありません。ソ連が「われわれこそは、発達した社会主義の国だ」と自慢していた時代、国際的にも超大国の一つとして、世界でわがもの顔にふるまっていた時代から、わが党はこの立場を明確にし、とくに一九七六年、いまから二十六年前の党大会(第十三回臨時党大会)では、「自由と民主主義の宣言」を発表して、民主主義と自由の全面的で本格的な発展にこそ、マルクス・エンゲルス以来の社会主義の本来の姿があるということを、内外に明らかにしました。

 そのなかでは、いろいろなことをうたいましたが、複数政党の存在と選挙による政権交代の制度、あるいは、市場経済での商品選択の自由、さらには、特定の世界観を特別扱いしない等々、この「宣言」にうたわれた自由と民主主義の条項の一つひとつが、客観的には、ソ連型の体制にたいするきびしい告発となっていたものであります。

 もちろん、社会の発展の道というのは、そのたどる道筋の面でも、つくりあげる体制の面でも、世界それぞれの国で、多種多様なものであります。

 しかし、私たちは、二十一世紀の世界の動きのなかでは、社会進歩と自由・民主主義の発展とを結びつけるというこの世界的な流れに、やがては、各国の発展が大きく合流してゆくであろうことを、確信とするものであります。(拍手)

 第三に、利潤第一主義を乗り越え、人間による人間の搾取をなくすという目標であります。

 さきほど、私は、現代の世界が直面している困難のいくつかをあげましたが、どれも、困難のおおもとには、利潤第一主義の横行があります。

 大企業中心のルールなしの経済活動が、紫外線から人間と生命を守るオゾン層とか、地球の気候をほどほどに保障する二酸化炭素の量の少ない大気の構成とか、いわば「生命維持装置」といわれるものを壊してきたではありませんか。さらには、それを何とか防ぎとめようとする運動、京都議定書などの緊急対応策への最大の障害となっているのも、大企業中心の無法な経済活動ではありませんか。ここに、この問題のなによりの実証があります。

 だいたいみなさん、“カネがすべて”とか、個々の企業の利潤追求が政治や経済を動かす第一の原動力になって当たり前とか、こういうことは、人間社会に共通の特質ではありません。人類の長い歴史の中で、何よりも資本主義社会の特質であります。人間が文明をもってからの世界では数千年の歴史のなかで、その資本主義の時代はわずか数百年であります。日本では、さらに短く、明治維新以後百数十年ほどの時代の特徴にすぎません。

 その資本主義がこのままで地球を管理できるのか、「地球管理能力」までが問われるようになってきた時代に、人間がより合理的な社会、人間が主人公の体制により大きく近づく社会を探求するのは、当然のことではないでしょうか。(拍手)

 昨年十一月、韓国で開かれた日本・韓国・中国の三国の知識人の「北東アジア会議」が、「ポスト資本主義の加速」、つまり資本主義のあとの時代への動きが早まるだろうということを、二十一世紀の特質の一つにあげました。この言葉にもあるように、利潤第一主義を乗り越える社会の探求は、文字通り、二十一世紀の全世界的な課題だといえるでしょう。

 私たちは、二十世紀の歴史の経験も深くふまえ、このような大きな展望と志をもって、この二十一世紀に、日本と世界の社会進歩の事業にとりくむつもりであります。

壮大で着実な前進をめざして

 いま、八十周年にあたって、わが党の過去、現在、未来のいくつかの問題について考えてきました。

 八十年前に先輩たちが日本共産党をつくった時には、この党は、最初の一年間に参加した党員が全部で百人を超える程度という、文字通り少数の先覚者の集団でした。しかも、その若い小さい集団が、誕生したそのときから、言語に絶する攻撃、迫害、弾圧にさらされました。そこでともした灯は小さかったが、民主主義の日本、平和の日本への転換という戦後の大転換の方向をさし示したのは、八十年前にかかげられた主権在民の民主政治、侵略戦争反対の平和政治という、この民主主義と平和の灯そのものでした。

 戦前はもちろん、戦後の日本社会でも、日本共産党は多くの嵐に直面し、逆風も経験しました。しかし、党の創立以来八十年、日本共産党は、二十世紀の奮闘が生み出した豊かな成果をもって、激動と変革の世紀、二十一世紀を迎えることができました。

 日本に民主的な政権をうちたて、「国民が主人公」の社会をつくるという私たちの事業からいえば、まだまだ第一歩ですが、私たちは、発達した資本主義国で最大の党勢力を持つといわれるところまで、前進してきました。

 私たちは、自民党政治の行き詰まりがいたるところに危機と矛盾を噴き出させている情勢の中で、国民とともに切り開くべき日本の進路を示す、党綱領の路線を持っています。

 私たちはさらに、「科学の目」で二十一世紀の日本と世界の前途を大きく展望した、確固とした社会主義論を持っています。

 このことは私たちに、さらに大きな責任を課するものであります。八十年の党史の到達点ともいうべきこれらの成果を思う存分に生かして、この世紀に私たちの事業の大発展をかちとろうではありませんか。(大きな拍手)

 この事業にとりくむには、壮大な志が大事であります。同時に、どんなに壮大な事業も、日常の努力の着実な無数の積み重ねによって実現するものであります。

 さきほど、発達した資本主義国で最大の党勢力を持つようになったというわが党の到達点を強調しましたが、これはまさに、全国の党員、後援会員、党支持者のみなさんの、日常不断のこつこつとした、粘り強い努力の集大成として実現されたものでした。昨年来の「大運動」(「党員・読者拡大の大運動」)の成果はそのなによりの表れであります。

 私は一昨年、二十一世紀の前夜の年の記念講演で、「人間は自分の歴史を自分でつくる」という言葉を引き、二十一世紀の日本の新しい歴史は日本の国民が自分でつくるということを強調しました。

 今年は、いよいよ二十一世紀本番の年の創立記念の集まりであります。二十世紀の二〇年代に誕生した日本共産党の八十年の歴史には、「国民が主人公」の信条のもと、国民一人ひとりが幸せになる社会の実現を願い、ひたすらその力をつくした多くの先輩・同志たちの奮闘が刻み付けられています。

 その歴史に思いをはせ、先輩たちの願いと希望をしっかりと受け継ぎながら、二十一世紀の新しい諸条件をふまえ、日本共産党の新たな発展の時代――そして、「国民が主人公」の原則が花開き実を結ぶ時代を、お互いの知恵と力をつくして、意気高く切り開こうではありませんか。(拍手)

 これをもって、記念講演を終わります。

 どうも、ご清聴ありがとうございました。(大きな拍手)

(2002年7月12日(金)「しんぶん赤旗」に掲載)


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