1998年4月20・21日

日本共産党第2回中央委員会総会

不破委員長の幹部会報告(その1)

 四月二十、二十一の両日にひらかれた日本共産党第二回中央委員会総会で不破哲三委員長がおこなった幹部会報告(その1)はつぎのとおりです。


 みなさん、おはようございます。

 この報告は、全国の同志たちが衛星通信でみておりますので、それをみているみなさんにもごあいさつを申しあげます。

 この中央委員会の主題は、参議院選挙にむかっていかにして躍進をかちとるか、この問題であります。

一、情勢発展の特徴──「自共対決」を軸とした激動

(1)党大会決定を実証した半年間

 まず、参議院選挙を二カ月余り前にした今日の情勢ですが、一口でいいますと、第二十一回党大会の情勢の見方が、この半年間にみごとに証明されるなかで現在をむかえているというところに、大きな特徴があると思います。

 党大会は、情勢をどうみていたか。かいつまんでいいますと、第一に、「日本共産党の新しい躍進の時代」がきりひらかれつつあることを、確認しました。第二に、自民党政治がゆきづまりと破たんをあらわにしていて、「この路線のままでは支配政党であっても舵(かじ)取りのしようがない、難破船のような危機に日本をおいやっている」ことも、あきらかにしました。第三に、そういう状況のもとで、「“自共対決”こそ、日本の政治対決の主軸である」という立場も、明確にしました。第四に、それらの発展的な結論として、「二十一世紀の早い時期に、民主的改革を実行する民主的政権をめざすべき国民的な必然性がある」、これが大会の重要な結論でした。

日本共産党の躍進の流れが続く

 実際、「日本共産党の新しい躍進の時代」という第一の確認は、大会後の一連の選挙の前進でも確証されました。  最近の選挙ではまず、東京四区(大田区の一部)の衆議院補選と京都知事選、その結果が呼び起こした政治的反響が、注目すべきものであります。

 どちらも勝利にはいたりませんでしたけれども、東京四区では、マスコミの一般の最初の予想では、これは「自民党対民友連」、つまり新「民主党」との対決が主軸だということが非常につよく書かれました。しかし、選挙結果をみてマスコミは、「野党の立場を貫いてきた共産党の健闘」が「反自民・非自民の有権者の受け皿としての存在感を示した」、「自共対決を前面に」おしだして「存在感をアピールした」などの評価をこもごも書きたてました。

 京都の知事選も、二十年前の蜷川前知事の退陣以来の最高の四〇%をこえる得票率をえて、地元の新聞は、自民党には「選挙に勝った明るさはなかった」、共産党は「得票数の大幅増で勢い」など、選挙の勝ち負けとはちがった、一方は後退、一方は前進という流れを強調しました。

 どちらも、選挙の結果に、きたるべき参議院選挙の動向をうらなう大きな流れがあらわれていることが、共通して指摘されました。

 この間に中間選挙も多くありましたが、わが党は大会後の半年間に四十七議席の増でした。同時期の各党の議席の増減をみますと、自民党が三十八議席増です。ここには、これまで無党派でたっていた自民党系の議員が自民党の名乗りをあげたというものがかなりふくまれているようです。公明は三議席増、民主党は十九議席の増、社民党五十八議席の減で、ここでも、わが党の前進の勢いがしめされています。なかでも三月の高知市区での県議補選は、定数二の選挙で、わが党の候補がトップで当選し、二議席独占をねらった自民党が共倒れをするという結果がでて、大きな反響を呼びました。政令都市では、大阪市の西淀川区の補選があり、定数一、文字どおり自共対決の一騎打ちの選挙で、わが党の候補が五七%の得票をえて当選するという成果をえました。「自共対決」の足取りが明りょうにしめされたわけであります。

 革新自治体も増加しましたが、そのなかで、わが党が単独与党という自治体は、大会時の六十六自治体から七十五自治体に前進しました。なかでも党員首長は、兵庫県の黒田庄町(ことし二月)、長野の木曽福島町(同三月)と二人増えて、七人になりました。党員首長は、四年前には南光町一町でしたから、四年間に一町から七市町村にひろがったことになります。

 そして、特徴的なことは、黒田庄町でも定数十四のうちわが党の議員は一人です。木曽福島町では、定数十八のうちわが党の議席は二でしたが、その一人が立候補して町長になりましたので現在は一人です。つまり、これらの町は、日本共産党が特別に大きな比重をもっているわけではない、その点でずばぬけた地位にあるわけではない、いわばごく普通の町ですが、こういうところで、わが党と保守あるいは革新の無党派の方がたが連合して、流れの大きな変化が生まれる、こういう前進があいついでいるのも、大きな特徴であります。

 党大会は、総選挙と東京都議選で「日本共産党の新しい躍進の時代」がきりひらかれたことを確認しましたが、その流れがいよいよ鮮明な形でこの半年間進行してきたことは、明りょうであります。

「海図」なき自民党政治

 第二の、「自民党政治のゆきづまりと破たん」ということでも、これはわが党だけの認識ではなく、いまや内外の共通の広範な認識になってきたというのが、この半年間の特徴であります。

 自民党政府が最新の景気対策を発表しましたとき、ある新聞が、「海図なき景気対策」という大見出しで論評をくわえました。つまり、不景気の荒海にたちむかうなかで、海図もなければ、どうとおったらこの荒海をのりきれるのかという針路図もない、まったくゆきあたりばったりで展望もないまま右へいったり左へいったりしている、こういう批判です。こういう見方は、いまや国民的な常識になっています。

 「“自共対決”こそ、日本の政治対決の主軸」という大会の確認についても、最近では、自民党の幹部自身が、わが党の大会決定をいろいろな形で追認しています。先ほどの東京四区の衆議院補選のときには、自民党の幹事長が選挙結果について感想をきかれて、「自共対決の足音が聞こえ始めたと感じている」とのべました。「自由新報」の紙上に登場したある与党の幹部は、共産党以外の「日本の政党に軸がない」、つまり、どんな社会、どんな日本をつくってゆくのかという軸をもっている党は、日本共産党以外にない、とのべています。ですから、昨日もおこなわれましたが、テレビで自共論争を政治対決の主軸にすえる企画をしても、あまり不思議に思われない。そういうこともいわば自然におこなわれる。これは戦後の政治史で前例のないことであります。そういう変化が、非常に劇的に進行しています。

 まさに、党大会が結論づけた、二十一世紀の早い時期に民主的政権をめざすという目標が、きわめて現実的な目標であること、それにむかっての客観的な情勢が一歩一歩きずかれつつあること、そのことを痛感できたこの半年間だったと思います。

 こういう変化はもちろん淡々とすすむわけではないし、大会時の分析がいっそう色濃くあらわれたというだけでなく、そのなかには新たな変化が生まれています。私たちが、参議院選挙を前に今日の情勢を分析するとき、そこにどのような新たな変化があらわれているのかということにしっかり目をむける必要があると思います。そのいくつかについて、のべたいと思います。

(2)政治不信の根底に国民的な生活危機がある

 まずのべたいのは、自民党政治にたいする国民の批判と怒りはますますひろがっていますが、国民の批判の意味と性質が変わってきていることに、新たな真剣な注目をむける必要があるということです。

あるジャーナリストの感想から

 最近、ある有力なジャーナリストから党中央に寄せられた感想・意見のなかに、今日の情勢についてのこういう分析がありました。  「政治不信の意味合いが大きくちがってきた。以前は、経済と生活にまだ余裕と豊かさのあるなかでの政治不信だった。ところがいま国民が直面しているのは、消費税が上がり、医療費がかさみ、年金がもらえない、賃金も上がらなければ、失業がとてつもなく増え、働こうにも仕事がない。中小企業は倒産し、商店街はつぎつぎと消滅している。しかもこの生活と経済の状態が、少しでもよくなっていくという見とおしがない。その状況のなかでの政治不信であって、それは、たんなる政治不信という言葉ではくくれない内容と意味をもっている」

 こういう感想でした。

 これに、いま、米価の大暴落のなかで農業と農民経営がうけている危機的な状況をつけくわえれば、だいたいいまの日本の大まかな経済地図ができあがると思います。

 ジャーナリストのこの指摘は、まったく核心をついたものだと思います。つまり、生活にある程度のゆとりがあるなかで、国民が、政治はえらいばかなことをしているなという不信から、そのばかなことをしている政治が、自分たちの生活の根底をおびやかしていて、政治をなんとかしなければどうにもならないという不信に変わる基盤がひろがっているということです。このジャーナリストが、「政治不信」、政治離れという言葉ではくくれない内容だというのは、その意味だと思います。

 実際、一部の特権的な立場にある人びとをのぞいて、国民諸階層のすべてが、生活と営業の危機に直面しているのが、現在であります。そのなかで、これまで長いあいだ、自民党の政治的・社会的な地盤とまわりからもみられていた諸層のなかにも、自民党の大きな政治的な崩れが起きています。それが、無党派層の新たなひろがりとなっているのですが、この無党派層は、ただ政治に背をむけるということではなく、この生活のくずれ、営業の危機をどうして打開したらよいかということを真剣にもとめざるをえず、現にもとめるという積極的な動きをしめしつつあります。ここに今日の、とくに大会後の政治変化の新しい奥深い基盤があることに、大きく注目する必要があります。

 冒頭にあげた東京四区の補選と京都の知事選挙は大都市部を中心とした選挙でしたが、ここに、共通する大きな変化が生まれていることを、選挙をつうじて実感しました。地元商店街の多くの人びとが、いわば一つの層をなして自民党から離れ、政治の新しい道を模索するということも生まれました。

 農村部でも、コメの輸入によって起きた需給の大変動と食管制度の廃止のなかで米価が大暴落をして、政府が育成すると宣伝してきた大規模農家自体もふくめ、コメ農家の全体がたいへんな危機に直面するなど、ゆきどころのない危機が、農村でも政治変動の波をいまひろげつつあります。

 地方自治体が自民党政治のもとで追いこめられてきた財政危機も、戦後かつてないものです。

 このように、いま国民が経験している生活と経済の危機は、政治離れではすまず、政治の転換を積極的にもとめる流れに発展する必然性をもっている。そういう大きな変動であります。

 私たちが、大会以後の日本共産党の躍進の流れについていうとき、やはりその根底に、これらの変化を地盤にした、日本共産党への共感のひろがりという力づよさがあることをつよく感じます。

生活の危機は自民党の悪政と失政の結果

 いま日本の国民がうけている生活危機の実態は、文字どおり自民党の悪政と失政の結果であります。

 長年の逆立ち政治――私たちは、自民党の逆立ち政治について、公共事業に国と地方が五十兆円つぎこみ、社会保障に国と地方が二十兆円しか負担しないという税金の使い方の年来の逆立ち、あるいは、大銀行、ゼネコン、大企業には、惜しまぬ支援をするが、中小企業や農業は衰退を促進する政策をとる、こういう逆立ち、こういう二重三重の逆立ち政治を指摘してきました。今日の危機は、そういう年来の逆立ち政治の結果であると同時に、当面の危機打開策そのものが不況対策で冷えこんだ国民生活をテコいれするのでなしに、銀行に三十兆円の支援をするなど、逆立ちしている――その結果であって、二重の失政の産物だということを、正面からついてゆかなければなりません。

 しかも、国民無視の政治を重ねてきたあげく、大会が指摘したように、政権自身が文字どおり「舵取り不能」の状態になっていることが、大事な点です。

「舵取り能力なし」の評価は国際的にもひろがっている

 日本のマスコミや国民の政府批判については冒頭にのべましたが、日本の政府が舵取り不能だということについては、いまは国際的な評価もまったく一致していて、日本の政治にたいする不信は、異常な高まりをみせています。

 海外のマスコミも、たとえば、橋本首相がロンドンにいったとき、イギリスの新聞が、「日本経済は崩壊寸前」と書きました。これも一つの不信のあらわれですが、経済状態の評価にとどまらず、日本政府が何をやっているかということについてのきびしい評価と批判も共通の声になっています。日本政府は、まちがった政策をとっている、対応能力がないといった評価が、前例がないほどあからさまな形で、海外のマスコミで指摘されているのも最近の特徴です。IMF(国際通貨基金)、OECD(経済協力開発機構)などの国際的な経済機関も、日本の政府の誤りについて遠慮のない評価をのべています。

 日本の橋本自民党内閣の側からいえば、もっとも近しい目上の同盟者であるはずのアメリカ政府さえも、新聞報道によれば、早くから、日本の経済の失敗を指摘すると同時に、その原因として日本政府の「認識不足」と「対応能力の欠如」をあげ、橋本内閣には「政策立案能力が不足している」から、自分たちが口をださざるをえないのだと平気で語っています。日本政府には舵取り能力がないということについて、ここまで国際的評価が定着しているというのは、きわめて重要なことであります。

 アメリカのムーディーズという、経済界の格付けをする機関が、日本の国債の格付けを下げたことが大問題になりましたが、これは日本政府の政治的信頼度にたいする評価が国際的に公式に引き下げられたということにほかなりません。

 日本のこの現状には、大会がのべた、二十一世紀の早い時期に政治の新たな流れをつくりだすという「国民的必然性」が、きわめて明白な、はっきりした、あざやかな形であらわれていることを指摘せざるをえません。

(3)橋本内閣の退陣、解散・総選挙を要求する

 私たちは、いまや、橋本内閣の役割が、その存続自体が国民の不幸だといわざるをえないところまできていることを、明確に指摘するものであります。

 先ほど来指摘してきました逆立ち政治の強行については、今日、日本の経済の破局的な事態を招きつつある失政の責任を問わなければなりません。しかもその事態への対応能力がないということもあきらかになりました。先日の国会討論で、志位書記局長が指摘しましたが、「臨機応変」という名前で「右往左往」の政策をとっている。日本が、経済面でも重大な局面にあり、先の見とおしがもっとも必要なときに、まったく展望のないやり方に終始し、一貫しているのは国民に犠牲と負担を強いることだけという対応をしている。それだけでも、橋本内閣の退陣を国民がもとめるのは当然であります。

 しかも、それにくわえて、アメリカの軍事戦略への奉仕を第一におき、沖縄の全県あげての要求をふみにじって沖縄の基地の固定化を受け入れた罪、さらに、日本全土の基地・演習場化とアメリカ有事の自動参戦にふみだした罪を、国民にたいする橋本内閣の重要な罪として、弾劾しなければなりません。

 私たちは、ゆきづまった日本の現状を打開するために、橋本内閣の退陣と、日本の新たな進路を国民に問う国会解散・総選挙を厳重に要求するということを、第二回中央委員会総会の機会にあらためて表明するものであります。(拍手)

 そして、その実現のために、私たちは、国会の内外を結合してのたたかいを発展させるつもりであります。

(4)政党状況の新しい局面

 政府がこういう状況にあるなかで、いま日本の政治で分析の目をむけるべき重要な問題は、大会後に、政党状況の新しい局面が生まれてきたという問題であります。

自民党──地盤の崩れを大規模な組織戦でまきかえす

 まず、政権党の問題についてのべます。いま、自民党政権の政治的破たんについてのべましたが、政党としての自民党は、深刻な政治的破たんにもかかわらず、一方では新進党の解体など全体としての野党の混迷状況も利用しながら、他方ではまた年来の政権党という地位を最大限に活用しながら、一定の復調に成功しています。このことを私たちは、はっきりみる必要があります。

 彼らは、いったんは失った国会多数派の立場を“選挙抜きの議席拡大”という非民主的な手段で、衆議院では回復することに成功しました。そしていま参議院では、単独で過半数獲得ということを参議院選挙の目標にしています。

 この復調にあたっての彼らのやり方を最近の選挙戦でみますと、地盤の崩れを大規模な組織戦でまきかえすという方式が特徴です。先ほど最近の状況についての感想を寄せていただいたジャーナリストを紹介しましたが、この方は、東京四区の衆院補選での自民党の活動状況について、こういう評価をのべていました。

 「自民党は、不況対策を逆手にとって業界への脅しと締めつけを強めるなど、旧来の集票機構をいまの段階で可能なかぎり動員することによって、やっと五万余を積み上げた、そういう意味での組織動員である」

 この組織動員という点でも一つの変化はあるのです。自民党の地元中心の組織動員ではとてものりきれないということで、自民党の党本部が直接のりだし、国会議員だけでも二百名を大田区に投入したといいます。秘書団も総動員し、小規模な事業所にまで国会議員が顔をだしたり電話をかけたりする、あらゆる業界団体の上から下への圧力も動員する、こうして自民党本部の総力をあげての全力投球でやっとまきかえしたということです。

 こういう自民党の対応にたいして、政治戦でも組織戦でも正面からたちむかい、これにうちかってゆくたたかいが、これからの「自共対決」の選挙戦の重要な内容になることを、私たちは、自民党のとりくみの現状にてらしても銘記する必要があります。

社民党──日本における社会民主主義の終わり

 それから社民党ですが、この党の現状をみるにつけても、私たちは、日本における社会民主主義の終わりを体現しているとみざるをえません。現実には自民党の与党として、自民党政治を補足するだけの政党になりながら、「野党的与党」といった不誠実な看板で生き残りを策しているのが特徴であります。国民むけには、ときには「野党ポーズ」をとりつつ、実際政治の上では、自民党政治への協力をつづける、こういう使い分けをやっています。こういう使い分けによって、社民党がひけらかす「野党的」な名残になお一定の幻想をもつ有権者があれば、そういう人たちを引き付けることで自民党政治の基盤をひろげる、ここに社民党の今日の恥ずべき役割があることを、私たちは率直に指摘せざるをえません。

野党共闘が前進する基盤はどこにあるか

 野党の状況についていえば、大会後の変化で重要なことは、いわゆる“総与党化”の体制に亀裂が起こっている、ということだと思います。そこには、政権がらみの党略的な矛盾にとどまらない、自民党政治と国民の利益の対立の一定の反映があります。

 また、「日本共産党を除く」という年来の体制や方式が住専国会で終わりをつげたことにつづいて、総選挙などでのわが党の前進とむすびついて、日本共産党との政党関係に新しい変化を生む条件も熟してきました。

 いまの国会での野党共闘の前進、わが党をふくむ野党共闘がさまざまな問題で前進をとげ力を発揮してきたということは、そういう基盤の上に生まれたものです。この条件のもとで、他党の側の一定の変化と、日本共産党が国会の冒頭からどの野党とも国民の利益にかなう一致点あるかぎり共闘するという方針を明確にうちだしていることと、この両者があいまっていわば「あうんの呼吸」で発展してきたものであります。

 私たちは、今後とも、国民の利益に合致する問題での一致点があるかぎり、どの野党とも一致点での共闘をすすめるという態度を堅持するつもりであります。

 とくに現在では、内閣の退陣と解散・総選挙を要求する野党の共闘を実現し前進させることは非常に重要であって、今後の国会でも、その見地で対応してゆくことを報告しておきたいと思います。

 こういう政党関係は、実は七〇年代までの国会では当然のこととなっていたものです。八〇年以降、いわゆる「日本共産党を除く」体制がつくられてから、このあたりまえの政党関係が発動できないで、閉じられていました。それが今日、こういう形で前進しつつあるということは、日本の議会制民主主義と政党政治のいわば基本的なしくみが働きだしたものとして、大いに評価できる意義ある方向であります。

基本路線では、“総与党化”の大枠が依然存在している

 こういうように、当面のいくつかの問題で野党共闘がおこなわれていますが、自民党の逆立ち政治を正すという基本路線の問題では、そこまでふみだす政党は、日本共産党以外に存在しません。そこに、大きな意味での政治の流れとしての“総与党化”の大枠が依然としてあることを、私たちはみる必要があります。

 いま野党のなかで、「新党」への結集を決めてから、政策はあとで考えるとか、政策なしの結集とかということが依然としておこなわれています。そういうことが可能になるのも、政策的には自民党政治の大枠からふみださない枠内での離合集散だからであります。また、われわれと野党共闘をすすめていながら、自民党以上の反共主義をいまだに捨てていないという部分もあります。そういう点もふくめ、野党の現状を現実にそい、事実にもとづいて、リアルにみてゆく必要があります。

 とくに選挙では、二十一世紀にむかっての日本の政治の方向が大きく争われます。こういう時期での政党関係では、いま当面する時点での共闘をもっとも誠実にすすめながら、日本の進路について国民の選択をもとめる選挙戦では、自民党政治の大枠のなかにとどまるのか、それとも逆立ち政治の根本的転換をもとめるのかの政治的な争点を堂々と争う――こういう基本態度を堅持することがたいへん大切であります。

政党助成金──政党なるものの根幹をくずす

 政党の状況にかんして、最後に、政党助成金の制度についてのべたいと思います。それは、この制度が、憲法に保障された国民の権利をふみにじり、国民の税金を政党が横取りするという根本的な害悪にくわえて、政党なるものの根幹をくずすという面でも、民主政治をそこなう有害な役割をあきらかにしているという問題です。

 政党というのは、共通の綱領あるいは理念で結集し、それにもとづく政策、公約をかかげて国民の支持をえ、国民と結びつき国民に責任をもって活動する、これが政党政治における政党の、保守革新の別を抜きにしてあたりまえのあり方だと思います。

 しかし、政党助成金の制度が生まれてから、その根幹の変質ともいうべき現象が広く生まれました。理念も政策も組織もいらない、その年の一月一日現在で国会議員が五人いれば、とりあえず政党ができる。これはただ、法規上のしくみ、政党助成金の便宜上のしくみにすぎませんが、それが現実には政党結成のいわば基本になってしまっているという現状があります。九〇年代にはいって政党の離合集散が激しくなり、国民の批判の的ともなってきましたが、政党助成金の制度とともに、 その離合集散が、政党政治の根幹をおびやかす崩壊現象ともいうべき段階にふみこみつつあるというのが、その状況をみてのわれわれの実感であります。

 ここには、いわゆる「政治改革」の失敗と破産の集中的なあらわれがあります。私たちは、政党助成制度や小選挙区制の廃止のために一貫してたたかいますが、そのなかで「政党らしい政党」をもとめ、そういう角度からわが党に期待をよせる人びとがひろがりつつあることに、おおいに目をむけ、政党とはこうあるべきだということをわが党の活動のなかに体現しながら、大きな展望と志をもってさらに活動をつよめたいと思います。

(5)政策問題では二重の取り組みが必要

 つぎにこういうなかでの政策問題です。自民党の悪政とのたたかいでは、(1)いま悪政の被害から国民の利益をまもる緊急の政策、こういう次元の活動と、(2)逆立ち政治をただす根本的な政治の転換をもとめる問題と、この二重の視点、二重のとりくみがいま必要だということを強調したいと思います。

悪政の被害から国民の利益をまもる緊急の政策と活動

 第一に、今日の国民的な生活の危機は、冒頭にものべたようにたいへん深刻なものがあって、そういうときに国民の利益をまもるためにたちあがり、各分野で要求運動の先頭にたつとともに、国会や地方議会でその要求実現のために全力をつくすことは、われわれのほんとうに重要な任務です。日本共産党は、党の創立以来、その時点時点での国民の利益をまもることを最大の使命として働いてきました。その使命に忠実に、いま、破壊されつつある国民生活をまもるたたかいに総力をあげることは、そういう意味でも、党の今日の最大緊急の任務であることを、強調しなければなりません。

 消費税減税、医療制度改悪反対の二つの署名に全党的にとりくむことを方針としてきたのも、この見地からであります。

 また私たちは、情勢がいよいよ重大化し、国民の生活危機がいよいよ深刻になってきたなかで、先日、「深刻な不況から国民生活をまもる緊急要求」を提起しました。これら五つの分野にわたる十三項目の要求は、この文書にも書いてあるとおり、「まったなしの事態にある国民生活をまもるため、すぐにでも実行すべき最小限の措置」を緊急要求にまとめたものであります。党中央は、各界各分野に、この要求文書をお送りして、共同の努力を要請するつもりですが、それぞれの地方でも、同じような努力をおねがいしたいと思います。そして、その実現のための運動に、全党――全支部、全機関、全党員がとりくむとともに、いろいろな運動分野で活動している党グループがそれぞれの分野で最善をつくすことをもとめたいと思います。

 この要求は、無党派の人びとはもとより、他の党派とも広範に共同できる可能性をもった問題であります。全要求で共同できなくとも、この要求でなら一致できるという問題は、多くの党派とのあいだにさまざまありうると思います。そういう見地で、国会、地方議会で、国民の緊急の要求にこたえるこの活動を前進させ、そのための共同への努力を、政党間の共同もふくめて、つよめることが重要であります。

逆立ち政治をただす根本的な政治転換の目標

 第二の問題は、今日の情勢の特徴は、国民の多くが当面の要求を切実にもちながらも、それだけにいっそう、このゆきづまりからのより根本的な活路をもとめているところにある、という問題です。自民党の逆立ち政治を転換させ、資本主義の枠内でも、もっとまともな政治をきずこうではないかという呼びかけが、各地で、遠い展望としてではなく、身近な問題として広い反響をまきおこしているところにも、国民の側のこの状況が反映しています。

 また、わが党が、自民党政治の誤りの根本をついた明確な批判と認識をもち、それを転換させる目標を明確にもっている党だからこそ、当面の問題についても、緊急の打開策を筋道のとおった形で、しかも現実性のある内容で提起できるということも、重要であります。

 このように、国民生活をまもる緊急の政策要求と、自民党の逆立ち政治をきりかえるより根本的な政策要求と、この二重のとりくみの見地を身につけることは、党の政策活動にとって、いまきわめて重要な問題になっていることをかさねて指摘するものです。

(6)子どもと教育をめぐる社会的な危機を打開するために

 つぎにすすみますが、いま日本社会が直面している問題には、逆立ち政治のきりかえといったことだけではすまない問題があります。いわゆる社会問題です。その重要な一つに、子どもと教育の問題があることはいうまでもありません。

子どもと教育の危機は日本社会の危機

 いじめ、不登校、「援助交際」から、最近では一連の殺人という問題まで、各地で深刻な形で提起されています。まさに、これは、日本社会の社会的危機ともいうべき事態であります。

 われわれが、二十一世紀にむかって、日本社会の未来ある発展と存続を考えるならば、子どもの健全な成長の条件を確保するということは、その根本問題の一つであります。

 日本共産党は、七〇年代に「救国と革新の国民的な合意」の運動を起こしたときも、日本の道徳的危機について指摘し、そこからぬけだすために、とくに子どもの問題に重点をおいたとりくみを呼びかけました。そのとき、おおきな運動が起こるなかで、テレビの暴力番組の規制などの成果も生まれました。

 私たちは、それ以後、この問題をずっと重視して、昨年九月の党大会の決定でも、社会の病理現象の一つとしてこの問題をとりあげ、とくに「家庭、学校、地域、職場、政治などのあらゆる場で、人間をおとしめ、粗末にする風潮とたたかい、健全な市民道徳を形成する先頭にたつ」ことを強調し、教育の場でも、市民道徳を身につける教育の重要性を呼びかけました。

 私たちは、その立場から、今日みられる子どもと教育の危機的な状態を打開するための国民的な運動を、提唱したいと思います。

 もちろん、いまの現状のもとでも、学校、家庭、地域のそれぞれが最善の努力をつくすことは当然であります。また、子どもの危機的な状況の根本には、多くの経済的な重荷が家庭にになわされ、生活上の困難がこの問題に拍車をかける一つの要因になっていることも明白であって、この面からも、国民の生活上の困難を解決する努力を大いにつくす必要があります。

 これらのことを前提としてふまえた上で、私たちは、社会的にとりくむべき独自の問題として、三つの角度からのとりくみを呼びかけたいと思います。

第一。子どもの成長と発達に中心をおいて学校教育の抜本的改革

 第一は、子どもの成長と発達に中心をおいた学校教育の抜本的な改革という問題であります。現在、受験中心の詰めこみ教育、競争教育が、高校、中学から、小学校、さらにその先にいたるまでひろがっています。こういう、受験中心の教育は、学校を荒廃させ、子どもの世界を荒廃させるとともに、そういうことを通じて生まれた社会人をも、ゆがめる結果になります。いわゆる“キャリア”とよばれる人たちが、いま、いろいろな腐敗現象の中心にすわっているという問題も、その一つのあらわれであるかもしれません。

 受験のための詰めこみ教育ではなく、自然と社会のしくみを考えさせるほんとうの意味の知育、社会を構成する人間にふさわしい市民道徳を身につける徳育、基礎的な体力の増強とスポーツ精神を体得させる体育、そういうものを学校教育の中心にすえ、これらをすべての子どものものとすることに真剣にとりくむ。こういう立場で、教育の全体的な立て直しを図る必要があることを痛感せざるをえません。

 学校行政の面でも、子どもの自主性をおさえこむ統制とおしつけ一本やりの学校運営や、学校の施設を荒廃させる教育予算の不当な切りつめをあらため、三十人学級の実現をめざすなどの抜本的な改革が、子どもの教育と成長の環境をととのえるうえで重要なことは、議論をまちません。

 そういう、ほんとうに子ども中心に考えての学校教育の抜本的な改革、立て直しという問題であります。

第二。社会の各分野で、道義ある社会をめざす

 二番目は、社会の各分野で、道義ある社会をめざすとりくみであります。学校で、子どもたちに市民道徳をきちんと身につけてもらう教育は重要でありますけれども、子どもの社会だけに市民道徳の徹底をもとめても、社会の全体が、道義的に荒廃していたのでは、これは空文句になります。社会のどの分野でも、健全な市民道徳が確立されている状態をめざす、市民道徳にかなった道義性をどの分野でもそれなりに確立してゆく努力が大切であります。

 なかでも、いま日本の道義的腐敗のいわば震源地ともいわれているのが、政治の世界と経済の世界です。それだけに、政界や経済界のこの問題での社会的責任は、とりわけ重大であって、こういう面からも、いま問題になっている政治腐敗、経済腐敗などを一掃する努力は非常に切実です。こういう点で、各分野での社会的道義の確立、市民道徳の確立をめざす大きな運動が大事だと思います。

 もちろん、いま問題になっているサッカーくじなど、政治の介入で子どもの生活環境を無神経に汚染するようなやり方は論外のことであって、私たちは、サッカーくじなどのくわだての中止をつよく要求するものであります。

第三。文化面(テレビ、雑誌など)で社会の自己規律を確立する

 第三は、テレビや雑誌などの文化面で、社会の自己規律を確立するという努力であります。

 この分野では日本の国際的たちおくれはとりわけ深刻です。日本は、暴力と性をむきだしにした映像や雑誌などにたいして、子どもたちがもっとも無防備でさらされている国だといってもよいでしょう。

 こんど調べてみますと、この問題へのとりくみは世界各国でかなりすすんでいます。とくにすすんだ国では、暴力や性などを野放しにした映像が成長期の子どもにどのような影響をあたえるかなどの調査もかなり公的なかたちできちんとおこなわれ、そういうものをふまえて、政府や業界の規制だけでなく、親や教育関係者をふくむ社会全体のとりくみが制度としても確立しつつあります。日本から輸出した子ども向けのテレビ番組が、そういう規制のなかで禁止されるという例も少なくありません。

 私たちは、この面でも異常といってよい日本のたちおくれを早急に克服し、子どもの健全な成長をきっちりと主題にすえた社会の自己規律を確立することをつよめなければならないと思います。

 以上、三つの角度でのとりくみをあげました。私たちは、日本の社会、二十一世紀の日本を考えるにつけても、社会の各界各分野にたいして、この問題についての真剣な討論ととりくみを、呼びかけたいと思うものであります。

(7)国際的にもきわだつ対米従属の異常さ

 つぎに、国際問題、外交問題です。

アメリカ覇権主義の孤立化が、全世界的に強まる

 大会後の半年間の世界情勢の一つの重要な特徴は、アメリカの覇権主義が露骨に展開されるとともに、それにたいする全世界的な批判がまきおこってアメリカの覇権主義の孤立化というべき現象が広く展開された、というところにあります。

 これまでもいろいろな機会に紹介しましたが、たとえば、去年の後半、ヨーロッパとアメリカのジャーナリズムが、くりかえしアメリカ覇権主義の孤立化についての特集をおこないました。

 八月にはアメリカの雑誌『タイム』の欧州版が「恥知らずのアメリカ」という特集をおこないましたし、九月にはドイツの雑誌『シュピーゲル』が「世界の支配者アメリカ」という特集をおこないました。十一月にはアメリカの新聞ワシントン・ポストが「同盟国からさえも憤慨されるアメリカの支配――世界いじめを非難されるアメリカ」という大きな記事を掲載しました。それぐらい、自分こそ支配者だといわんばかりの、そして諸外国の主権を経済的にも、政治的にも無視する横暴なアメリカのやり方が、いまヨーロッパでも、アフリカでも、ラテンアメリカでも、アジアでも強烈な反発をよび、公には同盟者の立場にある国ぐにからも公然とした批判の声があがっているわけで、このことは、現在の世界情勢のきわめて重要な特徴となっています。

 それは国際政治の動きにも現実にあらわれました。たとえば、キューバ問題では、アメリカは三十数年来、キューバ経済封鎖という政策をとっていて、一昨年には、この経済封鎖をおかしたら、外国であってもアメリカの国内法で処罰するという横暴な法律までつくりました。これにたいして、猛烈な反対と批判の世論が国際的に起こり、政府間の矛盾も激しくなり、最近ではアメリカ自身が封鎖の解除の緩和を考えざるをえないような立場にたたされるにいたりました。これも覇権主義の孤立化の一つの例であります。

 それから、先日大問題になったイラクへのアメリカの一方的な軍事攻撃のくわだてです。これにたいしては、アメリカの同盟者であるNATO諸国のあいだでも反対が強まり、立場が大きく分裂をする。湾岸戦争のときにアメリカがその利益をまもるためだといって軍を配置したアラブ諸国が猛烈に反発して、サウジアラビアまでが国内にある米軍基地をイラク攻撃には貸さないという態度を表明するなど、一方的な軍事攻撃という無法なくわだては完全に孤立しました。

 経済面でも、アメリカのやり方、アメリカの流儀を世界におしつける覇権主義が批判の大合唱をあびているのも特徴であります。

 最近、日本のあるマスコミでも、アメリカがいっているグローバル・スタンダード(世界標準)というのは、これはアメリカ型システムが「原型」であって、世界市場でのアメリカの覇権確立がねらいだ、それにたいしてアジアとヨーロッパが警戒感をつよめている、という大々的な記事がだされました。

 それぐらい、いまアメリカの覇権主義は世界中で矛盾をまきおこし、かつてない孤立化の状態にある、これが重要な特徴です。

橋本内閣の異常さ――アメリカへの白紙委任を外交方針に

 そういう状況であるだけに、日本の対米従属ぶり、橋本内閣の対米従属ぶりがきわめて特異な状況として、世界から軽べつ的な注目をあびているのも、重要な点です。

 この対米従属ぶりを三つの角度からみますと、一つは、世界政治の重要問題についてアメリカに平気で白紙委任するという外交方針であります。

 イラクへのアメリカの攻撃を許すかどうかで、全世界が揺れ、反対の声が広くあげられたときに、日本政府は、二月、アメリカの大使を日本に迎えて橋本首相、小渕外相が会談をやりました。そのときの共同発表では、軍事攻撃をふくめて「すべての選択肢」について日本はアメリカと見地を共有する、つまりアメリカ側の考えとわれわれはまったく同じであって、アメリカが軍事攻撃を必要だと考えたら日本もそれに賛成するという発表をして、世界を驚かせました。

 国連の事務総長がイラクへいってフセインと会談し査察問題での合意が成立したとき、各国の政府がただちに歓迎の談話をだしましたが、日本政府はアメリカの態度がわかるまでは談話をだせないといって談話の発表を引き延ばしました。これも内外から驚きの目をもってみられたことであります。

 最後に日本政府は、イギリスと共同してアメリカに将来の軍事攻撃の白紙委任状をあたえる決議の提案を安保理事会におこないました。多くの国の努力の結果、日本の思惑どおりにはなりませんでしたけれども、そこまでアメリカの代弁者の役割をするという、ほんとうに異常な状態であります。

植民地型の基地――アメリカの海外遠征部隊に出撃拠点を提供

 二番目に大事な問題は、自民党政府が世界各地に遠征出撃する任務をもった米軍部隊、いわゆる“なぐりこみ部隊”を半世紀にわたって日本においてきたばかりでなく、これからも無期限におく態度をとり、それへの全面協力をしていることです。

 アメリカ海外出撃部隊――海外への出撃を主要な任務とする部隊に基地を提供しているのは、日本以外世界にはどこにもありません。沖縄の海兵隊、横須賀、佐世保を拠点としたアメリカの第七艦隊、三沢に配備しているアメリカの空軍部隊、これらはすべて海外の遠征出撃を任務にした部隊で、中東作戦にもみんな参加しています。日本は、こういう部隊に基地を提供しているばかりか、世界に例がない形で巨額の基地費用まで負担し、事実上の基地の自由利用権を認めている。だからアメリカが、日本の基地を中東作戦に使おうが、東南アジア作戦に使おうが、勝手放題という態勢です。

 まさにここに植民地型の米軍基地という特徴があらわれているわけですが、自民党政府は、それにまったく手をつけようとしません。これもきわめて異常な事態です。

 とくにわが党の追及であきらかになったことは、“なぐりこみ部隊”の任務遂行を保障するために、超低空飛行訓練とか夜間離着陸訓練などが日本で常時おこなわれていますが、そのやり方は世界でもまったく異例だということです。超低空飛行訓練は、アメリカでもヨーロッパでも世界各国でも、訓練空域はきわめて狭く限定され、その空域の指定が公開されているわけですが、日本は空の全部が自由使用になっており、訓練空域の公表もされていません。このことを国会追及であきらかにしましたが、植民地型というのはそこまで徹底しているわけです。この対米従属性も、事実があきらかになるにつれ、やはり驚きの的として世界からみられています。

ガイドライン問題──党大会が指摘した四つの危険性

 第三は、今日の重大問題ですが、その“なぐりこみ部隊”の世界各地への出撃にたいして、日本が軍事協力を全面的にするところまで、政府がいまふみだそうとしていることです。これがガイドライン問題です。

 ガイドライン問題は、立法化の段階にはいり、政府がこの十七日に「周辺事態措置法案」など三法案を与党にしめしました。たたかいは、この面でもいよいよ重大な段階にはいりました。

 党大会決定は、ガイドライン問題について、四つの問題点を指摘しましたが、その危険性は、政府の立法化がすすむとともに、いちだんと鮮明になりました。

 大会決定は、第一に、このガイドラインとは、「アメリカの無法な干渉作戦に参加する」ことだとずばり批判しました。こんどの立法化の作業では、「周辺事態」が起こったら日本が軍事協力するというのですが、「周辺事態」が起こったかどうかの判断の認定に国会を関与させない、そればかりか、政府自身も実際は判断を放棄して、アメリカに事実上判断をゆだねる、というしくみです。つまりアメリカが不法な作戦を起こし、日本の軍事協力が必要だと判断したらそれでただちにガイドラインの発動ということになる、このしかけもあきらかになりました。

 二番目に大会決定は、「日本が引き受けるのは戦争行為そのもの」だと指摘しました。こんどの「周辺事態措置法案」などが「周辺事態」でとる行為としてあげている項目は、まさに憲法違反の参戦行為そのものであって、文字どおりの自動参戦装置の立法化であります。しかもこれに民間や自治体を動員することまでがうたわれています。

 三番目に、大会決定は、ガイドラインが問題にしている「周辺」とは、「アジア・太平洋地域のどこでも」ふくまれること、政府はしきりに北朝鮮有事をひけらかすけれども、ねらいは別であって、その対象には中国の内政問題である台湾問題もふくまれていることを指摘しました。政府は、今回の立法化にあたっても、台湾が「周辺」とは別だという言明は、いっさいおこなっていません。しかも最近あきらかになったことですが、この二月から三月にかけてインドネシアで政府危機が激しくなったとき、在日米軍がインドネシア周辺に出動していました。沖縄の海兵隊が出動、横須賀からは第七艦隊の旗艦であるブルーリッジが出動しました。ガイドラインが、「周辺有事」ということで、台湾から東南アジアまでも標的にしているということが、事実で浮きぼりになりました。

 第四に、大会決定は、「いまの見直しは第一歩」で、日米両国政府は、「これを突破口として、日本の自動参戦体制のひきつづく拡大強化を予定してい」ることを指摘しました。この点では、現在の「周辺事態措置法」の立法化と並行して、最近政府側が、“日本有事”をたてまえとした「有事立法」も用意しようといいだしたことは、きわめて重大であります。こういう“有事立法”が用意されれば、たてまえとしては日本有事であっても、そのための法的しくみ、実体的な配置が、どんどんすすみます。これは、アメリカ有事の際にもいつでも転用できるしかけとなります。これも、こんどの立法を第一歩にしながら、さらに深刻な対米全面協力の体制を用意するというくわだてであります。

 このように、大会決定が指摘した危険性が、立法化とともに、すべての点にわたって具体的に証明されたわけです。

日本の前途をうれうるすべての国民に心から呼びかける

 このくわだてを打ち破るたたかいは、いよいよきわめて重大な段階をむかえました。

 ガイドライン、とくにその立法化を打ち破ることは、日本の平和と安全、国民の権利と民主主義をまもるための最重要課題であります。わが党自身、この問題で全力をつくすことをここで表明するとともに、平和と民主主義、日本の前途をうれうるすべての国民にたいし橋本内閣のこの危険なくわだてを打ち破るためにたちあがるよう、心から呼びかけるものであります。(拍手)

 以上三つの面から、自民党政府の、世界でも異常な対米従属性をみてきました。自民党が、「二十世紀の政権党」ではあったが、二十一世紀に政権をになう資格がないことは、この面からもあきらかであります。

 わが党は、二十一世紀の早い時期に、国民多数の支持をえて民主的政権をうちたてることをめざす党として、ガイドラインとその立法化反対、低空飛行訓練や夜間離着陸訓練の禁止、沖縄の海兵隊基地撤去など当面緊急の要求実現の闘争を重視するとともに、日米安保条約の廃棄、非同盟・中立の日本への転換こそ、日本の平和、主権、安全を根本的に保障する道であることをすべての国民に呼びかけ、その実現のためにねばりづよく奮闘するものであります。

(8)日ロ会談と領土問題について

 つぎに、四月十八日から十九日におこなわれた日本とロシアの首脳会談について一言したいと思います。

自民党政府のやり方では、領土要求の根拠を世界にしめせない

 この会談について政府側はいろいろいっていますが、中身をみるならば、領土問題ではなんの前進もなく、一方的な経済援助の約束の積みましだけに終わったことは、明白であります。

 真剣な領土問題の交渉の用意なしに、リュウ・ボリスだか何かは知りませんが、首脳が仲良くなればなんとかなるというやり方で、首脳同士の個人的友好で問題を解決しようとするやり方の失敗といいますか、不毛さといいますか、それをあきらかにしたのがこんどの会談だったと思います。

 私たちは、一九九一年の東京での日ソ会談のさいにも、昨年のクラスノヤルスク会談のときにも、ほんとうに領土問題を解決しようと思うのならば、日本側の領土要求の論立て、国際法的な論立ての確立が必要だということをくりかえし指摘してきました。

 つまり、日本は、何を根拠として領土要求をするのか、日本の領土要求には、国際法的にどういう正当性があるのか、これをあきらかにしなければ、ロシアの社会にも世論にも影響をあたえることはできませんし、政府間の真剣な交渉も成り立ちません。ところがその論立てが欠如しているのです。

 自民党とわが党のあいだには、自民党は「四島返還」といい、わが党は「千島列島と歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の全面返還」を主張するという領土要求の範囲のちがいがあります。しかし、いまの自民党のやり方では、彼らが目指している「四島」についても、日本への返還要求の根拠をしめすことができないし、国際的に通用する論立ても提起できない。ここに大きな問題があります。

 何が問題かといいますと、スターリンが横暴に日本から千島列島を奪ったのは米英ソ三国のヤルタ協定(一九四五年)を根拠にしてであり、それを条約化したのがサンフランシスコ平和条約(一九五一年)の千島放棄条項でした。自民党政府のいまの態度は、それにはいっさい手をつけないで、いいかえれば、スターリンがおしつけたヤルタ協定の枠内で、協定の解釈をいろいろこじつけることで問題を解決しようというやり方です。

 つまり、“千島列島はいりません、歯舞・色丹・択捉(えとろふ)・国後(くなしり)は千島列島に属さないから返してくれ”という、これが自民党の唯一の論拠です。これは、歯舞・色丹についてだけは成り立ちますが、「択捉、国後は千島でない」という議論は、国際的に通用するものではありません。だいたい、日本政府が、日ソ交渉のさなかの一九五五年に、突如としてこの解釈をいいはじめるまでは、日本の国民全体が、南北千島列島とは、北千島と南千島(択捉・国後)までの全部をさす言葉だと考え、学校でもそう教えていたし、世界でも常識となっていたのです。

 このように、“千島でないから択捉・国後を返せ”というのは、歴史的にも成り立たない議論で、それに無反省にいつまでも固執して、この論立てで外交交渉をやるというところに、最大の欠陥があります。

橋本首相の「国境画定」論は、国益をそこなう有害無益の議論

 しかも、今回の会談で、橋本首相は、「国境画定」論というものをもちだして、それをエリツィン大統領が好意的にうけとめたから、問題が一歩前進したというような、いい方をしています。しかしこの「国境画定」論は、一歩前進どころか、きわめて有害な重大問題をふくんでいるのです。

 実は、「国境画定」論をめぐって、かつてのソ連と交渉したのは、いまから約二十年前、正確にいえば十九年前の日ソ両共産党の首脳会談のときでした。当時は、ソ連側は領土問題は「解決ずみ」だという立場に固執していました。つまり、領土問題の存在そのものを認めなかったのです。それにたいして、わが党は、日ソ両国間には平和条約がないではないか、平和条約には国境の画定がふくまれる、その平和条約がむすばれていない以上、国境は画定されておらず、領土問題は解決されていない、このように論じて、ソ連側の「解決ずみ」論を批判しました。このときの会談で、われわれの主張の道理をソ連側もついには認めざるをえなくなり、日ソ間に領土問題が存在することを明確にしてひきつづき日ソ両党の交渉をつづけることを確認したのが、十九年前の会談だったのです。

 このように、「領土問題は存在しない」といっている相手にたいして、領土問題は明確に日ソ間に存在していることを実証する論としてこそ、「国境画定」論は有効だったもので、現実にこのとき、ソ連側を追いつめてこの障害を突破する力となったのです。

 しかし現在では、領土問題の存在そのものは、ロシア側も認めているわけですから、このことに特別の意味や役割はないのです。だからけさの新聞には、「ロシアの外交関係筋」が、“国境画定論というのは、領土問題での用語の変更にすぎない”と語ったという報道がありました。

 ただ日本の側からいうと、今回の「国境画定」論というのは、たんなる「用語の変更」にとどまらない深刻な内容をもちます。

 第一に、政府は、現在日ソ間の領土交渉の対象を四島に限定する公式態度をとっています。四島に限定した交渉の結果決まった線を、国境として画定するということは、“北千島は日本は永久に放棄する”ということを、今回の会議で確認したことを意味します。自民党のなかにもいろんな議論があって、「四島」というのは当面のことであって、われわれも最後は北千島まで視野にいれているんだという人もいましたが、四島返還方針とむすびつけて「国境画定」論を日本側が提起したということは、北千島の永久放棄を日本側から主張したことにほかなりません。これが第一点です。

 第二に、「領土返還」という言葉の代わりに、「国境画定」という用語に変えたことに特別の意味がこめられていることも、重大です。これは、こんごの交渉の結果、ロシア側がかりに多少の譲歩をし、四島あるいはその一部が日本側となる形で日ロ間の国境が引かれることになったとしても、それは国境の画定であって、実効支配、つまりその領土の日本への実際の返還は先のことだというやり方、領土返還といわば主権の形式的確認とを区別するやり方に余地を残したということです、そこに「国境画定」論のうまみがあると、論じている人もいるくらいです。

 第三に、橋本首相の側がこれだけ大幅な譲歩の態度をとったにもかかわらず、ロシア側はこんどの交渉で、四島を返還するとはひとこともいっていないということです。それどころか領土返還の問題で実質的な内容をもった発言はいっさいありません。だから、こんごの交渉の結果、四十二年前の日ソ共同宣言で確認しあった歯舞・色丹返還ということで終わるのか、それに多少の色がつくのか、政府が宣伝しているような「四島」返還に接近できるのか、こういう実質の面ではまったくなんの前進もないままです。

 だからこんどの日ロ首脳会談を総決算してみると、日本が、北千島を永久に放棄することと、将来の二〇〇〇年平和条約で国境を画定したとしても、日本側に属することになった領土の実質的な返還は先に延ばすという方式を事実上認めたこと―実質的な内容はこの二つだけであって、ロシア側が領土問題で日本側に譲歩や接近をみせたという言明は、ひとかけらもないのです。

 これから、この交渉の内容のくわしい分析がいろんな方面でおこなわれると思いますが、私は、今回の「合意」なるものは、橋本内閣の外交的“成功”をうたうために、いわば内閣の延命のために、日本国民の大事な国益を犠牲にしたといわれてもしかたない内容のものだということを、ここで指摘せざるをえないのであります。

領土問題の根本は、スターリンによる不当な領土併合の是正にある

 日ロの領土問題の根本が、スターリンのヤルタ協定での不当な領土拡張要求――千島列島併合の要求にあることは明白であります。これを是正するということが、日本の国民の側の大義であり、領土要求の国際的に正当な根拠であります。そしてスターリンの不当な領土要求やそれを認めた不当な協定をとりのぞいてみれば、日本とロシアのあいだの国境は、それぞれが近代国家になった時点で平和的な交渉で定められた国境が歴史的な固有の国境であります。そういう意味で、明治の初めの樺太・千島交換条約というのが、日本とロシアのあいだでむすばれた最終的な国境条約ですから、この線での国境画定、千島列島をふくむ領土返還をもとめることにこそ日本の大義があるのです。交渉する前からこの大義を捨て、“千島はいらない”ということからはじめたのでは、国民の利益が根本的にそこなわれます。

 ですから、スターリンの大国主義的な領土併合の是正をめざし、ヤルタ協定とそれをうたいこんだサンフランシスコ平和条約の千島放棄条項に手をしばられない交渉態度を確立することが、これからの領土交渉にのぞむさい最優先に前提とすべき問題だということを、わが党の態度として、重ねてここであきらかにするものであります。

(9)日中両党関係の最近の経過について

 最後に、日中両党関係の最近の問題について、若干の報告をします。

 一月五日の党旗びらきのあいさつのなかで、私は、日中両党関係の正常化について、わが党の態度をのべました。その一つひとつをくりかえすことはしませんが、そこでは、中国共産党との関係は、「文化大革命」の過程での中国側の干渉と攻撃によって断絶にいたったものであること、そして三十年たったいま、関係断絶のままでいる現状を、われわれはよしとするものでないこと、この問題の解決にとりくむうえで、昨年起こった変化、とくに中国側の変化の要点――(1)当時の干渉の当事者が、中国側のとった態度に関係断絶の原因があることを認めたこと、(2)中国共産党の対外関係の責任者が、日本共産党との関係正常化を、当面する外交課題の冒頭にあげたこと――も指摘して、日中両党関係の正常化をねがうわれわれの態度をあきらかにしました。

 その後、われわれはまだ、中国側と本格的な公式の会談や交渉をおこなっていません。しかし、一月に、中国共産党の中央対外連絡部・朱達成秘書長が日本を訪問し、わが党に非公式の「表敬訪問」をしたいとの申し入れがありましたので、私も会って必要な話をしました。この問題にのぞむわが党の基本態度は、そういう形で中国側にも伝えてあります。

 最近のマスコミの論評で、日本共産党が中国側に「謝罪」をもとめているということがよく書かれますが、われわれは、そういうことをもとめてはいません。

 以前のソ連共産党との関係正常化の交渉の場合には、私たちは、干渉の中心人物と関係正常化の交渉をやりましたが、現在の中国側との交渉は、その点で、状況がまったくちがっています。「文化大革命」の当時の干渉の当事者たちは亡くなったり、職をしりぞくかしていて、現在の党の指導部や国際関係の担当者は、世代的にいっても、すべて干渉とは直接かかわりのなかった人たちばかりです。ですから、問題は、ある意味では、一種の歴史問題となっています。

 しかし、歴史問題だから、中国側も世代が変わったからということで、問題を水に流せばいいじゃないかという議論は、成り立ちません。やはり、ここには、過去の問題の評価というにとどまらず、今後の両党関係にとって大事な問題があるからです。

 中国側も、わが党との関係を正常化しようというとき、「四原則を基礎に」ということをいいます。この四原則のなかには、内部問題相互不干渉という問題、おたがいが相手の内部問題に干渉しないということが、重大な原則の一つとしてはいっています。

 わが党も、外国のいろいろな政党と関係をむすぶときに、その政党がどんな路線をとろうが、どんな立場をもとうが、それはその政党の自主性ですから、問題にしませんけれども、たがいに相手の党に干渉しないということは、どんな場合でも、党関係をむすぶ大原則として重視しています。

 そうである以上、日本と中国のあいだに、干渉の問題であれだけ重大な歴史がありながら、そのことを不問に付すということはできません。あれだけの干渉がおこなわれながら、それが両党関係の原則に反する干渉であった事実も認められないということになると、今後「不干渉」の原則を確認しあったとしても、その言葉のもつ意味は、まったくあいまいなものになってしまいます。

 だから、私たちは、両党関係の今後の安定的な発展をのぞむ見地から、中国側にたいして、過去の「文化大革命」時におこなわれたことが、内部問題相互不干渉の原則に反する干渉であったという事実について、双方が共通の認識をもつことを、もとめています。もとめているのが、「謝罪」ではなくて、「認識」だということも、明確にいってあります。

 また、干渉の時期に生まれた、干渉の落とし子である日本共産党反対の組織と関係をもたないことも、相互に干渉しないということの当然の結論として、重要なことです。この二つが、両党関係正常化の前提として、私たちがもとめるものだということを、一月に伝えました。

 私たちは、そういう意味で、歴史問題の解決を中国側にもとめ、それがかなえられれば、双方の立場にどんな路線や観点のちがいがあっても、これはそれぞれの自主性の問題として、おおいに交流しようという態度をとるものです。

 両党間の日常的な実際の関係では、「しんぶん赤旗」の北京支局の開設の問題について、中国側がとった態度は、たいへん機敏なものでした。現にみなさんが「赤旗」紙面でみているように、北京支局はおおいに活躍しています。また、趙安博問題というものが突然起きたときにも、中国側(中央対外連絡部)の対応は、誠実で機敏なものでした。そのことも、この機会に報告しておきたいと思います。

 以上が、この六カ月間における中国共産党との関係のおもな経過であります。

 これをもって、情勢部分の報告を終わります。


不破委員長の幹部会報告(その2)=>


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